眠る資源と、埋もれた才【後編】
執務室は、朝日が淡く差し込み、氷を思わせる静けさに包まれていた。
昨日、使いの者が報告してきた内容が、アイゼルの手をわずかに止めさせる。
「納期前ですが、既に完成していると申しておりました。いつでもお見せできる、と」
使いの言葉を思い返しながら、アイゼルは手元の書類に署名を入れる。
真面目な職人ではあったが——この速度は予想以上だ。
(……よほど、腕が良いのだろう)
書類をまとめ終えると、アイゼルは軽く指先を鳴らした。
音が廊下へ抜けた瞬間、すぐに足音が近づき、控えていた臣下の男が姿を見せる。
この部屋での呼び出しに、彼らは常に即応できるよう待機しているのだ。
「例の職人を呼べ。転移陣を使って構わない」
「はっ」
返答とともに、臣下はすぐその場を離れていった。
静かな執務室に、再び紙をめくる音だけが落ち着いて響く。
書類の確認を数件終えた頃、窓辺の光が少し傾いたのに気づく。
氷壁のように張りつめていた空気は、いつの間にか穏やかになり、湯気の立つ茶の香りがほんのりと広がっていた。
カップに口をつけようとした瞬間——
控えめなノックが扉を叩いた。
「殿下。お連れいたしました」
「通せ」
扉が静かに開かれる。
そこに立っていたのは、緊張で肩を硬くしている宝飾職人だった。
礼服に慣れていないのが一目でわかるが、それでも“最善を尽くした”身なりが好ましい。
ぎこちなくも丁寧な挨拶に、アイゼルは「固くなるな。公式の場ではない」と言葉を掛けた。
だが職人の背筋は、さらに伸びた。
(……無理もないか)
そんな内心の苦笑を押し隠しつつ、アイゼルは差し出された黒箱に視線を落とした。
黒箱の蓋が静かに開かれる。
中には、研ぎ澄まされたような光を帯びた魔晶石が収められていた。
アイゼルは箱を受け取り、指先でそっと持ち上げる。
光を透かす角度を変えるたび、内部を巡る魔力の流れが滑らかに揺れた。
粗さも、淀みもない——見た目の美しさだけではなく、“魔力道”そのものが整えられている。
ほんのわずか、口元が緩む。
「……上出来だ」
その一言に、職人の顔がぱっと明るくなる。
アイゼルが軽く視線を送ると、ノクスが心得たように革袋を差し出した。
「追加報酬だ。受け取れ」
職人は慌てて両手で受け取るものの——
次の瞬間、袋のずしりとした重みに目を丸くする。
「こ、これは……殿下、あの……!」
「正当な報酬だ」
アイゼルは淡々と告げた。
「腕の良い職人には、それに見合う対価を払う。それだけだ」
職人は言葉を失い、何度も頭を下げながら革袋を抱え直す。
「詳細はまだ極秘だが——いずれ、加工技術を必要とする場面が来る。その時には、また依頼をしたい」
呼吸が止まったような一瞬ののち、職人は深く、深く頭を垂れた。
「……はっ。謹んで、お受けいたします……!」
緊張と誇りが入り混じった声に、アイゼルは満足げに頷いた。
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「——随分と機嫌がいいですね」
職人が帰った後、魔晶石を眺めるアイゼルにノクスは言った。
アイゼルは一度それを黒箱に戻すと、口元に笑みを浮かべながら答える。
「当然だ。まさか我が国に、これほどの職人がいたとはな」
魔晶石は他の宝石とは密度や質が大きく異なり、加工は難しい。
しかしあの職人は、店内で見た宝石と遜色ない加工を施していた。
しかも、美しく見せるだけではなく、魔力道が整うように調整までしている。
かなりのセンスだ。
「だが問題は、知識だな」
「知識?」
ノクスが聞き返すと、アイゼルは静かに頷いた。
「報酬に驚きすぎだ。あれは技術に対する正当な額を渡したに過ぎない。自分の価値を理解していなければ、搾取されるだけだ」
アイゼルは立ち上がり、窓辺へと歩く。
そして、雪が降り続ける景色の先にある、帝都を眺めながら呟いた。
「技術力だけではない。素材の価値や相場、商流について知ることも必要だ。……読み書きもあまり得意ではなかったように思える。もし契約書に難しい文字を使われれば、誤魔化されてしまう可能性もあるだろう」
独り言とも、ノクスに向けた話ともわからない声。
ノクスは黙って聞き続けた。
「それに、この技術がこの代限りで終わるのは惜しい。知識も含め、学べる場があれば良いのだが……」
そこでアイゼルはふと動きを止め、本棚へと向かった。
そこから一冊の資料を引き抜き、机の上に広げる。
「確か、トルヴァナ王国だったはずだが……。……これだ」
ノクスも横から覗き込むと、そこに記されていたのは【学術支援制度】という項目だった。
「学術支援制度?」
「読み書きや多様な知識、技術を学ぶための制度だ。以前の視察で見たことがある。……確か施設は“学校”と呼ばれていたな」
トルヴァナは農業国であり、天候や土壌、植物に関する教育が盛んだった。
さらに全員が必修で読み書きを学び、子供ですら自ら納品書を書いていた事を思い出す。
「実力主義と言いながら、我が国は平民が成れる職が限られすぎている。それは学ぶ機会がないからだ。身分を問わず通える“学校”を設立し、有能な者が活躍できる場を見つける。国力は確実に上がるはずだ」
もっともな考えだ。
しかし——。
「貴族の反発は、ありそうですね」
騎士団や魔術師団は様々な出自の者が混ざっているが、城で働く者たちは貴族ばかりだ。
特に一部の重鎮たちは、実力というより家柄を盾に威張り散らしている印象があった。
そこに平民が参入するとなれば、面白くはないだろう。
ノクスの言葉に、アイゼルは小さく笑う。
「わかっている。だがこのままでは国が腐る。父上が城の人事に関心が薄いのを良いことに好き放題しているが……実力のない者など、本来いらぬ」
アイゼルはそこで言葉を切り、窓の外へ視線を落とした。
降り続く雪の白が、どこまでも静かに帝都を覆っている。
理想はある。だが、現実にはいくつもの壁がある——そんな影が、ほんの一瞬その横顔に走った。
「これも、魔晶石の件と同じだ。本格的に進めるならば、皇帝である父上の許可が必要になる。納得させられる材料を集め、計画が固まってから進言すべきだろう」
「……これ以上仕事増やす気ですか? あんたでも倒れますよ」
「まだ許容範囲内だ。身体を壊すようなミスは犯さない」
その時——
廊下から慌ただしい声と足音が近づいてきた。
二人がそちらへ視線を向けた瞬間、扉が強めに叩かれる。
「殿下!職務中失礼いたします、急ぎのご報告がございます!」
「構わん、入れ」
扉が開き、皇帝付き侍従の一人が息を整えながら膝をついた。
そして、重すぎる報告を口にする。
「皇帝陛下が、戦場で——崩御されました」
耳を疑った。
だが皇太子に対して、しかも皇帝の死を偽るなど、あり得ない。
——一瞬、世界の音が消えた気がした。




