第八十二話:黄昏の解析と、墜ちてくる「狂気」
第八十二話:黄昏の解析と、墜ちてくる「狂気」
「……よし。ルシファーの離職票(辞表)は、本人自ら破り捨てて帰っていったな。……あいつ、今頃魔王城で猛烈な『ポジティブ・ハラスメント』を撒き散らしてなきゃいいが」
天狐の社の縁側。ショータは現世の「離職防止」を逆説的に成功させた手応えを感じながら、ノートPCのログを閉じた。
一方の魔王城では、迷いを断ち切ったルシファーが、かつてない覇気を纏って帰還していた。
(魔王様の本心がどうあれ、解釈は私次第。……私は、この組織の理不尽すらも糧に、真の『個』へと至るのだ!)
その暑苦しいまでのやる気に、ベルゼと九尾は「……あ、あぁ。正気に戻ったのね(これでまた面倒な仕事を押し付けられるわ……)」と、別の意味で安堵の溜息をついていた。
帝国領の小高い丘。そこには、今や異世界全土の信仰を集める「正一位」天狐の社が鎮座している。
社から見下ろす帝国の華やかな街並みと、鏡のように静まり返る美しい湖。夕暮れの茜色と、闇夜の紺青が混ざり合う――昼と夜の境界、「逢魔が時」。
「……綺麗だな。現世のネオンとは違う、命の灯火って感じだ」
「ふふん、我の加護が隅々まで行き届いている証拠なのだ。……ショータ、たまにはこうして二人で空を眺めるのも、卒がなくて良いものだな」
コンが満足げに目を細め、隣のショータに寄り添おうとした、その時だった。
二つの月が浮かぶ夜空を、一条の光が切り裂いた。
それは願いを託すようなロマンチックな流れ星などではない。尾を引く光はどす黒く、大気を焦がす音は、まるで無数の亡者が叫んでいるかのような禍々しい不協和音。
「……っ!? なんだ、あの『ノイズ(狂気)』の塊は」
ショータの【世界の総支配人】の演算が、かつてないエラー値を叩き出した。計測不能。論理破綻。
「ショータ、嫌な気配がする……。あれは、魔王軍の魔力とも、神界の霊力とも違う……。もっと、ドロドロとした『悪意』の塊なのだ……!」
コンの尻尾が逆立ち、社の空気が一変する。
漆黒の流星は、帝都の遥か彼方――未踏の原生林へと、音もなく墜ちていった。
それが、異世界の生態系を根底から覆す「外宇宙のバグ」なのか。それとも、魔王すら制御不能な「神の失敗作」なのか。
「未知の競合相手」の出現を察知したショータ。
平和な祝宴の後に訪れる、異世界最大の「システム・クラッシュ」が、静かにその幕を開けようとしていた。




