第二話 代わりはいません
袖を引かれるたびに、ミナトはうっすらと目を開けた。
ヘリの中はローターの音がやかましく、話のできる状態ではない。隣に座ったヒサメは口を閉じたまま、窓の外にも目を向けずにいる。ミナトの袖を掴んだ左手にだけ、ときどき力がこもってはゆるんだ。生えたばかりの指がちゃんと動くかどうか、確かめているようにも見えた。
ミナトのほうにも、何か言えるだけの力は残っていなかった。体の中がからっぽで、首を回すのさえ億劫に感じる。
それでも、窓の外の景色は目に入ってきた。
凍った交差点はあっという間に後ろへ遠ざかり、そのあとには明かりの消えた町がどこまでも続いた。信号も街灯もついていない区画をいくつか越えたところで、地上を一本の光の帯が横切った。サーチライトに照らされた長い防壁で、上には砲塔らしいものが等間隔に並んでいる。
少し間をあけて二本目、三本目の壁が続き、いちばん内側には窓明かりのともる建物が固まっている。さらにその奥には、ミナトの知っている夜と同じ、切れ目のない光の海が広がっていた。
反対側の窓をのぞくと、交差点のあった方角には明かりがひとつもない。暗いというより、町そのものがそこでぷつりと断ち切られていた。
ヘリは三本目の防壁を越え、建物の一角にある屋上のヘリポートへ降りた。
ハッチが開くと、ヒサメはすぐに立ち上がった。その拍子に袖が離れたが、気にする様子もなく先にタラップを降りていく。
ミナトも腰を浮かせかけ、そのまま座席に崩れ落ちた。膝から下が砂袋にでも替わったように重い。
ハッチの外で待っていた隊員が二人、同時に手を伸ばしかけ、はっとして引っこめた。
「触れるなと通達が出ている」
一人が硬い声で言い、屋上に立つヒサメを見上げた。
振り返って短く息を吐くと、ヒサメは機内へ戻ってきた。ミナトの腕を自分の肩に回すと、引きずるようにして抱え下ろす。
「一人で歩けるようになるまで、私が運ぶ」
「……悪い」
「命令だから」
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目を覚ますと、腕に点滴の針が刺さっていた。
白い天井に白い壁、ベッドを仕切るカーテン、鼻の奥をつく消毒液のにおい。ここまではミナトの知っている病院と変わらない。違うのは、採血をしている白衣の女性の格好だった。手袋を二重にはめ、防護ゴーグルとマスクで顔をすっかり覆っている。
「動かないでくださいね。あと少しで終わりますから」
「……俺、何か危ない病気にでも感染してるんですか」
「逆です」
女性は針を抜き、脱脂綿を当ててから透明なテープを貼った。どの手順も、分厚い手袋をはめたままだ。
「病気どころか、あなたに触れた氷堂さんは、なくしたはずの左腕が再生しました。ただ、それがほかの人の体に何をするのかは、まだ分かっていません。検査の値が確定するまで、あなたに素手で触れていいのは氷堂さんだけ。長官からの厳命です」
「なんで氷堂だけなんだ」
「すでに接触済みだからです」
病室の入口に、ヒサメが立っていた。壁に背中を預けて腕を組み、その言葉にも眉ひとつ動かさない。
白衣の女性は、自分を医官と名乗った。
サイドテーブルのトレイには、ミナトの持ち物が並べてあった。財布に学生証、それにスマホ。画面の隅には相変わらず圏外と出ている。コンビニの袋だけが見当たらない。
「袋は、交差点に落ちていたのを隊員が拾って持ち帰りました。食品類は成分解析へ回してあります」
「夕飯だったんだけどな……」
「食事はこちらでご用意します」
それから医官は、入口のヒサメに声をかけた。
「氷堂さん。もう一度、手を握っていただけますか」
