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心の闇があらわれる  作者: 和泉 きよ


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2/24

02.僕にも武器があった

 武器というものを、僕はテレビの中でしか見たことがなかった。


 もちろん、銃だってそうだ。


 だから、自分の右手に握られているものが本物なのかどうか、僕には判断できなかった。


 黒い金属。


 細長い銃身。


 見た目だけなら、映画に出てくるものと大して変わらない。


「これ、本物?」


「そうだよ」


「弾は?」


「あるよ」


「撃ったら死ぬ?」


「たぶん」


「たぶん?」


「私も撃たれたことないから」


「いや、分からないんだ……」


 白石さんは首を傾げた。


 夜の学校という場所で、銃を持った少女と会話している。


 文章にすると、どう考えても僕の人生に起こるべき出来事ではない。


 けれど、現実というものは、

 起こるべきかどうかを人間に確認してから起きてくれるほど親切ではない。


 僕は銃を持ったまま、廊下に立っていた。


「ねえ、白石さん」


「なに?」


「これ、僕が持ってていいの?」


「持てるならいいと思う」


「学校にあったもの?」


「違うよ」


「じゃあ、どこから出てきたの?」


「朝倉くんの心から」


「…………」


 僕はもう一度、銃を見た。


「僕の心って、銃が出てくるほど物騒なの?」


「そういう意味じゃないよ」


「じゃあどういう意味?」


「闇を倒すための武器は、その人に必要な形で現れるの」


「白石さんも銃だったよね」


「うん」


「僕も銃だけど」


「そうね」


「同じじゃん」


「そうだね」


「設定が雑じゃない?」


 白石さんが笑った。


 声を出して笑うほどではない。


 口元がほんの少し緩む程度。


 けれど、昼間に教室の入口から顔を出したときの彼女とは、少し違って見えた。


 僕は不思議に思った。


 学校で彼女を見かけると、いつも一人だった。


 本を読んでいる。


 誰かに話しかけられれば、普通に答える。


 けれど、自分から誰かの輪に入っていくことはない。


 それなのに今は、夜の学校で僕とくだらない話をしている。


 僕はそれが少し嬉しかった。


 そのことに気づいたとき、僕は自分の中に小さな恥ずかしさを覚えた。


 誰かに必要とされたことが、嬉しかったのだ。


 たとえ、それが「闇を倒すため」という理由であっても。


 僕は最近、人に必要とされることがなかった。


 いや。


 正確には、必要とされていなかったわけではない。


 誰かに消しゴムを拾ってほしいと言われることもあった。


 先生にプリントを配ってくれと言われることもあった。


 そういう意味では、僕は誰かに必要とされている。


 でも、それは僕でなければならない理由ではなかった。


 僕の代わりに誰かがいても成立する。


 そういう「必要」だった。


 白石さんは違う。


 彼女は僕を見て、


「あなたも闇を倒せる」


と言った。


 僕自身に何かがあると認めてくれた。


 その事実が、思った以上に僕の心に引っかかった。


「ところで」


 白石さんが言った。


「明日の授業、何時間目までだったけ?」


「……六時間」


「そう」


「何で?」


「明日も夜に来てね」


「え?」


「闇は毎日出るから」


「毎日?」


「毎日」


「絶対?」


「ほぼ毎日」


「ほぼって何?」


「出ない日もあるから」


「それなら最初からそう言ってよ」


「ごめん」


 白石さんは素直に謝った。


 その素直さが、なんだか面白かった。


 僕は笑った。


 久しぶりに、何も考えずに笑った気がした。


 その夜、僕は忘れていたノートを教室から持ち帰った。


 帰り道。


 僕は一人だった。


 けれど、昼間の帰り道とは少し違っていた。


 夜の学校で、僕だけが知っている秘密を見つけた。


 そんな気がしていた。


 次の日。


 学校はいつも通りだった。


 僕を見れば、不良たちは笑う。


 誰かが僕の机を蹴る。


 教科書を隠される。


 僕は怒らない。


 怒れば負けだと思った。


 泣いても負け。


 先生に言っても負け。


 やり返しても負け。


 だったら、何もしないのが一番いい。


 僕はそう思っていた。


 でも。


 昨日までは、その「何もしない」が僕を守ってくれていた。


 今日からは少し違った。


 夜になれば、僕には武器がある。


 闇という怪物を倒せる。


 誰にも言えない秘密を持っている。


 そう考えるだけで、昼間の僕はほんの少しだけ強くなった。


 だから、昼休みに不良が僕の机を蹴ったときも、僕は笑った。


「何笑ってんだよ」


「別に」


「気持ち悪いな」


「そう?」


 僕は笑いながら思った。


 ――夜になれば、お前より強い。


 もちろん、そんなことを口には出さなかった。


 出したら、ただの馬鹿だから。


 僕は自分の心の中だけで、勝手に勝った。


 それだけで少し気分がよかった。


 その日の夜。


 僕は学校へ向かった。


 校門をくぐる。


