↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未生獣 〜十八の冬を越えた魔法少女はいない〜  作者: 春凪一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/23

第三話 間違えて運ばれただけです

 順位表は、五日目の朝に貼り出された。


 月が替わって最初の朝だった。食堂の入口の、献立表のすぐ隣に用紙が二枚並んでいる。どちらにも公印が押してあるのに、説明は一行も添えられていない。


 昨日の朝、医官は病室の内線で長官の指示を受けていた。接触の優先順位は、月末の夕方の測定を見て長官が決める。その答えが、一晩でこの二枚の紙になった。


  補給順位表


  一番 S級 氷堂ヒサメ(ひょうどう ひさめ)


  二番 S級 火神院カグヤ(かぐいん かぐや)


 三番から七番まではA級で、ミナトの知らない名前が五つ続いていた。二枚目には規定が三行だけ書かれている。順位は戦闘力の測定値で決める。改定は月に一度。B級以下は補給の対象外とする。


 朝食に来た少女たちは入口で足を止めて紙を読み、順に食堂へ入っていく。


 文句を言う者も、喜んで声を上げる者もいない。A級らしい五人は自分の番号を一度だけ確かめ、そのまま配膳の列に並んだ。髪に銀の束が混じった二人の少女は二枚目の最後の行まで目を落とし、食事を取らずに来た廊下を引き返していった。


 ミナトはトレイを抱えたまま、その横に突っ立っていた。隣ではヒサメが顔色ひとつ変えずに紙を見上げている。


「一番だな」


「数値の結果よ」


 ヒサメは短く答え、先に食堂へ入っていった。


 入れ違いにカグヤがやってきた。紙の前でぴたりと足を止め、しばらく動かない。やがて勢いよく振り返ると、食堂の中にヒサメの姿を探し当てて声を張り上げた。


「再測定させるわ」


「測定したのは長官よ」


 ヒサメは味噌汁の椀をトレイに取りながら言い返した。


「あなたの数値、上限を振り切っているそうじゃない。人工呼吸一回で」


 食堂のざわめきが、すっと引いた。あの夜に何があったのか、ここにいる全員がもう知っているようだった。


「……救命行為よ」


 ヒサメの耳が赤くなったのを見て少し気が済んだのか、カグヤはもう一度順位表に向き直った。


「一番以外になったことなんて、ないのよ。私」


 返事を待つ様子もない独り言だった。カグヤは掲示板の前を離れ、食堂には入らずに広場のほうへ大股で歩いていった。


 ミナトはトレイを置き、ヒサメの向かいの席に腰を下ろした。


「誰も文句を言わないんだな」


「文句を言う理由がないもの」


 ヒサメは箸を動かす手を止めない。


「順番に意味があるのは、その先に何かがあるときだけ。今までは何もなかったわ」


「何も、って」


「満期よ」


 ヒサメは自分の銀髪を一房つまんでみせた。


「十歳前後で、受信機と呼んでいる器官が開いて魔力を受け取れるようになるの。十八を過ぎると閉じ始め、完全に閉塞したら魔法は行使できなくなる。それが満期。無事に迎えた子は、市民社会に戻れる」


「戻れるなら、希望はあるんじゃないか」


「戻れた人は、ほとんどいないわ。戦い続ければ、その前に全身が砕け散るから。私も今年中に砕けるつもりでいた」


 ヒサメは髪から指を離した。


「だから誰も順番なんて気にしなかったのよ。砕けて死ぬ順番でしかなかったから。あなたが来て、満期が初めて手の届く目標になったの。あの紙は、それを分かっている子に見せるだけで十分に効くわ。脅す手間もいらない」


 ヒサメは味噌汁をひと口すすった。


「補給の順番は、命の順番よ。今日からはね」


 ミナトはテーブルの上の自分の右手に目を落とした。



 朝の補給は、その日から始まった。


 食事のあと、ミナトは医療棟の処置室へ呼ばれた。一番が先で、二番があと。持ち時間は一人二分と決められている。医官が握り合う二人の手首に生体計器を巻き、針の振れをノートに書き取っていく。