ヒサメは壁から離れてベッドの脇へ来ると、右の手首に細い生体計器を巻き、ミナトの手を握った。昨夜の交差点でミナトが掴んだのと同じ右手だ。あのときは握っただけで、ヒサメの指先にできていたガラスがすうっと引いていった。
医官がモニターを見つめる。十秒、二十秒と過ぎるあいだ、病室には空調の低い音だけが流れていた。
「数値に変動なし、です」
ヒサメは握り合った手を見下ろした。
「……何も流れてこない」
誰に聞かせるでもない、小さな声だった。医官は黙って端末に数値を打ちこんだ。
「空、ということでしょうね。昨夜、残らず放出してしまった。この数値がいつ戻るのか、そもそも戻るものなのか、毎朝測定します」
「長官は」
手を離しながら、ヒサメが聞いた。
「はっきりしたデータが出るまでは、面会しない方針だそうです」
「そういう人よ」
ヒサメはミナトのほうに向き直って言った。どうやらそれで説明を済ませたつもりらしい。長官がどういう人なのか聞き返そうとしたが、口を開く前にミナトは眠りに落ちた。
二日目の朝、スマホの電池が切れた。医官が充電器を三種類持ってきてくれたものの、どれも差し込み口の形が合わない。画面は最後まで圏外を表示したまま、真っ黒になった。消える前の通知欄には、母からのメッセージが一件、未読のまま残っていた。
同じ朝、生体計器の針がゼロから動いた。医官はその目盛りを「およそ33%まで回復」と読み上げた。
昼過ぎには、自分の足で歩けるようになった。医官の許可が出て、ミナトはヒサメに連れられて医療棟の外へ出た。寝泊まりする場所が変わるのだという。
空は高く晴れていたが、吹き抜ける風は思ったより冷たかった。
道を挟んで、同じ形をした五階建ての宿舎が並んでいる。どこかの学生寮みたいだ、とミナトは思った。向かいの広場では、体操着の少女たちが列を組んで走っていた。中学生くらいの子ばかりで、教官らしい女性が鋭い号令をかけている。
道を渡ってきた制服姿の三人が、ミナトに気づいてぴたりと足を止めた。ヒサメと同じ白と紺のコートを着ていて、三人とも髪に銀が混じっている。一人は耳の上の一束だけ、一人は頭の半分ほど、最後の一人は前髪から毛先までほとんどが銀だった。
三人はそろってヒサメに敬礼し、すぐに目を見開いてミナトを見た。
「持ち場へ戻りなさい」
ヒサメが言うと、三人はちらちらとこちらを見ながら走っていった。
「……あの人たち、髪を染めてるのか」
「色素が抜けているのよ」
ヒサメは前を向いたまま答えた。
「魔法を行使した分だけ色が抜ける。たくさん戦ってきた子ほど、全体が銀になるの。さっきの三人なら、いちばん後ろにいた子がいちばん前線をくぐってきてる。広場を走っている候補生たちは、まだ一度も前線に出ていないわ」
「元の色に戻るのか」
「戻らないわ」
ミナトは前を行くヒサメの背中を見た。腰まで届く長い髪は、根元から毛先まで一本残らず銀色をしている。
「あんたの髪は」
「すべて抜けきった。だから十八まで持ったのは長い方だと言ったでしょう」
ミナトはあの言葉を命の話だとばかり思っていたが、ヒサメはこの銀一色の髪も勘定に入れて言っていた。
ヒサメは歩く速さを変えずに続けた。
「腕は再生したけれど、髪の色は戻らなかった。あなたの力でも元に戻せないものがある。医官もそれをきちんと書き留めていたわ」
宿舎の入口で、配給の段ボール箱を積んだ台車を押す作業着の男とすれ違った。五十代の半ばくらいで、この世界に来て初めて見る男だった。
ミナトはほっとしたが、それも束の間だった。男はミナトの顔を見るなり台車を止め、交差点の隊員たちと同じように息を呑んで固まった。
「……にいちゃん、いくつだ」
「十八です」
男は返事もせずに、何度も振り返りながら足早に台車を押していった。
