第九十五話:天海の撤退と、二つの世界の「天狐」
第九十五話:僧侶の撤退と、二つの世界の「天狐」
「……この術、もしや『天狐』の仕業か。この異世界にも、あの高貴な狐が存在するとはな……」
蒼い桔梗の羽織を纏った僧侶は夜空を埋め尽くした極光と白狐の群れを見上げ、苦々しく呟いた。その隣で、漆黒の鎧武者が重厚な声を漏らす。
「……以前、別の異界で戦うた折にも、同様の加護を目の当たりにしましたな。確か....巨大な髑髏を操る姫の陣に、天狐がおりました」
「ふむ、何とも厄介な……。天海殿、奇襲はここまでじゃ。これ以上の消耗は『利』に非ず。一度引こうではないか」
杖を突いた老人の冷徹な判断に、天海僧侶は静かに火縄銃の列を下げさせた。
「……引き際か。よかろう。正一位の天狐、そして『プロデューサー』とやら。……次に会う時は、この世界の理ごと、我が法力で焼き切ってくれるわ」
霧が巻くように、三つの影と火縄の軍勢は忽然と姿を消した。
静まり返ったセントケベックの街道。
「……姉さん! アーシェ姉さん! よくぞ戻ってきてくれました!」
帝国騎士団の面々が、盾を掲げてアーシェの周りに歓喜して集まってくる。アーシェは剣を鞘に収めると、安堵の溜息をついて肩の力を抜いた。
「……皆、無事で何よりです。……それより、まったく、ベリさんっ!」
「…………面目ない」
ベリさんは、美形台無しなほどに項垂れていた。酒の匂いを漂わせ、アーシェの背中に守られたという事実は、元四天王としてのプライドを粉々に砕いていた。
『……ハァ。まぁ、いいよ。アーシェの独断とコンの遠隔支援で、被害を最小限に食い止めたのは「卒のない」結果だ。……ベリさん、お前の「禁酒契約書」は、後でコンに血判付きで作らせておくからな』
白玉越しにショータの呆れた声が響く。だが、その声のトーンはどこか険しかった。
(……別の世界でも「天狐」と戦ったことがある、か。……あの三人のバックボーン、俺の知っている戦国史だけじゃない「クロスオーバーしたバグ」の可能性があるな)
ショータは、天海と名乗った僧侶が残した言葉を反芻していた。
「複数の異世界」の概念が混ざり合う最前線。
一行は束の間の勝利に浸る間もなく、火縄銃対策の「本格的なアップグレード」と、敵の正体を暴くための更なる調査へと乗り出すことになった。