 ヒサメは目を閉じてミナトの手を握り、深い呼吸を繰り返した。二分たったところで、自分から手を離す。


 カグヤは握る前に一度大きく息を吸った。握っているあいだは壁の一点を睨みつけ、手を離したあとは、自分の手のひらをじっと見下ろしていた。


「お二人へのレベル一は、合わせても一日の自然回復量を下回ります」


 医官はノートから顔を上げずに言った。


「この量なら、三日に一人という長官の試算は崩れません」


 重体一人を治せば空になり、丸三日で満ちる。襲撃が週に一度なら十分に賄えると、昨日、長官は病室で計算してみせた。


 明日からは毎朝、この手順を繰り返すことになる。


---


 その日の夕刻、甲高い警報が鳴り響いた。


 宿舎の廊下のスピーカーから、女性の声が流れてくる。五日前の夜にサイレンの合間で聞いた、防災無線と同じ落ち着いた声だった。


『未生獣(アオロイ)警報、レベル三。第五区画。担当部隊は直ちに出動。補給班は第二防衛線へ急行してください』


 ヒサメが廊下に出てきたときには、もう白と紺のコートを羽織っていた。ミナトに一度だけ目を向け、「医官と一緒に行って」と言い置いて前線のほうへ駆けていく。


 入れ替わりに医官が迎えに来た。防護手袋ははめているが、ゴーグルとマスクは着けていない。ミナトが初めて病室で目を覚ましたときには、手袋を二重にはめ、ゴーグルとマスクで顔をすっかり覆っていた人だ。


 装甲車の後部に乗せられた。窓のない金属の箱で、ミナトのほかには医官と護衛の隊員が二人、それに測定機器を詰めたコンテナが載っている。ミナトは三点式のシートベルトで座席にしっかりと固定された。


 第二防衛線は、ヘリから見下ろした三重の防壁のうち、ちょうど真ん中の一本だった。壁の内側に処置室が作られていて、細長い監視窓が境界特区(きょうかいとっく)のほうへ開いている。扉には『補給拠点』の札が掛かり、壁には今朝の順位表の写しが貼ってあった。


 監視窓から外が見えた。


 日はもう落ちて、区画は闇に沈んでいる。その暗がりから、赤い光の柱が一本まっすぐに立ち昇った。三階建てのビルよりも高い。光が揺れるたびに、あたりの空気が陽炎のようにゆがんで見えた。


「二番です」


 医官は窓のほうを見もせず、機器を台に並べながら言った。


 赤い光の根元から、泣き声が上がった。三つか四つの声が重なり合い、防壁のコンクリートにぶつかって跳ね返ってくる。災害の魔力毒で死んだ胎児たちの集合怨念体、というのが公式の見解だと長官は言っていた。そう聞かされてから耳にするのは、これが初めてだった。


 処置室の扉が激しく叩かれた。


「三番、入室します!」


 隊員が扉を押し開け、ミナトと同じくらいの年の少女を乗せた担架が運び込まれた。左肩がコートごと裂け、傷のふちには血の代わりに、指の幅ほどの厚みで透明な結晶がこびりついていた。見ているあいだにも、じわりと広がっていく。


 ミナトが名前を聞こうと口を開くより早く、隊員が報告を上げた。


「三番、A級、左肩。進行中」


「レベル一で対処します」


 医官に手首へ計器を巻かれながら、ミナトは担架の脇にかがみ、少女の右手を取った。


 交差点の夜と同じことが起きた。握った手から温かいものが流れ出し、少女の腕を伝って肩のほうへ上っていく。傷のふちまで届くのに二十秒ほどかかり、届いたところから順にガラスが肌の色へ戻っていった。裂けた肉はそのまま残ったが、透明なふちはもうどこにもない。


