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未生獣 〜十八の冬を越えた魔法少女はいない〜  作者: 春凪一


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第七話 治りますから

 回収係の一日は、担架の点検から始まる。


 回収室に通いはじめて一週間あまりたったこの日、ミナトは朝の点検からチトセに付いていった。朝六時、医療棟の裏手の物置には八台の担架が並んでいる。チトセは一台ずつ広げて布の張りを確かめ、持ち手の留め具を締め直していく。緩んだままだと、運んでいる途中で担架が折れるのだという。実際に二度折れたことがあると、チトセは手を休めずに教えてくれた。


「二度目のときは載せていた方が落ちてしまい、もう砕けていたので、箱に入れ直すことになりました」


 話の中身に比べて、声の調子は少しも揺れない。ミナトは返事のかわりに、隣の担架を広げた。


「これ全部、一人でやってるのか」


「一人です。特区全体には回収係が三人いますが、居住区の担当は私だけですから」


「三人しかいないのか?」


「単因子型(モノ・コード)は数が少ないので」


 ミナトは反対側の留め具に指をかけて締めた。金具は硬く、指の腹にじんと痛みが残る。チトセは毎朝八台ぶんをこの小さな手で締めている。


 物置の入口には早瀬(はやせ)が立っていた。手を貸すそぶりは見せず、背筋を伸ばしてこちらを見ている。


「早瀬さんは手伝ってくれないのか」


「手伝うと、報告書の欄がひとつ増えてしまいます。『回収係の業務に対する隊員の介入』という欄です」


「そんな欄、本当にあるのか?」


「ありません。増やしたくないので、手伝いません」


 早瀬は表情を変えずに言い切った。留め具を締めていたチトセが手を止め、早瀬を見上げる。口の端がほんの少しだけ持ち上がった。チトセがかすかにでも笑うのを、ミナトはこのとき初めて見た。


---


 七時には地下の回収室へ下りる。


 冷えきった部屋で貼り替えの紙片を何枚目か貼り終えたころ、チトセがふと机を離れ、棚の片隅の前でしばらく動かずにいた。視線の先に、金属の箱がひとつ置かれている。


 識別番号の札も名前の紙片も貼られていない。ほかの箱と同じ規格の、同じ金属の箱で、札だけが欠けている。初めてここへ来た日も、目で追っていたのは紙片の名前と年齢だけで、札のない箱は数の外に置いたまま見過ごしていた。


 チトセが机に戻るのを待って、ミナトは箱を指さした。


「これは?」


「誰のものか分からなくなってしまった破片です」


 チトセは鉛筆を動かしたまま答えた。


「回収のときに箱へ収めきれなかった破片を、あとから見つけて拾い集めました。どなたの破片なのか見分けがつかないので、識別番号を振れませんし、紙片も貼れません」


「ずっと、ここに置いたままなのか」


「送る先がありませんから」


 ミナトは箱の前へ行き、両手で持ち上げてみた。ほかの箱よりずっと軽い。それなのに棚へ戻すとき指先がかすかに震えた。


「私は毎朝、その箱の前で困って立ち尽くしてしまいます」


 背中のほうでチトセが言った。


「ほかの箱には、私が困るからと言って名前を書いた紙片を貼れます。でも、あの箱には何も貼れないので、ただ立っています。毎朝、一度だけ」


 振り返ると、チトセはもう机に向き直り、次の紙片に鉛筆を走らせていた。



 処置室で朝の補給を済ませ、八時に食堂へ入ると、チトセはいつもの隅の席に、いつもどおり一人で座っていた。ミナトがその向かいにトレイを置くと、近くの卓の少女たちがいっせいにこちらを見て、すぐに目を逸らした。


「見られてますね」


「俺が見られてるだけだよ。もう慣れた」


「私も慣れています。誰からも見られないことには」


 言われてみると、少女たちの目はミナトの顔で止まり、お椀を両手で持ち上げたチトセの上は素通りしていく。


「回収係が食堂で誰かと向かい合って食べるのは、たぶんこれが初めてです。私の知る限りでは」


「迷惑だったか?」


「いいえ。お味噌汁の味が少し違って感じられます。いつもと同じはずなのに」


 隣の卓ではA級三番の石田リン(いしだ りん)が箸を止めてこちらを見ていた。目が合うと、リンはあわてて椀に口をつけた。


---


 九時、チトセのあとについて防壁のあいだの通路に出た。早瀬は数歩うしろをついてくる。


 風が吹き抜けるたびに、乾いたコンクリートの粉が足元で小さく舞う。戦闘のない日も、チトセは空の担架を一台引いてこの道を見回る。転がっている瓦礫はどけ、動かせない大きさのものは場所を覚えておく。暗いなかで担架を引いても、つまずかずに済むようにするためだ。