割り当てられた部屋は三階の角だった。備えつけのベッドと机、それに窓がひとつ。外をのぞくと、一昨日の夜に空から見下ろした防壁の一本が、昼の光の下で鈍い灰色に沈んでいた。
「隣が私の部屋よ」
ヒサメが言った。
「護衛任務だから」
「……いつまで」
「あなたが一人で立てるようになるまで、と言われている」
ヒサメはそこでいったん言葉を切った。
「次の指示が下りるまでは、任務を続ける」
その夜、扉の外で、金属の脚が床をこする音がした。ミナトがそっと扉を開けると、廊下に出したパイプ椅子にヒサメが腰掛けていた。隣の部屋で休んでいるものと思っていた。
こちらをちらりと見上げたきり、何も言わない。ミナトのほうもかける言葉が見つからず、そのまま扉を閉めた。
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毎朝の測定は、最初に寝かされた病室で受けることになっていた。
四日目の朝、計器の針は、医官が『満』と呼ぶ目盛りを指した。
「完全に満ちました。丸三日です」
医官が内線で報告を入れると、三十分もしないうちに病室の扉が開き、長官が姿を見せた。
総白髪だった。ヒサメの透きとおるような銀とは違い、色の抜けきった白だ。年は五十代の前半くらいで、背筋がまっすぐに伸び、仕立てのいいチャコールグレーのスーツを着ている。よく通るその声は、あの夜に無線から聞こえた声と同じだった。
「対異界特務省長官、神楽坂ユノです。あなたを保護するよう命じた責任者よ」
「……ミナトです」
「把握しています」
ユノはベッドの脇のパイプ椅子に腰を下ろし、医官から受け取ったカルテを読みながら話しはじめた。
「氷堂ヒサメの左腕は、肘から先が完全に再構築されていました。骨格も神経系も、欠損前の身体データと一致しています。全身の結晶化も消えました。さらに、魔力値はS級の測定上限を超えています。これが四日前の夜、あなたがもたらした結果です」
「もたらした、っていうか……」
「あなたの血液サンプルからは、当省の計器では分類できない未知の魔力が検出されました。どの属性にも当てはまりません。ただし、保護した直後の残存量はゼロでした」
「ゼロ」
「空っぽでした。氷堂一人を救うために、体の中のものを残らず放出した」
ユノは節の目立つ指でカルテをめくった。
「一日目はゼロ。二日目で約33%。三日目で約67%。そして四日目の今朝、満に達した。完全に枯渇してから丸三日で回復する、ということです」
ユノは顔を上げた。
「次に、あなたの身元を確認します。どこから紛れ込みましたか」
「線路の下を通る地下道です。氷堂にもそう話しました」
「第七区画の線路下地下道は、次元災害の翌年にコンクリートで封鎖されました。三十九年前の話です」
地上に出て振り返ったとき、地下道の入口は分厚いコンクリートで塞がれていた。灰色の表面には雨だれの跡が黒く染みつき、隅には苔まで生えていた。昨日今日の工事でないことは、ひと目で分かった。
「そんなの知りません。俺が入ったときは開いていて、通り抜けたら塞がってたんです」
ユノはうなずきも打ち消しもせず、同じ調子で続けた。
「所持品の学生証にある大学名は実在します。ですが、該当する学籍番号の学生はいません。携帯端末も、こちらの通信網にはいっさい接続できない」
「……」
「結論として、あなたはこの世界の戸籍に存在しない人間です。出自があなたの証言どおりかどうかは、ひとまず置いておきます。私が確認したのは二点だけ。あなたがここにいること。そして、氷堂の腕が元どおりに生えたことです」
聞きたいことは山ほどあった。頭の中で順番をつけ、ミナトはいちばん引っかかっていたことから口にした。