「侵食停止。全リソースの10%を消費」


 医官がノートにペンを走らせ、担架はすぐに向きを変えて出ていった。少女は口を結んだまま、番号で呼ばれ、番号のまま運ばれていった。


「名前で呼ばないのか」


「識別番号の方が伝達速度が速いためです」


 隊員は扉の脇の持ち場へ戻りながら、平らな声で答えた。


 二十分ほどたったころ、遠くの赤い光の柱がふっと消えた。


 次に扉が開いたとき、隊員は「二番」と言いかけて、慌てて口をつぐんだ。


「その呼び方をやめなさいと言っているでしょう!」


 カグヤだった。自分の足で歩いて入ってくる。ただ、左手で抱えるようにして支えている右腕は、指先から肘の関節まで透きとおったガラスになっていた。コートの袖は肘の上まで乱暴にたくし上げてある。


「六体のうち四体は私が仕留めたわ」


 誰にも聞かれていないのに、カグヤは言い放った。


「残りは、いま氷堂が凍らせてるところよ」


 扉の脇の隊員は、かまわず読み上げを続けた。


「二番、右腕、肘関節まで侵食進行中」


「全快させなさいよ」


「組織の欠損はありません。進行中の結晶化なら、レベル一で戻せます」


「氷堂は腕まで元通りになったじゃない!」


「氷堂さんは心肺停止の状態でした」


 医官は眉ひとつ動かさない。カグヤは言い返しかけた口を閉じ、ガラスの右腕をミナトの目の前に突き出した。


「……早くしなさいよ」


 ミナトはその手を受け止めた。氷を握ったように冷たく、硬い。やがて手のひらに温かみが戻りはじめ、手首、前腕、肘へと血の色がせり上がっていく。三番の少女のときよりずっと時間がかかった。


 気がつくと、カグヤは耳から首筋まで真っ赤になっていた。正面の壁を睨みつけ、顔の熱をどうにかやり過ごそうとしている。


「20%を消費」


 医官が数値を読み上げ、もう一方のモニターに目を移した。


「火神院さんの魔力値、S級規定上限の90%まで回復」


「90%」


 カグヤが壁を見つめたまま、小さく繰り返した。


「上限の90%……あいつは上限を振り切っているのに」


「氷堂さんの数値は、レベル二を適用した結果です」


「分かってるわよ!」


 カグヤは乱暴に手を引き抜いた。肘の内側に、親指の爪ほどの結晶がまだ残っている。


「おい、まだ残ってるぞ」


「いいわ。次の改定までに自力で何とかする」


 カグヤは扉へ向かって歩き出した。ところが敷居の手前で足を止め、くるりと引き返してくると、黙って肘を突き出した。ミナトは残った結晶に指先で触れた。五秒もかからずに消えた。


「……お礼なんて言わないからね」


「言われる筋合いもないだろ。任務だ」


 カグヤは足早に出ていった。扉が閉まりかけたところで、外から「二番、退出」と告げる隊員の声と、「やめなさいって言ってるでしょ!」と怒鳴り返す声が聞こえた。


 そのとき、外の泣き声が一斉に止んだ。


 監視窓の向こうは真っ暗で、何も見えない。ただ、細い窓の隙間から流れ込む冷気が、急に肌を刺すほど鋭くなった。


「一番、完了です」


 医官がノートを閉じた。


 それから五分ほどして、扉がもう一度叩かれた。


「補給班、負傷者一名収容——」


 二人の隊員が担架を担いで入ってきた。乗せられている少女は、ミナトよりはっきり年下に見える。黒髪で、耳の後ろに一筋だけ銀の束が混じっていた。右のすねがざっくりと裂け、傷のふちが指一本分ほど透明な結晶になっている。


 扉の脇の隊員が、少女の襟元の名札と壁の順位表の写しを見比べた。


「B級。補給対象外です」


「えっ」


 声を上げたのは、担架を運んできた隊員のほうだった。


「第五区画から直接搬送したので、等級の確認が——」


「規定通り対象外です。通常の医療班へ回してください」


 担架の上の少女が、痛みをこらえて上半身を少しだけ起こした。


「すみません。間違えて運ばれただけです」


 運んできた隊員でも、扉の前に立つ隊員でもなく、処置室の真ん中で椅子に座っているミナトに向かって、少女はまっすぐにそう言った。


「大丈夫です。傷も浅いので」


「待ってくれ」


 ミナトは思わず椅子から立ち上がっていた。


「10%もかからないはずだ。さっきの三番の肩より、ずっと狭いんだぞ」


「規則です」


 医官の声の調子は変わらない。


「使う量の多い少ないではありません。境界線の問題です」


「境界線って……」


「B級の隊員は前線に出る回数が少なく、結晶化の進みも緩やかです。体の傷が治れば、侵食はたいてい自然に止まります。一人に特例を認めれば、全員に広げざるを得なくなる。一人ぶんは少なくても、人数が重なれば大きな量になります。その分だけ、次に運ばれてくる重体の隊員を戻せなくなるんです」


