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笑顔の理由


セルフィエルは不機嫌だった。


先日晴れて自分の婚約者となったアリーシャをお披露目しようと、今まで何かと忙しくて出来なかった知事着任の祝賀会を開いた。

最初は全力で出席を拒否したアリーシャだが、説得されるうちにこれもセルフィエルの婚約者としての義務だと覚悟を決めた。

メリーベルに選んでもらった淡い水色のドレスに身を包んでターニャに薄く化粧を施してもらい、少々ぎこちないながらも招待された客の前で立派に淑女の礼をとって見せた。


セルフィエルは上機嫌だった。

これでアリーシャは公式にセルフィエルの婚約者だ。

彼女が心変わりしてももう逃げられないし、アリーシャに淡い思いを抱いているような不埒な輩もこれで一掃出来ることだろう。

そして何より、きちんと正装し髪を結い上げたアリーシャはその場にいるどの娘よりも愛らしく美しかった。

常に恥ずかしそうに控えめな笑みを浮かべているその表情も堪らなく可愛いと思う。


そう、セルフィエルは上機嫌だったのだ。


祝賀会が終わり、皆が徐々に会場を後にし始めた頃。

招待客に別れの挨拶をするため少し自分が彼女の傍を離れている隙に、貴族風の青年に何かを言われて輝くような笑顔で返事をしているアリーシャを見るまでは。

もっと言えば、アリーシャのその笑顔に顔を赤らめ、急に真剣な表情を浮かべて彼女を食事に誘おうとする男の顔を目にするまでは。


「…………」


おそらく遅れてきたせいで、セルフィエルがアリーシャを紹介した場にいなかったのだろう。

でなければ、不敬にもほどがある。

大方の招待客を見送った後、セルフィエルは無言で二人を睥睨した。そして、


「で、殿下!?」


急に険しい顔で歩み寄ってきたセルフィエルに驚く男をちらりと見やると、少々強引にアリーシャの細い肩を抱き寄せる。


「……っ!」


彼女がわずかに頬を染めて彼を見上げる。


「悪いな、この娘は俺のだから」


余裕も何もない早口で告げると、そのまま彼女を馬車に押し込んで自分も乗り込む。


「ご苦労だった。あとを頼む」


「かしこまりました。おやすみなさいませ」


副知事が頭を下げると同時に御者が扉を閉める。


「セ、セフィさま……?」


何か失礼を働いてしまったかと一人青くなるアリーシャと仏頂面のセルフィエルを乗せて、馬車は静かに家路に着いた。



***



「な、何するんですか……」


家に帰るなりセルフィエルに抱き上げられ、訳がわからないままに彼の寝台にやや乱雑に落とされる。

セルフィエルのベッドは広々としている上にスプリングがきいているので痛くはないが、唐突な行動に戸惑いを隠せない。

アリーシャはすぐに身を起こそうとするが、次いで寝台に上がってきたセルフィエル押し倒されるような形になり、わずかな怯えと困惑の瞳で彼を見上げるしかなかった。


「ええと……すみません、わたし、一体どのような粗相を」


「ねえ、アリーシャは誰のものだっけ?」


「……え?」


弱弱しく尋ねようとした声は、セルフィエルの温度のない声音にかき消された。


「答えて。アリーシャの婚約者は誰?」


質問の意味を理解し思わず赤面するが、小声で答える。


「セ……セフィさま、です……」


息遣いが感じられるほどの距離。

セルフィエルの指が、アリーシャの顎を捉える。


「うん、そうだよね。じゃあ、さっきのあれは何?」


「あれ……って……」


「あの男にあんなに嬉しそうに笑いかけちゃって。何言われたの?可愛いですね、とか、美しいですね、とか言われたの?それとも、髪とか目の色を褒められた?」


「……そ、」


「アリーシャはちょっと褒められるとすぐに舞い上がって気を許しちゃうもんね。俺と会った時もそうだったし」


「そっ……そんなことないです!わたし、」


ひどい。何故突然そんなことを言われなくてはいけないのか。

セルフィエルはわずかに口角を上げ、さらに続ける。


「でもね、あんな言葉、所詮社交辞令なんだよ。ああいう場所での常識。みんな本気で言ってるわけじゃない。女性の容姿を褒めるのは、挨拶みたいなものなの。それを切っ掛けに話を発展させて、食事に誘って、あわよくば……っていう下心なんだよ。わかってる?」


アリーシャが俯く。顔がくしゃりと歪む。

……そんなこと、言われなくても。


「……わ、かって……ます。……皆さんが褒めて下さるのは……わたしがセフィさまの……その、婚約者、だからで……決して本心から言ってくださってるんじゃないこと……ちゃんと、わかってます」


「本当かな?自分のこと好きだって言ってくれる人なら、誰でも良いんじゃないの?」


自分の声を聞きながら、セルフィエルの頭の中で警鐘が鳴る。

言い過ぎだ、とどこかで思うが、口が勝手に動いてしまう。

案の定、アリーシャが蒼白になって瞳を潤ませながら顔を上げる。


「それは違います!わ、わたし、殿下じゃなきゃ嫌です!」


「呼び方が戻ってるよ、アリーシャ」


「……セフィさま、意地悪です……。わたしがセフィさましか好きじゃないの……ご存じのくせに……」


本名で呼び直され、素直な告白を受けて、セルフィエルの心にようやく余裕が生まれてきた。

頭がだんだんと冷静さを取り戻し、思わず天を仰ぎたくなる。


(……まずい……、またやってしまった……)


