8話 六年前の
生徒会への対抗策、と言うよりは、文化祭についての学校のあり方の部分だけど。あまり思いつかない。
如何にすれば文化祭での発表にこぎつけるのだろうか。
そもそも、それを早織先生が目指している理由は俺にはわからない。ただ、協力関係にあるから、こうも必死になって考えているのだ。
六年前の資料を見るべきか……。
幸い俺は読書部なので、そういった資料を手に入れるのは容易い。当時の生徒会新聞や放送部の原稿、あとは学校通信なんかにも記載がありそうだ。
目星をつけて、俺は図書室の中を探し始める。
「これ」
『生徒会新聞 第百十〜百十九号』と、まとめられたファイルには書かれていた。一年分の新聞がこれに綴じられているのだ。って……。
「何してるんだ。明」
俺にファイルを渡してきたのは明だった。
「? 探してないの」
心配とも疑問とも違う、よくわからない表情をする。
「これは俺の問題だ。明は上の二人に勉強を教わってきなよ」
ここから去るように促す。明まで、怪しい調べ物をしているとは思われてほしくない。
「大変そうだったから手伝うのは私の自由。これ、違うの」
はぁ、言っても折れないのも昔から変わらない。何を考えているかわからない上に何が目的かもわからない。
「ああ、助かる。でも、深入りしすぎるなよ」
最低限の忠告をしておく。明を止めるのは難しい。
「了解」
俺と明は、とにかく探し出せるだけの資料を探した。
放課後の短い時間でここまで集められたのは、勿論明のおかげだ。
「いろいろ重複がありそうだな……」
特に、生徒会新聞の文章はいろいろな書面で引用されていた。
『六月八日の生徒会会議では、部長自らダンス部の発表を文化祭で行いたいと話した。ダンス部は今年四月に発足した新たな部活だ。できて日も浅い文化部に発表の機会を設けるのは難しいと、我々の見解を説明した。』
生徒会新聞第百十二号で述べられていた内容だ。六月八日の会議から始まったみたいだ。
放送部の原稿にはこうあった。
『昨日の生徒会会議では、体育祭の最終打ち合わせや、文化祭の概要について議論がなされました。また、ダンス部は文化祭で発表の機会を設けてほしいと生徒会に意見を出しました。生徒会側は、できたばかりの文化部に発表の機会を設けることは難しい、としています。今後の議論にも注目です。』
生徒会側はかなり一貫しているみたいだ。当時は新聞部も放送部も生徒会の傘下にあったことも原因かも。
その次に行われた生徒会会議は六月十五日だ。生徒会会議は週に一回、それも月曜日に行われていたらしい。
『次の会議では、大きな進展があった。ダンス部は正式に企画書を提出し、文化祭での発表を目指す強い意志を表明した。企画書にはダンス部のレッスンの改善策やスケジュール調整、実際のパフォーマンスについての意見が述べられていた。我々は、実際にそれを実行したうえで、良質なパフォーマンスを提供できるのであれば検討するとした。』
これも生徒会新聞の内容だ。放送部の原稿にも同じようなことが書かれていた。
企画書を作成、提出したが、まともに相手をしてもらえたわけじゃなさそうだ。
少し飛んで、七月一日の放送。
『次はダンス部の文化祭参加に関連する情報です。ダンス部は先日より活動内容が一部変更され、より厳しいものとなりました。ダンス部員への聞き取りによると、厳しくなったが文化祭に参加するためにはやむを得ないという意見が多かったほか、生徒会には適切な判断をしてほしいとの声も上がりました。最初に提案がされて一ヶ月になりますが、ダンス部と生徒会の話し合いは滞っており、どちらも譲れない姿勢を見せています。』
実際に実行された後の話だとわかる。生徒会はそれでも立場を変えなかった。
これ以降は八月の終わりまで大きな情報が語られることはなかった。
『ダンス部の練習も体育館や教室等で見慣れたものとなった。ダンス部の活動を認知した生徒が多くなり、学校中で、文化祭に参加させろと声が上がっている。ダンス部が署名活動を行うことも考えられるだろう。しかし、ダンス部からは二名が退部をした。突然ハードになった活動が苦しくなったのだろうか。この戦いの終結も、もう近いのかもしれない。』
これは七・八月合併号、生徒会新聞。学校中で運動が起こっていたみたいな書き方だ。生徒会側に立っている人間はこの時点でかなり少ないのかもしれない。
九月号はどれだけ探しても見つからなかった。紛失してしまっているのか、司書の先生に聞いても場所はわからなかった。
十月号。
『様々な騒動があったが、ダンス部は無事に文化祭で発表を行うことができた。あのダンスとても美しく筆舌に尽くしがたいものになったのは、ダンス部長の大きな決意と、その決断にめげずについてきた部員達の努力成果だと考える。また、新生生徒会の動向にも注目していきたい』
本来、生徒会は十月の終わりに生徒会役員選挙が行われ、十一月から後期生徒会となるわけだが、月の終わりに刊行される生徒会新聞が新生生徒会について述べているのは、早めに生徒会が変わったということで、古川先生が言っていたことと一致する。
九月と十月の間に何かがあったことは確かだ。この書き方では、署名活動以外にもあの状況を変えた理由がありそうだ。
どうして生徒会は早々に降板してしまったのだろうか。




