隠された思惑 ―止める者―
アイゼルの声は落ち着いていた。
いや、落ち着きすぎていて怖いくらいだった。
"皇族の血を終わらせる"などと、恐ろしく重い言葉を吐いているにも関わらず。
「……マジで言ってんのか?」
「そもそも、世襲制という考え方が古いと思っている。実力主義の我が国らしく、最も相応しい人間が帝位につけばいい」
これは、思いつきではない。
冗談でも、勢いでもない。
長い時間をかけて辿り着き、何度も自分の中で確かめた答えなのだと、その声音だけでわかった。
「私が玉座に座っているのは、現状最も皇帝としての能力を有しているからだ。能力さえあれば、直系の血統など必要ない」
「必要……なくは、ねぇだろ。響術の継承だってある」
「響術は、国を治める為に必ずしも必要ではない。アルナゼル王国では王位継承の条件らしいが、帝国にそんな法は存在しない」
ノクスの意見は、アイゼルに容赦なく切り捨てられた。
実力主義という考えも、相応しい人間が上に立つべきだという考えも、否定はしない。
ノクス自身も、ずっとその考えは持っていた。
しかし、だからといって血を絶やす必要まではないだろうと言いかけて、止まる。
……薄々、気づいている。アイゼルが、何故血を絶やしたいのか。
それでも、自分の口からは言えなかった。確信がないからだ。
それに、それが本当ならば——もっと、残酷な事実に辿り着いてしまう。
言えない。
言いたくない。
知りたくない。
——それでも、確かめたかった。
相反する心に、目眩がしそうだった。
そんな葛藤に気づいているのか、アイゼルは踵を返し、窓辺へと寄る。
相変わらず雪が降り続ける空を眺め、まるで独り言のように呟いた。
「……私の父は、かつては立派な皇帝だった」
ノクスは無言でアイゼルを見る。
先帝について、アイゼルが私情を交えて口にすることはほとんどない。
だからこそ、その続きを促すことも出来ず、ただ黙って待つしかなかった。
「だが、私が五歳の時、変わった。流行病で私の母を——最愛の妻を喪ってから、父はどんどん狂っていってしまった」
——胸の奥が、嫌な音を立てた。
これから語られるものが、自分の予想を裏付けるものだと、わかってしまったからだ。
「私にも、父と同じ血が流れている。いつ何をきっかけに、暴君に堕ちるかわからない」
もし父親が最初から暴君だったのなら、自分は違うと思えたかもしれない。
しかし、そうではなかった。
狂っていく過程を、すべて見てしまった。
だからこそ、この血を恐れた。
「だから妃を娶ることも、子を残すこともしない。そして私が狂う前に、全て後継者に譲るつもりで準備している」
「……絶対に狂うとは、限らねぇだろ」
「無論、絶対ではない。だが程度の差はあれど、暴政に走った皇帝は過去にもいる。可能性は潰しておくべきだ」
絶対ではないとは言うが、可能性が低いとも考えていないのだろう。
そうでなければ、ここまでの準備をしたりしない。
狂った時の準備を、ここまで念入りに進めているのならば——……
(俺は……何のために、側に置かれてる?)
浮かんできた考えに、息を呑んだ。
冷たい汗が一筋、背中を伝う。
辿り着いてしまった。最悪で、残酷な、答えに。
「俺を、鍛えたのは……何のためだったんだ……?」
震えを押し殺すような声で、ノクスは問いかけた。
護衛として使うためだと、そう言ってほしかった。
いっそ、制圧に使うためと言われても良かった。
アイゼルはしばらく黙り、やがて振り返った。
そして数歩近づくと、静かに告げる。
「貴様は保険だ」
その言葉に、ノクスは血の気が引くのを感じた。
さらに、それに追い打ちをかけるように、アイゼルは続ける。
「私が暴君に堕ちた時は、貴様が殺せ」
その声には、強い感情などなかった。
悲壮感も何もない、ただ、事実として淡々と告げられた。
最初から、決まっていたというように。
ノクスの胸に落ちたのは、怒りよりも、喪失感のようなものだった。
「殺せ?……何、言ってんだよ……?」
……最悪だ。
予想していた中でも、一番言われたくなかった言葉に、身体の震えが止まらなかった。
ノクスの様子に気づきながらも、アイゼルはその言葉を撤回することなく続ける。
「先帝の暴政が長引いた理由は単純だ。止められる人間が居なかったからだ。
実力だけで言えば、私は父に届いていた。……だが、殺せなかった」
