第011話 王宮からの使者
王宮からの使者が来たのは、北境城の調達会議が三日目に入った朝だった。
雪道を急いできたらしく、馬車の車輪には氷が張り、御者は青い顔をしていた。使者本人は王宮礼服を着ていたが、裾が雪で濡れている。
北境に来る服装ではない。
「エリス・クラウゼル様に、王太子殿下より書状です」
使者は会議室の入り口で、声を張った。
会議室には、カイ様、イザベルさん、兵站担当、厨房、医療室、工房代表、そしてわたしがいた。
机の上には、玉ねぎの在庫表と暖房網の配管図が広がっている。
王宮の香水が、紙とインクと焼き芋の匂いの中で浮いていた。
「こちらへ」
わたしは書状を受け取った。
封蝋には王太子の紋章。
開く前から、周囲に赤い数字が浮かぶ。
期限、即時。
根拠条項、不明。
費用負担、未記載。
嫌な予感は、だいたい当たる。
書状には、こう書かれていた。
エリス・クラウゼルは、王宮財務に関する説明責任を有する。
ついては、直ちに王都へ戻り、王太子宮にて事情を説明せよ。
また、停止した契約の再開に協力すること。
署名は、レオンハルト殿下。
わたしは読み終え、紙を机に置いた。
「返信します」
使者がほっとした顔をした。
「では、同行の準備を」
「いいえ。書面で返信します」
「ですが、殿下は直ちにと」
「わたしは現在、北境辺境伯家と雇用契約を結んでいます。契約期間中の離脱には、雇用主の同意と、移動費、業務中断費、代替要員手配費が必要です」
使者の口が少し開いた。
たぶん、王太子の命令に費用を付ける人間は少ない。
カイ様は何も言わず、わたしの隣で書類を見ている。
止めないということは、進めていいということだろう。
わたしは返書用紙を取り出した。
王太子殿下。
このたびのご依頼につきまして、以下確認いたします。
一、当該呼び出しは命令か、業務依頼か。
二、命令である場合、婚約破棄後の伯爵令嬢に対する法的根拠。
三、業務依頼である場合、報酬額、移動費、宿泊費、作業範囲、責任者。
四、停止契約の再開を求める場合、未払い分の清算予定日。
五、北境暖房網より王宮南庭へ流出していた魔力契約について、王宮側の説明。
以上についてご回答のうえ、正式契約書をお送りください。
わたしはペンを置いた。
イザベルさんが、肩を震わせている。
兵站担当は天井を見ている。
料理長は「言ってやったね」と小声で呟いた。
使者の顔は、雪より白くなっていた。
「こ、これをそのままお返しするのですか」
「はい」
「殿下がお怒りになります」
「怒りは回答ではありません」
「ですが……」
「使者様に責任を負わせるつもりはありません。これはわたしからの正式な照会です。お持ち帰りください」
わたしは封をして、カイ様に確認してもらった。
「問題ない」
彼はそう言ったあと、使者を見た。
「北境からも書状を付ける。王宮慈善局および運輸局に対し、契約資料の開示を求める」
「辺境伯様まで……」
「北境の暖房網に関わる問題だ。黙ってはいられない」
使者は、二通の書状を受け取った。
その手が少し震えていた。
気の毒ではある。
だが、王宮の無理な命令は、いつも現場の誰かを震えさせてきた。今回だけ、わたしが飲み込む理由はない。
使者を休ませ、温かい食事を出し、帰路の馬車には北境用の外套を貸した。
すると使者は、出発前に小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。王宮では、外套までは支給されませんでした」
「請求先は王宮運輸局です」
「え」
「貸与品として記録します。返却できない場合は、王宮運輸局へ請求します」
使者は一瞬固まり、それから少しだけ笑った。
「分かりました。必ず返します」
馬車が去ったあと、カイ様が隣に立った。
「戻りたいと言われたら、止めるつもりだった」
「契約期間中ですので」
「それだけか」
雪が静かに降っている。
わたしは少し考えた。
「戻れば、また同じことになる気がします」
「同じこと?」
「殿下は、わたしが戻るのは当然だと思っている。説明し、整え、責任を取り、また黙って働くと思っている」
「君はそうしない」
「はい」
言葉にすると、胸の奥が少し軽くなった。
「もう、わたしを粗末に扱う場所へ、自分から戻りたくありません」
カイ様は静かに頷いた。
「それでいい」
たったそれだけの言葉だった。
けれど、否定されないだけで、人はこんなに息がしやすくなるのかと思った。
会議室へ戻ると、机の上には新しい報告書が届いていた。
ラッカ村の暖炉部品が届いたこと。
医療室の湯が安定したこと。
街道灯二十七番の応急修理が持っていること。
そして、西塔地下から見つかった古い箱のこと。
箱の封には、王宮慈善局ではなく、神殿の紋章が押されていた。
聖女リリアナ慈善基金の、最初期の収支記録。
わたしは椅子に座り、指先で封蝋をなぞった。
王宮からの使者は帰った。
けれど、次に向き合うべき相手は、王太子だけではないらしい。