 昨日と同じ暗い校舎。


 昨日と同じ静かな廊下。


 そして、昨日と同じ場所に白石さんがいた。


「こんばんは」


「こんばんは」


「来てくれたんだ」


「約束したから」


「偉いね」


「子ども扱いしないで」


「私たち、中学生だけど」


「そういう問題じゃない」


 白石さんは笑った。


 それから銃を持ち上げた。


「今日は二人で行こう」


「どこへ?」


「三階」


「何かあるの?」


「闇がいる」


「毎日学校のどこかに出るの?」


「そう」


「何の闇?」


「分からない」


「倒せば分かる?」


「うん」


 僕たちは階段を上った。


 三階。


 廊下の突き当たりにある空き教室。


 扉が少し開いていた。


 白石さんが止まった。


 僕も止まる。


 中から、何かが聞こえた。


 すすり泣くような音。


 僕は思わず白石さんを見た。


「誰かいる?」


「たぶん、闇」


「泣いてるの?」


「闇だからって、怒ってるとは限らないよ」


 白石さんが扉を開けた。


 教室の中央に、それはいた。


 黒い塊。


 昨日より小さい。


 けれど、どこか悲しそうだった。


 顔らしきものはない。


 口もない。


 目もない。


 それなのに、泣いているように見えた。


 僕は銃を構えた。


 手が震えた。


「怖い?」


 白石さんが聞いた。


「少し」


「じゃあ、私が先に行く」


「いや」


 僕は首を振った。


「僕もやる」


 昨日は、白石さんに全部任せた。


 今日は違う。


 僕も武器を持っている。


 僕にも、ここにいる理由がある。


 そう思いたかった。


 二人で闇に向かって走った。


 銃声が響いた。


 黒い塊が揺れた。


 僕も引き金を引いた。


 光が走った。


 闇が崩れた。


 そして――。


 僕の頭の中に、知らない映像が流れ込んできた。


 教室。


 一人の女子生徒。


 机の上に置かれたテスト。


 九十八点。


 その隣に置かれた別のテスト。


 百点。


 女子生徒は、笑っていた。


「すごいね」


 そう言っていた。


 けれど、その笑顔の奥には別の言葉があった。


 ――悔しい。


 ――どうして私じゃないの。


 ――あの子がいなければいいのに。


 僕は息を呑んだ。


 映像が消えた。


 教室には、もう闇はいなかった。


「今の……」


「闇を生んだ人の心」


 白石さんが答えた。


「誰?」


「分からない」


「でも、分かるんだろ?」


「顔までは分からないこともあるよ」


 僕は黙った。


 たった数秒だった。


 けれど、その数秒で僕は一人の人間の心の中を見てしまった。


 嫉妬。


 劣等感。


 悪意。


 それは、僕自身の心にも似たものだった。


 僕は急に、自分が嫌になった。


 なぜなら僕も、同じようなことを考えたことがあるからだ。


 僕をいじめているあいつらがいなければいい。


 消えてしまえばいい。


 学校からいなくなればいい。


 そう思ったことがある。


 それは、さっき見た少女の、


 ――あの子がいなければいいのに。


 という気持ちと、何が違うのだろう。


「白石さん」


「なに?」


「闇ってさ」


「うん」


「悪い人間から出てくるの?」


 白石さんは少し考えた。


「違うと思う」


「じゃあ、何?」


「普通の人間から出てくるんじゃないかな」


「同じじゃない?」


「全然違うよ」


 白石さんは言った。


「悪い人間だけが闇を持っているなら、私は怖くない」


「……どういうこと?」


「自分が善い人間だと思っている人のほうが、ずっと怖いから」


 僕は返事ができなかった。


 白石さんは、銃を肩にかけた。


「帰ろう」


「うん」


 僕たちは教室を出た。


 廊下を歩きながら、僕は考えていた。


 人間の心には、誰にも見せない場所がある。


 そこには、口にしてはいけない言葉がある。


 誰かを羨ましいと思う気持ち。


 誰かに負けたくないと思う気持ち。


 誰かが失敗したとき、少し嬉しくなる気持ち。


 誰かが不幸になったとき、


「自分じゃなくてよかった」


と思ってしまう気持ち。


 僕にもある。


 きっと白石さんにもある。


 そして、学校にいる全員にもある。


 なら。


 僕たちが毎晩倒しているものは、本当に「悪」なのだろうか。


 それとも。


 人間なら誰でも持っている、捨てられない部分なのだろうか。


 そんなことを考えながら、僕は白石さんの隣を歩いた。


 夜の学校は静かだった。


 けれど僕には、昨日よりもずっと騒がしく感じられた。


 誰もいない教室。


 誰もいない廊下。


 誰もいない図書室。


 誰もいない体育館。


 その全部の中に、人間の心が残っているような気がした。


 そして僕は、まだ知らなかった。


 闇を倒せば倒すほど。


 僕は、人間のことを知ってしまう。


 人間のことを知れば知るほど。


 僕は、人間を嫌いになっていく。


 そしていつか。


 僕自身の闇まで、見なければならなくなることを。


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