その声に、大きな感情は滲まない。
けれど、その僅かな沈黙だけで十分だった。
「皇太子として止めるべきだと理解していても、最後まで“父を殺す”という発想には至れなかった」
——否。
殺したくなかったのだ。
幼い頃に見た父の姿が、胸の奥に微かな希望を残してしまっていた。
「だから、必要だった。私を殺せる存在が」
そして、アイゼルは静かにノクスを見る。
「誇張ではなく、今や貴様は世界最強の魔術師だ。魔術だけなら、私より勝っているだろう」
「だからって、それであんたに勝てると思ってんのか……?」
「躊躇わなければな」
間髪入れずに放たれた言葉に、ノクスの喉が詰まった。
確かにノクスの魔術は、この二年でさらに磨きがかかっている。
正面からぶつかればアイゼルに敵うはずもないが、遠距離で魔術戦に持ち込めば勝率は0ではない。
共鳴波を感知できるノクスなら、響術への対処も可能だ。
——だからこそ、アイゼルは言っているのだ。
「我が国の軍も確かに強い。ここ数年で、更に実力は跳ね上がった。
……だが、軍の上層部ほど、私への傾倒が強すぎる」
帝国の人間は、程度の差はあれど、その多くがアイゼルに強く傾倒している。
特に、貴族よりも軍人のほうが、その傾向は強かった。
仮に暴君となったアイゼルを止めようとしても、刃を向けたその瞬間、ほんの一瞬でも手が止まるだろう。
だが、それはこの男を相手にするには致命的だ。
一切の躊躇なく殺せる人間にしか、彼を止めることなど出来ない。
「だから、この国の人間じゃなくて——しかも、魔術の才能があった俺を、鍛えたって言いてぇのか……?」
「有事の際、迷わず私を殺せる人間が必要だった」
「ふざけんな!!」
何言ってんだ、この人は。
俺なら、躊躇いなく殺せる——だと?
本気で言ってんのか……?
人質同然で連れてこられたこの国で、ただ“使われるだけ”で終わらなかったのは。
一度も、孤独を感じることがなかったのは。
軍や、城の人達に受け入れられたのは。
恐ろしいほどの才能を恐れることなく、正しく使いこなせるようになったのは。
報復を果たせるほど、強くなれたのは。
——全部……あんたの、せいだろうが。
——それで、どうして……
(どうして、俺が、あんたを慕わないなんて……思えたんだよ)
拾ったのも、鍛えたのも——
全部、あんたの目的のためだったとしても。
出来るわけねぇだろ。
一人の人間として必要とされたことが、どれほど俺を救ったと思ってんだ。
すべてを知ったこの瞬間ですら、利用されたなんて思えない。
そんな自分に、一番驚いていたのは俺自身だった。
だから……
「……殺してなんて、やらねぇ」
「何?」
低く返したアイゼルの声に、ノクスは掴みかかった。
「あんたは死んで終わりかもしれねぇけどな!?その後に残された国はどうすんだよ!」
「そのために後継を育てている。制度も概ね整った。それに、政治にも軍にも精通し信頼されている貴様がいれば——」
「俺に押し付けんな!!」
アイゼルの言葉を遮るように、ノクスは怒鳴る。
声が、震えている。
掴む手に力を込めながら、ノクスは鋭くアイゼルを睨みつけた。
「あんたの国だろ!?あんたがここまで住みやすい国にしたんだろ!?だったら最後まで責任持って見届けやがれ!」
「だから、これは私が狂った場合の保険だと……」
「死ぬ選択肢を当然のように持つなって言ってんだよ!」
その言葉に、アイゼルの動きが止まる。
一瞬、動じることのないその瞳が驚愕に揺れた。
……否定されるなど、微塵も思っていなかったかのように。
「俺は絶対殺してなんかやらねぇからな!?狂いそうになったら、ぶん殴ってでも正気に戻してやる!」
「な……!?」
「おかしくなる前に、何度だって俺が止める!だからこの国はあんたが護れ!俺は、あんたの補佐しかする気はねぇ!」
言い切ったあと、ノクスは荒い呼吸のまま、大きく息を吐いた。
アイゼルの服を掴む手が、震えている。
開きかけた口を閉じては、また開く。
言葉が、うまく紡げない。
アイゼルは、その姿から視線をそらすことなく、ノクスの言葉を待った。
しばらくして、力が抜けたようにノクスは手を離し、俯きながら、口を開く。
「……俺を……当然のように、置いていこうとするな……」
空気に混じってしまうほどの小さな声だった。
それは、もう怒りではなく。
咄嗟に溢れた「本音」だった。