 通路の端で、何かが日の光を跳ね返した。


 指先ほどのガラスの欠片だった。チトセは担架を止め、手袋をはめた手でそれを拾って腰に下げた布袋へ入れた。


「……それ、誰の」


「分かりません」


 チトセは袋の口の紐を絞った。


「瓦礫が動くと、ときどき出てきます。いつの、どなたのものかは分かりません。それでも拾います」


 袋の底には同じような欠片がいくつも沈んでいた。どれもあの番号のない箱に入っていく分だ。


 少し先の道の脇に、根元から折れた標識が倒れていた。『第四区画 指定避難経路』。九月の夜に歯医者の壁で見たのと同じ書式の標識だ。チトセはここを通るたびに足を止めるのだという。この日も担架を止め、標識の前に立った。


「どうして、ここで止まるんだ?」


「ここで、四人の方を拾いましたから」


 チトセは標識に小さく頭を下げ、また担架を引きはじめた。ミナトは黙ってそのあとを追った。


---


 昼、チトセは三度目の襲撃の日に医療班から借りたままだった担架を、第一防衛線の裏手の平屋へ返しに行った。


 中には、二度目の襲撃の日に小林サキ(こばやし さき)の担架の脇で手を止めていた白衣の医師が、二人ともそろっていた。黙って担架を受け取ったあと、一人がチトセの手袋に目を留めた。擦り切れて糸がほつれている。その医師は何か言いかけたが、口を閉じて奥へ戻っていった。


 平屋を出たところで、チトセが足元の瓦礫に足を取られた。


 体を支えようと崩れたコンクリート壁の角に手をつく。手袋の縁と袖口のあいだにのぞいていた左の手首が、角に擦れて裂けた。赤い血がにじんでくる。


 ミナトは咄嗟にチトセの腕を掴んで引き起こしたが、魔力が抜けていく感じは少しもしなかった。


「……大丈夫です」


「血が出てるぞ」


「切れば、血は出ますから」


 チトセは左の袖をまくり上げた。前腕に、古い包帯が巻かれたままになっている。サキの箱を内地へ送り出した朝、袖口からのぞいていた包帯だ。


 少しずらすと、古い傷が今日の傷のすぐ隣に並んだ。


 古いほうはようやく赤黒いかさぶたになりかけたところだった。縁は赤く腫れている。透明なガラスも、白く濁った結晶も、どこにも見当たらない。


 この三週間でミナトが見てきた裂け傷は、どれも縁からガラスに変わっていた。リンの肩も、サキのすねも、三日前のB級の子のすねも。


「……結晶化してない」


「しませんから」


 チトセは今日の傷を袖口で押さえた。


「魔法を使えないので、身体から削れるものがないのだと思います」


「普通に治るのか?」


「はい、普通に治ります。ただ、とても時間がかかります。十日前の傷も、まだこのとおりですから」


 この十日間、チトセはその腕で担架を引いてきた。


「治りますから」


 チトセはそう言って、通路のほうへ歩き出そうとした。


 ミナトは追いついて、その小さな手を握った。


 チトセは目を丸くしたが、手を振りほどこうとはしなかった。握られたまま、ミナトの顔を見上げている。


「三番の肩は二十秒で肌に戻ったんだ。……試させてくれ」


 チトセは迷うように少し間を置き、小さくうなずいた。


 五番の腕にしたように、ミナトはもう片方の手を今日の傷のすぐ脇に当てた。


「くっ……」


 傷口に手が触れるかと思い、チトセは一瞬体を固くする。


 三十秒たち、一分たった。今日の切り傷からは血がにじみ続け、十日前のかさぶたもそのままだ。


「……何も感じません。温かくなると、聞いていたのですが」


 チトセが言った。


 この世界で目を覚ました日、病室でヒサメも「……何も流れてこない」とつぶやいた。何も起きていないことは同じでも、あのときのミナトは空っぽだった。今は違う。今朝の補給のあと、医官の測定では80%が残っていた。これだけ満ちているのに、指先ひとつぶんも伝わっていかない。


 ミナトは一度両手を離して、もう一度片手で手を握り直し、もう一方の手を傷の脇に当て直した。しかし、何も変わらなかった。


「医官のところへ行こう」


「私は構いませんが……」


「俺が知りたいんだ」


 チトセは自分の手首を見下ろし、うなずいた。


---


 医官は二人の手首に計器を巻き、三分のあいだ黙ってモニターを見ていた。


「使用量ゼロ。魔力の移動はありません」


「どうしてだ」


「分かりません」


 医官は首を横に振った。少し考え、言葉を選びながら推測を口にする。


「魔法少女の体には、魔力を受け取る器官があります。受信機です。ミナトさんの原初魔力も、おそらくそこを通って入っていくのでしょう。単因子型の方には、その受信機がありません。あくまで推測ですが、通り道がなければ、どんな力も届かないのでしょう。……単因子型に関する研究資料は封印指定になっていて、私の権限では閲覧できませんので」


