06.僕の武器
僕の武器は、銃だった。
最初にそれを見たとき、正直に言えば、少し嬉しかった。
銃というものに特別な憧れがあったわけではない。
そもそも、今まで僕は銃を撃ったことがなかった。
テレビやゲームの中くらいだ。
それでも、自分の手の中に銃が現れたとき、僕は思った。
――これで僕にも、できることがある。
それが嬉しかった。
学校では、僕には何もなかった。
話しかけてくれる人はあまりいない。
誰かに頼られることもない。
何かを任されることもない。
先生から見れば、問題を起こさない生徒。
クラスメイトから見れば、ただ教室にいる生徒。
それだけだった。
けれど夜になると、違った。
「直人、右」
「わかってる」
僕が銃を構える。
廊下の先から闇が走ってくる。
澪が先に撃った。
黒い影が一瞬だけ揺らぐ。
「今!」
僕も引き金を引いた。
光が走る。
闇が消える。
「やった」
思わず声が出た。
「今の、私が弱らせたんだけど」
「最後に倒したのは僕」
「じゃあ半分こ」
「なんで半分なんだよ」
「二人で戦ってるから」
「それなら七割くらい僕でいいだろ」
「なんで?」
「僕のほうが活躍した」
「三秒くらいしか活躍してないよ」
「三秒あれば十分」
「何の自信?」
澪が笑った。
僕も笑った。
学校では、ほとんど笑わなくなっていた。
笑うと、何か言われる。
楽しそうにしていると、何か言われる。
黙っていても何か言われる。
だから、何もしない。
何も期待しない。
何も感じない。
そうしていれば、傷つかない。
そう思っていた。
なのに夜の学校では、くだらないことで笑えた。
それが少し不思議だった。
「直人」
「何?」
「楽しそうだね」
「……そう?」
「うん」
「別に」
「別に、って顔じゃないよ」
「どんな顔だよ」
「嬉しい顔」
「してない」
「してる」
「してない」
「してる」
「……澪って、しつこいな」
「直人ほどじゃないよ」
また笑った。
僕は、こういう時間が嫌いではなかった。
むしろ好きだった。
それを認めるのは、少し恥ずかしかった。
だから、心の中では別の言葉に置き換えた。
闇を倒すのが好きなんだ。
澪といるのが好きなんじゃない。
僕にはそう言い聞かせた。
そのほうが簡単だった。
◇
その日、僕たちは理科室にいた。
理科室の闇は、いつもより小さかった。
机の下に隠れている。
何かから逃げるように。
「変なの」
僕が言った。
「何が?」
「闇って、もっと怖いものだと思ってた」
「怖いよ」
「でも、こいつ……」
机の下を見る。
黒い影が震えている。
「怖がってるみたいに見える」
澪は答えなかった。
僕は武器を下ろした。
「こいつ、何なんだろう」
「闇」
「それはわかってる」
「じゃあ、倒せば?」
「……なんか、かわいそうじゃない?」
言ったあと、自分で驚いた。
僕は何を言っているんだろう。
相手は怪物だ。
僕たちが倒さなければ、誰かが苦しむ。
それなのに。
「かわいそう、か」
澪が呟いた。
「何?」
「直人も、そういうこと言うんだなって」
「どういう意味?」
「もっと冷たい人だと思ってた」
「失礼だな」
「ごめん」
澪は笑った。
「でも、直人は優しいよ」
「違う」
反射的に否定した。
「僕は優しくない」
「どうして?」
「優しくないから」
「理由になってないよ」
「……」
僕は机の下を見た。
震えている闇。
その向こうに、誰かの感情が見えた。
――失敗したくない。
――また怒られたくない。
――みんなに笑われたくない。
――消えたい。
最後の感情だけが、妙に強かった。
僕は眉をひそめた。
「澪」
「うん」
「これ、誰?」
「わからない」
「この感情、知ってる?」
「少しだけ」
澪はそう答えた。
「どういう意味?」
「私も、失敗したくないと思うことはあるから」
「澪でも?」
「私でも」
澪は銃を構えた。
「だから倒すよ」
「……うん」
二人で攻撃した。
闇は消えた。
また誰かの感情だけが残った。
その瞬間、僕は思った。
