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心の闇があらわれる  作者: 和泉 きよ


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13/24

13.優しい人間の闇

 優しい人間は、嫌われにくい。


 当たり前のことだと思っていた。


 困っている人を助ける。


 誰かが一人なら声をかける。


 落としたものがあれば拾う。


 悪口を言わない。


 怒らない。


 笑顔でいる。


 そういう人間は、たいてい好かれる。


 だから僕は、優しい人間というのは得だと思っていた。


 少なくとも。


 優しくない人間よりは。


 ずっと生きやすい。


 けれど最近。


 僕は、その考えが少しだけ間違っているような気がしていた。


 優しさにも。


 たぶん、代償がある。


   ◇


 昼休み。


 教室の前のほうで、女子が一人、机の横にしゃがんでいた。


「大丈夫?」


 誰かが聞いた。


「うん、大丈夫」


「でも顔赤くない?」


「ちょっとだけ」


「保健室行ったほうがいいよ」


「平気だって」


 そこへ、別の女子がやってきた。


「先生呼んでくる?」


「大丈夫だよ」


「でも……」


「本当に大丈夫」


 そのやり取りを見ていた僕は、なぜか妙な気分になった。


 誰も悪くない。


 むしろ、みんな優しい。


 具合の悪そうな人を心配している。


 それなのに。


 その「大丈夫?」という言葉が、少しだけ重たく見えた。


 大丈夫ではないと言ったら。


 この人たちはどうするのだろう。


 もっと心配する。


 先生を呼ぶ。


 保健室へ連れていく。


 もしかしたら、本人が望んでいないことまでしてしまうかもしれない。


 優しさは。


 相手のためだけにあるものではないのかもしれない。


 助ける側が「助けたい」と思った瞬間。


 そこには、助けられる側の意思とは別のものが生まれる。


 僕はそのことを考えていた。


 すると。


 教室の後ろから澪が立ち上がった。


 具合の悪そうな女子に近づく。


 ただ、少し離れたところに立った。


 必要になったらすぐ助けられる距離。


 僕はそれを見ていた。


 そして思った。


 ――ああ。


 こいつは、押しつけないんだ。


 少しだけ。


 見直した。


   ◇


 放課後。


 僕は図書室にいた。


 宿題をやっているふりをしながら、昼間のことを考えていた。


 優しさとは何だろう。


 助けることか。


 見守ることか。


 相手が望むことをすることか。


 それとも。


 相手が望んでいなくても、その人のためになることをすることか。


 答えは出なかった。


 僕は昔。


 人を助けることが好きだった。


 困っている友達がいれば、声をかけた。


 委員会で誰かが困っていれば、自分がやった。


 みんなで何かをするときは、自分から動いた。


 それで褒められると嬉しかった。


 だから。


 僕は「優しい人間だった」と思っている。


 でも。


 もしかしたら。


 僕は。


 必要とされる自分が好きだっただけなのかもしれない。


 そう考えると。


 昔の自分まで、少し嫌いになった。


   ◇


 夜。


 澪と合流した。


「今日は遅かったね」


「図書室にいた」


「何してたの?」


「考え事」


「珍しい」


「お前、僕を何だと思ってるんだ」


「ずっと何か考えてる人」


「それはそうかもしれない」


 澪が笑う。


 僕も笑った。


 こういう会話は楽だった。


 昼間なら、僕たちは他人だ。


 でも夜なら。


 僕たちは、僕たちでいられる。


「今日ね」


 澪が言った。


「闇、出ると思う」


「わかるの?」


「なんとなく」


「なんとなくでわかるのかよ」


「毎日見てるから」


「便利な能力だな」


「能力じゃないよ」


 澪は笑った。


「ただの経験」


 その直後だった。


 体育館のほうから、何かが落ちる音がした。


 僕たちは顔を見合わせる。


 体育館へ向かった。


 扉を開ける。


 誰もいない。


 けれど。


 中央に。


 黒いものが立っていた。


 闇。


 今まで見たものよりも。


 ずっと静かだった。


 動かない。


 襲ってこない。


 ただ。


 体育館の隅に置かれたボールを見ている。


「変なの」


 僕が言う。


「うん」


 澪も構える。


 僕たちが近づくと。


 闇の中から声が聞こえた。


 ――助けなきゃ。


 僕は足を止めた。


 ――私が助けなきゃ。


 また聞こえる。


 ――私がいないと。


 ――この人は困る。


 ――私がいないと、何もできない。


 ――だから。


 ――私から離れないで。


