第3部8話 旧友は刃を向ける
「結…?」
結の言葉が信じられなかった。
来ないで?
何を言ってるんだ…。
「結…パパだよ、ママが待ってるよ…帰ろう」
蓮の声は震えていた。
娘が自分を拒むなど考えもしなかった。
声を掛けても結の瞳は虚ろだった。
「……楽しいよ、壊すの」
虚ろな瞳のまま、結が呟く。
その時だ、背後にこれまで感じたものとは比べ物にならない禍々しい殺気を感じたのは。
瞬間、背中に痛みが走る。
「…ッ‼︎」
音もなく、振り返る余裕もなく、切られていた。
蓮はその場に膝をついた。
一瞬、こんな一瞬で俺を切りつけられるのなんて…。
蒼真が居ない今——あいつしか、いない。
「……紫苑…?」
旧友の名を、思わず口にした。
「変わんねぇなぁ、蓮」
びゅっと空を裂く音。
振り返るより早く、刃が迫る。
——重い。
受け止めた瞬間、腕に鈍い衝撃が走った。
「その受け方……まだ癖、抜けてねぇのか」
低く笑う声。
目の前にいるのは、かつて隣で剣を振っていた男。
「……全部、お前かよ、紫苑」
紫苑はニヤリと、不気味に笑った。
「何もかも、壊す」
「この世は脆い」
黒い光が、紫苑の身体を包み込んでいく。
じわじわと圧が増す。
押される。
刃が、押し返されていく。
——まずい。
このままじゃ——
紫苑の瞳が、僅かに細まった。
「……守る、か」
その一言に、かつての面影はなかった。
ただ、冷たいだけの声。
「遅ぇんだよ」
——これが、紫苑の選んだ力か。
「守るなんて綺麗事だ」
「お前1人で何が出来んだ」
紫苑の刃を押す力が増していく。
「…ぐっ…」
このままじゃ、押し切られる。
蓮がそう思った瞬間だった。
「……一人じゃない」
言葉共にビュンッと紫苑の背後から刃が空気を切り裂く。
それを軽々と紫苑はかわすとニヤリと笑った。
「蓮さん、ダサいっすよ」
床に膝をつく蓮に軽口をつく奏。
だが、その目は鋭く光っていた。
「…奏」
「足手まといはあんたかもね」
と、奏はふふんっと得意げにする。
「いや、おまえなぁ!」
なんでここに居る、陽葵はどうした!と蓮が詰め寄る。
「天音さんが陽葵さんについてますよ」
「そんな事より…」
奏は紫苑へと眼を向けた。
「あの人、あんたより強いわけ?」
じとっと奏は紫苑を睨みつけた。
奏は紫苑との面識がない。
「…互角、恐らく」
「じゃあ、蒼真さんとなら?」
「…互角だろ」
昔の事でしか言えないが…。
だが、恐らく奏は紫苑に敵わない。
俺が紫苑の動きに間に合ってない。
「何人来ようと、勝てねぇよ」
冷たい声で、紫苑は呟いた。
—その瞬間。
紫苑が距離を詰め、刃を振り下ろした。
—キィィィン。
刃を受け止めたのは奏だ。
受け止めた刃をそのまま振り抜こうとし、隙が出来た。
その隙を見逃さず、紫苑が奏の肩を突き刺す。
「…っ!!」
刺されたと感じた瞬間、奏の身体は床に叩きつけられていた。
—速い。
何が起こったのか奏は理解する事が出来なかった。
「甘いんだよ」
倒れた奏の横にいつの間にか紫苑がいる。
そして、そのまま奏の腹部へとなんの迷いもなく、刃を突き立てた。
「奏ッ!!」
叫びながら、蓮が振り抜いて行く。
一撃、二撃、三撃と繰り出すも、紫苑はその全てを軽々と交わしていく。
「本当に、お前は変わんねぇな」
スっと紫苑は蓮の背後へ回ると、そのまま蓮を蹴り飛ばした。
「……ッ!!」
蹴り飛ばされた衝撃ですぐに立ち上がる事が出来ない。
攻撃が通じない…いや、読まれているのか?
「…全部、読まれてる」
奏は腹を押さえながら、歯を食いしばった。
蓮も同時に気付く。
「癖、か…」
紫苑は、わずかに口角を上げた。
奏は少し考えながら、ゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ——崩しましょう」
「……どうやって」
「蓮さん、蒼真さんが橘さんに1度だけ勝ったの覚えてます?」
—覚えてる。
訓練生時代の…蒼真と奏がやらかしばっかして、俺たち3人の誰かが橘さんに勝負で勝たなければ、今度ばかりは許さない。と怒られた…。
あの時の、蒼真の動き…。
「で、お前そんな傷で動けんのかよ」
「そっちこそ……まぁ、こんな所で諦めらんないんすよ、俺」
剣を握りしめながら、奏は蓮を真っ直ぐに見つめた。
「蒼真さんに、蓮の背中はお前が守れ。って託されたんで」
「…え」
次の瞬間、奏が飛び出した。
さっきまでとは違う、不規則な動き。
出遅れた蓮は奏の一瞬のズレに踏み込む。
紫苑の刃が、わずかに遅れた。
「戻ってこい、紫苑!」
「遅えんだよ、何もかも」
奏と蓮の連携が噛み合って行く。
ほんの一瞬の隙。
「——ッ!!」
蓮の刃が、初めて紫苑を捉えた。
紫苑の身体から血が、舞う。
「面白ぇな、それ」
紫苑は笑っている
—その瞳は、まだ余裕を失っていない。