闇を倒すというのは、悪いものを消すことではない。
もしかすると。
その人が抱えきれなくなった感情を、少しだけ外へ逃がしているだけなのかもしれない。
それなら。
僕たちがやっていることは、「正義」なんかではない。
ただの処置だ。
傷口を塞ぐようなもの。
でも、傷そのものをなくすわけではない。
人間は明日になれば、また同じように嫉妬する。
怒る。
寂しくなる。
誰かを嫌いになる。
そしてまた、闇が生まれる。
だったら。
僕たちは一生、闇を倒し続けるのだろうか。
「ねえ、澪」
「なに?」
「闇って、なくならないんじゃない?」
澪は少しだけ目を細めた。
「うん」
「じゃあ、戦う意味あるの?」
「あるよ」
「どうして?」
「放っておいたら、もっと大きくなるから」
「でも、なくならない」
「なくならなくてもいいんじゃない?」
「え?」
澪は銃をしまった。
「人間から闇をなくしたら、人間じゃなくなるかもしれないよ」
僕は黙った。
それは、妙に納得できる言葉だった。
怒らない人間。
嫉妬しない人間。
寂しくならない人間。
誰も嫌いにならない人間。
そんな人間が本当に善い人なのか。
僕にはわからない。
むしろ、少し怖い。
「じゃあ、どうすればいいの?」
僕が聞いた。
「闇があるって、知ってればいいんじゃない?」
「自分の中に?」
「うん」
「それだけ?」
「たぶん」
澪は少し笑った。
「自分が怒ってるって知ってるだけでも、怒りに全部持っていかれなくて済むから」
「……」
「嫉妬してるって知ってれば、嫉妬してる自分を少しだけ笑えるし」
「それは無理じゃない?」
「私はやってるよ」
「本当に?」
「本当」
「じゃあ今度、嫉妬してるところ見せて」
「嫌」
「なんでだよ」
「恥ずかしいから」
澪が即答した。
僕は笑った。
「なんだ。やっぱりあるんじゃん」
「あるよ」
「闇」
「闇」
僕たちは顔を見合わせた。
そして、また笑った。
◇
帰り道。
僕は自分の武器について考えていた。
銃。
遠くから撃つ。
相手との距離を保ったまま戦える。
それは偶然なのだろうか。
それとも。
僕自身がそういう人間だから、この形になったのだろうか。
人と距離を取る。
傷つかないために。
踏み込まれないために。
期待しないために。
僕は学校で、人との間に見えない壁を作っていた。
でも。
それは僕が望んだことなのだろうか。
それとも。
望むしかなかったのだろうか。
「直人?」
「何?」
「どうしたの?」
「いや」
僕は自分の手を見た。
もちろん、もう銃は消えている。
「僕の武器ってさ」
「うん」
「なんで銃なんだろう」
澪は少し考えた。
「遠くからでも戦えるからじゃない?」
「……」
胸に小さな痛みが走った。
「それ、褒めてる?」
「ううん」
「じゃあ何?」
「事実」
「ひどい」
澪は笑った。
僕も笑った。
でも、その夜。
布団に入ってからも、その言葉が頭から離れなかった。
遠くからでも戦える。
人と距離を取ったまま。
僕はずっと、それを望んでいたのだろうか。
誰にも近づかれず。
誰も信じず。
誰にも期待せず。
それでも、自分だけは折れない。
それが強さだと思っていた。
けれど。
もし、それが強さではなく。
ただの孤独だったら。
僕はいったい、何を守っているのだろう。
翌朝。
学校へ向かう途中で、僕は一度だけ立ち止まった。
教室の窓が見える。
あそこには、僕を嫌っている人間がいる。
僕を無視する人間がいる。
僕のことを何も知らないまま、勝手に決めつけている人間がいる。
僕はそいつらが嫌いだ。
それは間違っていない。
そう思った。
そして、その直後。
ほんの一瞬だけ。
別の考えが浮かんだ。
――じゃあ、僕は?
僕は。
僕のことを、ちゃんと知っているのだろうか。
その問いから逃げるように、僕は教室へ入った。
まだ誰も来ていなかった。
机に座る。
窓の外を見る。
静かな朝だった。
僕は知らなかった。
夜に闇を倒すたびに。
僕自身の中にあるものもまた、少しずつ姿を現し始めていることを。