 僕は澪を見た。


 澪も闇を見ている。


「……これ」


「うん」


「前にも似たようなのがあったな」


「そうだね」


 闇はゆっくりと膨らんだ。


 その中から、一人の女子生徒の姿が浮かんだ。


 友達の荷物を持っている。


 ノートを貸している。


 忘れ物を届けている。


 相談に乗っている。


 何でもしている。


 相手は笑っている。


「ありがとう」


 そう言って去っていく。


 残された女子生徒は、一人になる。


 そして。


 小さく呟く。


 ――よかった。


 ――まだ必要とされてる。


 僕は胸が詰まった。


 これは。


 優しさだ。


 間違いなく。


 誰かを助けている。


 誰かの役に立っている。


 でも。


 その奥には。


 ――必要とされなくなるのが怖い。


 という気持ちがあった。


 僕は思った。


 それは。


 悪いことなのだろうか。


「澪」


「なに?」


「これ、悪い人なのか?」


「わからない」


「でも、相手を助けてる」


「うん」


「なのに、闇になる」


「うん」


 澪は銃を構えた。


「だからって、助けることが悪いわけじゃないよ」


「……」


「たぶん、この人は」


 澪は闇を見つめた。


「助けることをやめたら、自分までいなくなっちゃうような気がするんじゃないかな」


 僕はその言葉を聞いて。


 なぜか。


 嫌な予感がした。


「それって」


「うん?」


「誰かを助けることが、自分を守ることになるってことか?」


「たぶん」


 僕は澪を見た。


 澪は闇を見ていた。


 その横顔は、いつもと変わらない。


 でも。


 僕は突然。


 昼間の澪を思い出した。


 誰かに呼ばれれば答える。


 困っている人がいれば助ける。


 誰かが落ち込んでいれば声をかける。


 誰かが一人なら、放っておけない。


 そして。


 学校中の人間が。


 澪を「優しい人」だと思っている。


 僕は。


 初めて。


 そのことを怖いと思った。


「どうしたの?」


 澪が聞いた。


「いや」


 僕は首を振った。


「なんでもない」


 闇が動く。


 僕たちは武器を構えた。


 戦いは短かった。


 闇が大きく揺れ。


 僕の弾丸が、その中心を貫いた。


 黒い塊が崩れていく。


 そして。


 いつものように。


 誰かの記憶が流れ込んできた。


 助ける。


 ありがとうと言われる。


 必要とされる。


 安心する。


 また助ける。


 また必要とされる。


 その繰り返し。


 そして最後に。


 誰かが別の人に助けを求めた瞬間。


 ――どうして私じゃないの。


 その感情が。


 闇の中に残った。


 僕は目を閉じた。


 闇が消える。


 体育館に静寂が戻った。


「終わったね」


 澪が言った。


「ああ」


 僕は答えた。


 けれど。


 僕の頭の中には、別の疑問が残っていた。


 優しい人間は。


 優しいから闇を持つのか。


 それとも。


 闇を隠すために、優しくなるのか。


 どちらなのだろう。


   ◇


 帰り道。


 僕たちは並んで歩いた。


「なあ」


「うん?」


「澪はさ」


「なに?」


「誰かを助けるの、好き?」


 澪はすぐには答えなかった。


「……好きだよ」


「本当に?」


「うん」


「必要とされたいから?」


 澪が足を止めた。


 僕も止まった。


 夜の道路には、車が一台走っていった。


 その音が遠ざかる。


「それもあるかもしれない」


 澪は言った。


 僕は少し驚いた。


「否定しないんだな」


「だって、本当だから」


「じゃあ」


 僕は聞いた。


「もし誰にも必要とされなくなったら?」


 澪はしばらく黙っていた。


 そして。


「わからない」


 と言った。


 それだけだった。


 僕はそれ以上、聞かなかった。


 聞いてはいけない気がした。


 その夜。


 僕は初めて思った。


 もしかすると。


 僕が毎晩、闇を倒しているのは。


 誰かを救うためだけではないのかもしれない。


 闇を知ることで。


 僕は人間を理解したつもりになっている。


 人間より少し高いところから。


 人間の心を眺めているつもりになっている。


 でも。


 本当は。


 僕もその中にいる。


 妬む。


 怒る。


 見下す。


 寂しがる。


 認められたがる。


 必要とされたいと思う。


 それなのに。


 僕はまだ、


「僕は悪くない」


 と言っている。


 それはたぶん。


 僕が自分の闇を見ないための。


 いちばん簡単な言葉だった。


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