「ひとつ聞いてもいいですか」
「ええ、どうぞ」
「あの怪物は、いったい何なんですか。赤ん坊みたいな声で泣き叫んでた」
ユノは手元に目を落としたまま、少し間を置いてから答えた。
「未生獣。四十年前の次元災害で生じた空間の裂け目、未生境界より現れる敵性存在です」
「災害以降、この世界では男児がただの一人も生まれていません。母胎の中で命を落とし、ときには母体すら道連れにする。災害の魔力毒によって死に至った胎児たちの集合怨念体が変異した姿、というのが公式の見解です」
あの夜に聞いた泣き声を、ミナトはいまもはっきり覚えている。ビルの三階に届く頭と、途中で千切れたような手足が目の裏に浮かんだ。
喉まで出かかった問いを呑み込み、ミナトは別のことを聞いた。
「氷堂の腕が治ったのは、俺が男だからですか」
「国内の成人男性の血液は、四十年前から調べ尽くしています。魔力の反応が出た者は、一人もいません」
「じゃあ、なんで俺だけが……」
「現時点では不明です。仕組みの解明はこれから進めます」
ユノはカルテを閉じた。
「もっとも、原理が未解明であろうと、有効性だけは実証されました。道具を使うにあたって、動作原理を完全に理解する必要はありません」
「道具……」
「あなたをS級魔法少女専属アンカーに任命します。正式な役職名は、国家特権指定の専属補給要員。端的に言えば補給源です。アンカーとは船を繋ぎ止める錨のこと。彼女たちをこの世界に繋ぎ止める要石であれ、という意味を込めて私が命名しました」
「S級って、何人いるんですか」
「二人です。一人は氷堂ヒサメ。もう一人とは、まだ顔を合わせていないはずです」
「断ったらどうなりますか」
「断っても構いません。ただし、この施設から出すことはできません。外には、あなたを守れるものが何ひとつありませんから」
「軟禁ってことですか」
「保護と呼んでいます。ここに留まる限り、あなたに危害は及ばせません」
ミナトはサイドテーブルのトレイに目をやった。検査のために預けたままのスマホは、黒い板になって転がっている。それから二重手袋の医官と、扉の脇に立っているヒサメを順に見た。
「……物扱いみたいですね」
「物として扱われていると受け取るかどうかは、あなたにお任せします」
ユノはまばたきもせずに、ミナトの顔を見据えていた。
「私が断言できるのはひとつだけ。あなたの代わりはいません。この国のどこを探してもね」
四日前の夕方、バイト先の店長から届いたメッセージは『代わりはいるから!』で締めくくられていた。悪気がないのは分かっていたのに、ミナトはその一文を三回も読み返した。そして今朝、代わりはいないと言い渡された。
どちらも本当のことなのだろう。物扱いだと言い返したばかりなのに、この国でたった一人だと言われて、ミナトは胸の奥がくすぐったくなるような誇らしさを打ち消せずにいた。
ユノはそれを見抜いているようだったが、何も言わなかった。
「実証を行います。氷堂、再生した方の手で」
ヒサメが壁際を離れてベッドの脇に立ち、左手を差し出した。ミナトがそれを右手で包むと、医官が手早く二人の手首に測定器を留めた。
はじめの数秒は何も起きない。モニターに顔を寄せていた医官が、十秒ほどたったところで声を上げた。
「数値が動きました。氷堂さんの魔力値が上昇、ミナトさんの体内残存値が減少しています。緩やかですが、確実に移行しています」
初日にはぴくりともしなかった針が、ゆっくりと振れていく。
ヒサメは目を閉じていた。握る力はそのままで、息だけが少しずつ深くなっていく。
ユノがその様子をじっと見ていた。
「氷堂」
「……はい」
「顔が緩んでいます」
ヒサメははっと目を開けた。耳がみるみる赤くなっていく。