どうもアリーシャを相手にすると駄目だ。加虐心が膨らみ、我に返ると泣かす寸前までいっていることがよくある。


(……今まで、こんなことなかったんだけどな……)


過去にお付き合いした女性には常にそつのない言動で喜ばせてきた自信があった。

なのに、アリーシャ相手にはその経験がまるで役に立たない。

怯えたようにセルフィエルを見上げるアリーシャの顔を覗き込み、押し寄せる後悔と共にその細い体を強く抱きしめる。

彼女の耳元で溜息を吐く。


とく、とく、とく。


自分と彼女の鼓動を聞いていると、徐々に冷静さが戻ってきた。

静かに深呼吸をしてアリーシャの香りを吸い込み、腕の力を少し緩めた。


「……うん。知ってる。……ごめんね、ただの嫉妬だから……気にしないで。……でも、俺でも滅多に見られないような笑顔を無防備に振りまくのはやめて欲しいな……特に若い男には。……アリーシャは自覚ないかもしれないけど……君、可愛いんだよ。あの笑顔を向けられたら、どんな男だって一瞬で落ちる」


決まりの悪い思いをしながら本音を吐露すれば、予想外に淡々とした声が響いた。


「……そんなことはないです。皆さん、たくさん気を遣ってくださいますけど……社交辞令、ですよ?」


セルフィエルは うっと詰まった。自分で自分の首を絞めている。

アリーシャは嫌味を言っているのではない。

本心でそう思っているのだから、余計質が悪かった。

溜息を吐いて、言い訳がましく続ける。


「……ごめん、それも嘘……ではないけど、全部が社交辞令だって訳じゃないよ。たとえばさっきの男。あいつは確実に本心から褒めてた。あのままいたらアリーシャ、食事に誘われていたよ」


「そうなのですか……。でも、例えどんなに賛辞のお言葉を頂いても、……わたしが本当に嬉しいのは、セフィさまのお言葉だけです」


囁くような彼女の声に、静まっていた心臓がまた音を立てて鳴りだした。


「それに、さっき褒めていただいたのは、わたしの容姿のことではありません。……セフィさまのことですよ?」


「……は?俺?」


唖然として身を引いたセルフィエルに、アリーシャも半身を起こして笑顔で返した。


「はい!あの方はこちらの地方貴族の出身で王室師団員だそうなのです。今は里帰りでたまたまドーラムにおられるそうなのですが……団長をしていらっしゃった時からセルフィエル殿下は格好良かったって……凛々しくて強くて尊敬しているって仰っていて」


「……俺なんかより、アリーシャの方が強いだろ」


思わず照れ隠しに呟いてしまう。


(……待て。じゃああの時のアリーシャの笑顔は、俺のことを褒められたから……?)


顔が熱くなり、急激に心拍数が上がる。

そんなセルフィエルに気付かず、アリーシャは無邪気に続けた。


「だから、わたしすごく嬉しくて、そうですよねって……んっ」


突然の熱い口付けに、無理やり言葉を飲み込まれる。


「……っ、はぁ……」


唇が離れると同時にアリーシャの視界が再び反転した。

背中を柔らかく寝台に埋められる。

見上げると、熱の籠った真剣な視線に射抜かれどきりとした。


「セフィさま?」


呼びかけると、セルフィエルがアリーシャの両手首を柔らかく押さえつけたまま微笑を浮かべた。


「そっか……アリーシャは俺のことを褒められたのが嬉しくて、あんな顔で笑ったんだね。……愛されてるなあ、さっきはあんなこと言ったけど、ちゃんとわかってるから。アリーシャが俺のことしか見てないってことくらい」


アリーシャの頬がぱぁっと染まる。思わず否定の言葉が出かかるが、ぐっと堪えた。

……これではいつもと変わらない。

セルフィエルはいつも過剰なほどの愛情表現を示してくれる。恥ずかしい時もあるが、嬉しい時の方が圧倒的に多い。当たり前だ。好きな人から好きだと言われて、嬉しくない人間がいるわけがない。

彼がいつも積極的に感情を見せてくれるおかげで、自分はいつも彼の愛情を確認して安心していられる。

でも、彼の方はどうだろう?

飄々として見えるけれど、本当は不安な時もあるのではないだろうか?