 医官は正面からミナトを見た。


「境界線はどこかに引かなければなりません。決めたのは特務省長官です。現場の私たちではありません」


 少女は担架の上から、じっとミナトを見つめていた。


「本当に大丈夫ですから」


 ミナトを安心させようと笑いかけたが、口の端がうまく持ち上がらなかった。


「たいていは、止まるそうなので」


 担架は向きを変え、そのまま扉の外へ運ばれていった。


 ミナトは伸ばしかけた手を宙に浮かせたまま、その場に立ち尽くしていた。


 この世界に迷い込んだ日の朝、駅のホームで男の人が倒れたとき、ミナトは遠巻きにする人垣の一人だった。その夜の交差点では、誰かがやる、の『誰か』が自分しかいなかった。この部屋で結晶を引かせられるのも、ミナトの手だけだった。それなのに最後まで手を伸ばせなかった。


 間を置かずに扉が叩かれた。


「一番、入室」


 ヒサメが、コートの肩に白い霜をつけたまま入ってきた。どこにも怪我はなく、廊下でさっきの担架とすれ違ったはずなのに、そのことには一言も触れない。


「数値は規定の上限を維持しています。補給の必要はありません」


「規則よ」


 ヒサメは迷わず左手を差し出した。ミナトは、生えてまだ五日のその手を握った。冷たいが、カグヤの腕のガラスの冷たさとは違って、血の通った人間の冷たさだった。


 ヒサメは目を伏せた。息がゆっくりと深くなっていく。生体計器の針は、ぴくりとも動かない。


 黙って手を預けたまま、ミナトはさっきの担架を思い返していた。上限まで満ちている一番には規則で二分が回ってきて、すねの裂けたB級の子には同じ規則で一秒も回らない。


 ちょうど二分たったところで、ヒサメは自分から手を離した。


「数値に変動なし」


 医官がノートに書き込んだ。ヒサメは最後までミナトの顔を見ようとしなかった。


---


 帰りの装甲車の中で、ミナトは口を開いた。


「さっきの子のこと、知ってるか」


「B級の隊員?」


「ああ」


「顔は見覚えがあるわ」


 ヒサメは向かいの座席に背を預け、目を閉じたまま答えた。


「名前はなんていうんだ」


 しばらく、エンジンの低い唸りだけが続いた。


「……B級は、所属する小隊が異なるから」


 ミナトはそれ以上は聞かずに、三番の横にあった名前を思い出そうとしてみた。今朝読んだはずの五つの名前は、どれひとつ出てこない。装甲車が段差を越えるたびに、二人の膝が小さく揺れた。



 宿舎に帰り着いたときには、夜の十時を回っていた。


 食堂の明かりは落ちていたが、入口の前の廊下には蛍光灯の白い光がともっている。掲示板の順位表の前に、ぽつんと人影がひとつ立っていた。


 黒髪で、耳の後ろに一筋の銀。右脚に白い包帯を巻き、壁に片手をついて体を支えている。少女は紙を見上げていた。二枚目のいちばん下にある『B級以下は補給の対象外とする』という一行から目を離さない。


 廊下の角でミナトが足を止めると、少女はその気配に気づいて振り返った。ミナトの顔を見て、ぺこりと小さく頭を下げる。何もしてやれなかった相手に向ける、控えめな会釈だった。


 ミナトは一拍遅れて頭を下げた。顔を上げたときには、少女はもう背を向け、壁に手を添えながら右脚を引きずって歩き出していた。


 医官のノートによれば、ミナトの蓄えはまだ70%近く残っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。