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心の闇があらわれる  作者: 和泉 きよ


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14/24

14.僕を嫌っている人

 僕を嫌っている人間がいる。


 たぶん。


 というより。


 間違いなくいる。


 学校という場所に、一人も自分を嫌っている人間がいないなんて、そんな都合のいいことはない。


 僕だって、人を嫌いになる。


 話し方が気に入らない。


 態度が気に入らない。


 自分より楽しそうにしているのが気に入らない。


 理由なんて、その程度で十分だった。


 だから。


 誰かが僕を嫌うこと自体は、別に不思議ではない。


 問題は。


 僕が、その理由を知ってしまったことだった。


   ◇


 朝、教室に入ると、後ろのほうから声が聞こえた。


「朝倉って、なんかムカつくんだよな」


 僕のことだった。


 足が止まりそうになった。


 でも、止めなかった。


 そのまま自分の席へ向かった。


「何が?」


「なんか、偉そうじゃない?」


「そう?」


「前は学級委員とかやってたらしいよ」


「ああ。だからじゃない?」


 笑い声。


 僕は席に座った。


 聞こえていないふりをした。


 机の中から教科書を出す。


 いつも通り。


 何もなかったように。


 でも。


 胸の中には、小さな石が入ったような感じがしていた。


 ――偉そう。


 僕はそんなつもりはない。


 もちろん。


 そんなつもりがないからといって、相手がそう感じないとは限らない。


 そのことくらい、わかっている。


 でも。


 僕には、もう一つ考えがあった。


 僕は悪くない。


 僕は何もしていない。


 最初の隣の席が悪かっただけだ。


 僕が何かをしたから嫌われたわけではない。


 だから。


 僕を嫌う人間のほうが間違っている。


 そう思っていた。


 その考えは、ずっと僕を守ってくれていた。


 だから、手放したくなかった。


   ◇


 昼休み。


 僕は一人で廊下を歩いていた。


 向こうから、さっきの男子が歩いてくる。


 目が合った。


 一瞬だけ。


 相手は、僕から目を逸らした。


 僕も逸らした。


 それだけだった。


 でも。


 僕は思った。


 もし僕が、あいつの心を見られたら。


 何を考えているのかわかったら。


 僕を嫌う理由がわかったら。


 僕は、そいつを許せるだろうか。


 それとも。


 もっと嫌いになるだろうか。


   ◇


 その日の夜。


 闇が現れた。


 場所は教室だった。


 昼間、僕が使っている教室。


 机が並んでいる。


 黒板には、昼間の授業で書かれた文字が残っている。


 その中央に。


 黒い塊が立っていた。


「……ここか」


 僕が呟く。


「うん」


 澪が頷く。


 闇は、僕たちに気づいても動かなかった。


 ただ。


 僕の机を見ていた。


「僕の?」


「かもしれない」


 僕は嫌な予感がした。


 闇の表面に、何かが浮かび上がる。


 声。


 ――嫌い。


 僕の心臓が跳ねた。


 ――なんとなく嫌い。


 ――見てると腹が立つ。


 ――自分だけ正しいみたいな顔をしてる。


 ――昔だけ人気者だったくせに。


 ――今でも自分が特別だと思ってる。


 僕は息を呑んだ。


 知っている声だった。


 昼間、僕を嫌っていた男子。


 たぶん。


 いや。


 きっと。


 僕のことを嫌っている人。


 闇はさらに言葉を吐き出す。


 ――あいつが失敗すればいい。


 ――みんなに嫌われればいい。


 ――一人になればいい。


 僕は銃を握った。


 手に力が入る。


 胸の奥が熱くなる。


「……最低だな」


 僕が言った。


 澪は何も言わない。


「人のことをそんなふうに思うなんて」


「直人」


「何?」


「それ、今の直人にも当てはまらない?」


「……」


 僕は澪を見た。


「僕は、あいつに何もしてない」


「うん」


「僕は悪くない」


「うん」


「だったら、あいつが悪いだろ」


 澪は黙った。


 僕も黙った。


 しばらくして、澪が言った。


「悪いかどうかと、嫌いかどうかは、別じゃないかな」


「……どういう意味?」


「その人が悪い人じゃなくても、嫌いになることはあるよ」


 僕は闇を見た。


「じゃあ、僕を嫌うのは仕方ないってこと?」


「仕方ない、とは言ってないよ」


「じゃあ?」


「人の気持ちは、正しいとか間違ってるとかだけでは決められないってこと」


 僕は納得できなかった。


 そんな言い方をしたら。


 何でも許されてしまう気がした。


 嫌いだから傷つける。


 嫌いだから無視する。


 嫌いだから悪口を言う。


 それまで「仕方ない」で済ませてしまったら。


 僕は今まで受けてきたことまで、全部なかったことにされてしまう。


「でも」


 僕は言った。