だからこうして時たま異常とも言えるほどの嫉妬を見せる。


(……そうだ)


言わなくても伝わるなんて怠惰で傲慢な考えだ。

大切なことはいつだって、きちんと言葉にしなければ伝わらない。

アリーシャは意を決してセルフィエルを見上げた。


「……はい。セルフィエルさましか見えてません。本当は抱き締められるのも、……キスをされるのも……どきどきするけど、とっても幸せです。こんな風に思うのは、今までもこれからも、ずっとずっと、セフィさまだけです。……愛しています」


セルフィエルが目を見開いた。それを確認してアリーシャは思わず微笑む。

……言えた。ちゃんと言いきることができた。わたしだって、やればできるのだ。


「……?」


ぽすっ。

アリーシャが達成感で満たされていると、仰向けに横たわったままのアリーシャの顔のすぐ横の枕に、セルフィエルが突っ伏した。


「……セフィさま?どうされました?」


頬に柔らかな彼の栗色の髪が当たる。さらさらとしていて気持ちが良い。

心配そうに声をかける。


「……わざと?」


「はい?」


枕に顔を埋めているせいで声がくぐもって良く聞こえない。髪の合間から見える耳が心なしか赤く染まっている。

聞き返すと、彼の顔がわずかにこちらを向いた。

左目が艶を帯びてわずかに潤んでいる。アリーシャはどきりとした。


「わざと言ってるでしょ?それで、俺のこと試してるんだ、どれだけ耐えられるか」


「……?何を言ってるんですか?」


「好きな子をベッドに押し倒したら愛の告白をされて、どこからどう見ても誘ってるようにしか見えないけど、でも違うんだよね?無意識なんだよね?……うん、わかってる。わかってるから……いや、なんでもない。ごめん、ちょっと落ち着くまで待って……」


しばし部屋が静まり返り、互いの鼓動だけが響いていた。


「…………えーと、セフィさま?」


「……いや、やっぱ無理。誘ってるよね?無意識なわけないよね?」


「……!」


アリーシャの身体がこわばる。そして口は何か言葉を発するよりも先に塞がれた。


「んんっ……!」


驚いたアリーシャがくぐもった声を漏らす。

セルフィエルは目を閉じて彼女の唇を味わいながら、脳が心地良く痺れていくのを感じていた。


「ふ、……っ」


セルフィエルの肩を遠慮がちに押し返す小さな両手に優しく指を絡ませ、そのまま寝台に押し付ける。


「……!あ、あのっ……んっ」


押し倒され、身体全体でセルフィエルの重みを受け止めながら、唇が離れた瞬間にアリーシャは抗議の声を上げようとする。

が、間を置かずに再び塞がれ息が出来なくなった。


(まずいな……止まらない)


初めて触れたアリーシャの口内の想像以上の甘さに、セルフィエルはぼんやりと思う。

わずかに開いた隙間を割って、アリーシャの口咥内を思う存分堪能する。

無理やり舌を絡め取られ、硬直していたアリーシャの身体から徐々に力が抜けていく。

セルフィエルは抵抗をなくした彼女を愛しげに抱きしめると、全身でアリーシャを感じながらさらに口付けを深めて激しく貪った。


「……っ、ふ……」


こういった経験が皆無であろうアリーシャの苦しそうな息継ぎが聞こえるが、それすらセルフィエルにとっては極上の艶声でしかない。

ますます欲情を煽られ、絡めていた舌を名残惜しげに開放すると熱を持った唇を白い首筋へと移動させた。


「アリーシャ、愛してるよ……」


浅いが柔らかく吸い付くような肌触りの谷間まで行き着きそう囁いたところで、セルフィエルは気付いた。

…………その胸が、規則正しく上下していることに。


「………………嘘だろ」


信じられない気持ちでがばりと身を起こすと、いつの間にか安らかな表情で瞳を閉じているアリーシャの顔をまじまじと見下ろした。


「……アリーシャ?」


小声で呼びかけてみるが、一切反応を示さない。彼女がここまで気を許すのは恐らく世界に自分だけだという自負があるが、それでも。


「……はぁー……」


落胆の意は隠せなかった。


完全に眠ってしまったらしいアリーシャの横に力なく身を投げ出すと、首を捻ってその可愛らしい寝顔を眺めた。


(……まあでも、焦ることもないか)


慣れないドレスを着て、慣れない靴を履いて、長時間見知らぬ人間と談笑して。

アリーシャにとってそれはほぼ未知の体験。疲れ切っているところセルフィエルと二人きりになって気が緩み、寝台に押し倒されて口を塞がれ酸素を奪われたら、こういう結果になってもおかしくはないかもしれない。


(……とりあえず今日のところは)


「……お疲れさま」


小さく囁いて優しく髪を撫でた。



***



「……あ、あの……セフィさま……わたし……すみません……」


翌朝、起きるや否や寝台の上で真っ青になり泣きそうな顔で謝る彼女に、セルフィエルが完璧な微笑で答える。


「謝ることなんてないよ。ちゃんとわかってるから。アリーシャがそれだけ疲れてたんだってことは。ま、要は俺のキスは睡眠欲に負ける程度のものだったってことだよね」


「そ、そんなこと」


「いいんだ、だからね、アリーシャ」


俺のキスがもっとアリーシャを夢中にさせられるように、いっぱい練習させてね。


耳元で囁くと、アリーシャの顔が一転真っ赤に染まる。


「え、えぇと……っ」


頭の中が混乱を極めているらしい彼女を見下ろしながら、セルフィエルは心から楽しそうに笑った。


困ればいいんだ。そうして一日中、俺のことばかり考えていればいい。





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