「封印指定……」


「長官直轄です」


 チトセは丸椅子に腰かけ、手首の計器をじっと見ていた。医官は今日の傷を消毒して包帯を巻く途中で、十日前の傷に目を留め、しばらく手を止めた。


「……傷が自然に治癒していく人間を、この基地に来て三年、初めて診ました」


 包帯の端を留めながら、医官は少し低い声で付け加えた。


「怪我が普通に治るというのは、本来なら当たり前のことです。この特区では、それが異常に見えてしまうだけで」


 チトセは頭を下げて礼を言い、地下の回収室へ下りていった。



 ミナトは処置室の前の廊下に残った。


 順位表に名前のある子なら、S級でもA級でも手を握れば結晶は引いていく。順位表に載らないB級の子でも、規定の外で手首を握ってしまえば引いた。サキでさえ手首までは肌の色が戻った。


 チトセにだけは届かない。どの等級にも入れられていないのに、最初から手の届く範囲の外に置かれている。前線にいながら、ミナトが何ひとつしてやれない相手はチトセ一人だ。


 試させてくれと頼んだとき、チトセは驚きながらも手を預けたままでいた。何も起きないことを初めから知っていて、それでもミナトの気が済むまで握らせてくれたのだ。


 廊下の曲がり角に、ヒサメが立っていた。いつからそこにいたのかは分からない。ヒサメはミナトに目をやり、チトセが下りていった階段の奥へ視線を移した。


「あの子の手も、握ったのね」


「握ったよ。何も起きなかった」


「……そう」


 ヒサメは短く息を吐いた。肩のあたりからわずかに力が抜けたように見えた。ヒサメはそれきり何も言わず、廊下を引き返していった。


---


 夕方、早瀬に聞いていた神社へ行ってみた。


 回収の要請がない日は、チトセがそこを掃除しているのだという。早瀬は鳥居の外で足を止めた。居住区の東の端、防壁のすぐ内側に取り残された神社だ。石灯籠は倒れたままで、手水舎(ちょうずや)の水もとうに涸れているのに、境内だけはきれいに掃き清められていた。


 チトセは竹箒を手に、境内の奥を掃いていた。腕を動かすたびに、左の手首に巻いた新しい包帯が袖口からのぞく。


 ミナトは古い絵馬掛けの前に立った。雨風にさらされて墨の薄れた絵馬が、何十枚も重なって下がっている。読めるものを一枚ずつ拾い読みしていくうちに、どれも同じ形をしていることに気づいた。無事なお産を願う言葉のあとに、決まって同じ一行が添えてある。


『女の子でありますように』


 字の読める絵馬には、一枚残らずその一行があった。


「……これは」


「男の子を身ごもると、生まれる前に亡くなってしまうので」


 チトセは箒の手を止めずに答えた。


「お母さんの命まで危なくなると聞いています。ですから、女の子でありますように、と書くのです。お母さんたちが男の子を憎んでいたわけではないと思います。……私は、そう信じています」


 ミナトはもう一度絵馬を端から見ていった。何十枚もの絵馬が風に揺れている。どの一枚も願いが一行書かれたきりで、書いた母親の名前も、これから生まれてくる子の名前も、そこにはなかった。


 チトセが掃き寄せた落ち葉の山を、ミナトは足元の塵取りへ寄せてやった。乾いた葉が縁に当たって、かさかさと鳴る。


「毎日、ここを掃いてるのか?」


「回収の要請がない日は。……ここには、もう誰もお参りに来ませんから」


「誰も来ない場所を、どうして掃除するんだ」


「神主さんは、特区ができたときに内地へ移られたそうです。私が掃かないと、誰も掃かないので」


 チトセは竹箒と塵取りを境内の隅の物置へしまうと、絵馬掛けを振り返った。


「名前の書かれた絵馬を、私はここで一度も見たことがありません」


 チトセはそう言うと、袖口を引き下ろして包帯を隠し、鳥居のほうへ歩いていった。



 ミナトは日の暮れかけた境内に残り、絵馬掛けのいちばん端の一枚に指先で触れた。墨はほとんど消えかけていて、二行目だけがかろうじて読めた。


 翌朝もミナトは七時に回収室へ下りた。


 紙片の貼り替えなら、力が届かなくても手伝える。何枚目かを貼り終えたころ、チトセが机を離れて棚の片隅の箱の前に立った。ミナトも手を止め、黙ってその隣に立った。毎朝、一度だけ。


 やがてチトセは作業机へ戻り、鉛筆を手に取った。ミナトは次の紙片を受け取りに、そのあとについていった。


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