「嫌いだからって、何をしてもいいわけじゃないだろ」


「うん」


 澪は即答した。


「そこは、そうだよ」


 その言葉を聞いて。


 少しだけ安心した。


 僕の考えは、全部間違っているわけではない。


 人を嫌うことと、人を傷つけることは違う。


 感情には自由がある。


 行動には責任がある。


 たぶん。


 それが僕の「罪には相対的に罰がある」という考えの、根っこなのだ。


   ◇


 闇が動いた。


 黒い腕のようなものが伸びる。


 僕は銃を構えた。


 けれど。


 引き金を引けなかった。


 闇の中に、また別の感情が見えたからだ。


 ――怖い。


 ――あいつに負けたくない。


 ――自分だけ惨めなのが嫌だ。


 ――みんなに笑われたくない。


 ――あいつみたいに、昔はみんなから必要とされていたかった。


 僕は固まった。


 その感情は。


 あまりにも僕に似ていた。


 僕も。


 学校で居場所を失った。


 僕も。


 誰かに必要とされたかった。


 僕も。


 昔の自分に戻りたいと思うことがある。


 僕も。


 今の自分を惨めだと思うことがある。


 だったら。


 僕を嫌っているあいつと。


 僕は。


 そんなに違わないのではないか。


「……嫌だ」


 口から言葉が漏れた。


「何が?」


 澪が聞く。


「似てる」


「誰と?」


「あいつと、僕が」


 澪は黙った。


 僕は続けた。


「僕はあいつが嫌いだ。あいつも僕が嫌いだ。どっちも自分のほうが正しいと思ってる」


「うん」


「どっちも、自分が傷つけられたと思ってる」


「うん」


「じゃあ」


 僕は闇を見る。


「どっちが悪いんだ?」


 澪は答えなかった。


 答えられないのだと思った。


 僕も。


 わからなかった。


 ただ一つだけ。


 わかってしまったことがある。


 人間は、自分が被害者だと思っているときほど。


 自分の中の悪意が見えなくなる。


   ◇


 僕は銃を構え直した。


 そして。


 闇を撃った。


 黒い塊が大きく揺れる。


 もう一度。


 撃つ。


 闇が崩れていく。


 最後に。


 僕を嫌っている男子の記憶が見えた。


 僕が小学校でみんなの前に立っている。


 周囲に人が集まっている。


 僕は笑っている。


 男子は教室の端から、その姿を見ていた。


 羨ましい。


 そう思っている。


 僕が何か悪いことをしたからではない。


 ただ。


 僕が持っているものを。


 自分も欲しかった。


 それだけだった。


 記憶が消える。


 教室が静かになる。


 僕は立っていた。


 しばらく動けなかった。


「……澪」


「うん」


「僕、あいつに謝るべきかな」


 澪は少し考えた。


「何を?」


「わからない」


「じゃあ、今は謝らなくていいんじゃない?」


「そうなのか?」


「謝ることがないのに謝ったら、それはそれで変だよ」


 僕は少し笑った。


「お前、たまに冷たいな」


「そう?」


「もっと『仲良くしよう』とか言うと思ってた」


「それは、私が決めることじゃないよ」


 澪はそう言った。


「仲良くなるかどうかは、二人で決めることだから」


 僕はその言葉を聞いて。


 少しだけ、澪を見直した。


 優しい人は。


 何でも助ける人だと思っていた。


 でも。


 本当に優しいというのは。


 相手の人生まで、自分の思い通りにしないことなのかもしれない。


   ◇


 学校を出る。


 夜風が冷たかった。


「なあ」


「うん?」


「僕を嫌ってる人がいるって、嫌なことだと思ってた」


「うん」


「でも、今日ちょっと違った」


「どう違った?」


「僕を嫌う理由が、僕の悪さじゃない場合もあるんだなって」


 澪は頷いた。


「人は、理由があっても人を嫌うし、理由がなくても嫌うよ」


「怖いこと言うなよ」


「でも」


 澪は笑った。


「逆も同じだよ」


「逆?」


「理由がなくても、人を好きになることがある」


 僕は少し考えた。


 それは確かに。


 不思議な話だった。


 人間は。


 嫌う理由を探すこともできる。


 好きになる理由を探すこともできる。


 でも。


 理由を探している時点で。


 その人を、自分の中の物差しで測っている。


 僕は夜空を見上げた。


 星はほとんど見えなかった。


 それでも。


 暗い空のどこかには、星がある。


 見えないからといって、ないわけではない。


 人の心も。


 きっと同じだ。


 僕には見えない感情がある。


 僕を嫌っている人にも。


 澪にも。


 そして。


 僕自身にも。


 僕はまだ。


 自分の心の全部を知らない。


 だから。


 「僕は悪くない」という言葉が。


 少しだけ。


 怖くなった。


 それは僕を守ってくれる言葉だった。


 でも同時に。


 僕自身の中にあるものを。


 見えなくする言葉でもあった。


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