「失礼いたしました」
「この接触形式を『レベル一』と定義します。直接の肌接触による微量供給」
ユノは手元の記録用紙にペンを走らせた。
「そして、あなたが第七区画で施した行為が『レベル二』。生体粘膜接触による急速チャージです」
「人工呼吸です」
「公的記録上はレベル二として扱います」
息を吹き返した直後、ヒサメは指先で唇に触れ、「救命行為なら仕方ないわ」と早口で言っていた。あのときと同じように、ヒサメは耳をもう一段赤くした。ユノはそちらを見もしなかった。
「レベル二の実施対象は、十八歳以上の成人に限ります。効果も反動も検証されていない劇薬を、未成年の少女たちに使わせるわけにはいきません」
ユノは椅子から立ち上がった。
「重体一人の完全治療で全枯渇。丸三日で全回復。すなわち三日に一人のペースです。現在の襲撃間隔は週に一度程度。計算上は十分に賄えます」
「賄えるって、そんな計算どおりにいくわけが……」
「現時点での試算です。逼迫した段階で次の手を打ちます」
ユノは踵を返し、靴音もほとんど立てずに病室を出ていった。医官に「そのまま動かないでください、データを取ります」と言われたので、ミナトとヒサメは手をつないだまま固まっているしかなかった。
扉がかちりと閉まった。ところが五秒もしないうちに、今度は外から蹴り開けられた。
「氷堂! 腕が元どおりになったって本当なの——」
甲高い声が、途中で途切れた。
飛びこんできた少女は、ヒサメと同じ白と紺のコートの襟元を大きくくつろげ、袖を無造作にまくり上げていた。コートの下は紺のミニ丈のワンピースで、ブーツの上は素足だった。肩口で切りそろえた髪は、鮮やかな紅に染めてある。
少女は戸口に立ち尽くし、つながったままのヒサメの左手とミナトの右手をまじまじと見た。
「……ちょっと、何してるのよあなたたち」
「補給訓練よ」
ヒサメは手を離そうとしなかった。
「長官の正式な認可を受けて、医官の立ち会いのもとで行っている。何か不都合でも?」
「私もS級なんですけど!」
少女は大股でベッドの反対側へ回りこんできた。
「火神院カグヤよ。私の名前くらい当然知っているでしょうね」
「いや、聞いてないけど」
「はあ!?」
カグヤはミナトをつま先から頭のてっぺんまで、遠慮なく眺め回した。品定めをする目つきだ。間近で見ると、紅く染めた髪の根元が数ミリだけ銀色に透けていた。
「本当に若い男なのね。……ふうん。思ったより平凡じゃない」
「悪かったな」
「別に。それで、腕が生えるっていう奇跡は、どっちの手でも起きるわけ?」
言い終わるより早く、カグヤはベッドの上にあったミナトの左手を力まかせに掴んでいた。
最初の一瞬は、カグヤの表情に何の変化もなかった。二秒目に眉がぴくりと跳ね、三秒目には耳から首筋までいっぺんに赤く染まる。カグヤは弾かれたようにミナトの手を突き放し、自分の手のひらを信じられないものでも見るように見つめた。
「……な、何なのよ、これ」
「レベル一の供給反応です」
医官がモニターから目を離さずに告げた。
「火神院さんの魔力値、微増を確認しました」
「微増……?」
カグヤは手のひらを見つめたまま、おそるおそるミナトへ目を向けた。赤くなった顔を引き締めようとして、無理に勝ち気な笑みを作ってみせる。
「……へえ、悪くないじゃない」
「勝手な接触は禁じられているはずよ」
ヒサメの声はひやりと冷えていた。
「長官の厳命よ。彼に触れていいのは、いまのところ私だけ」
「それ、保護観察中の話でしょ! 彼はもうS級専属アンカーで、私はそのS級。触れて何が悪いのよ」
医官は言い争う二人を見比べ、あきらめたように内線の受話器を取った。
「長官。火神院さんが……はい。すでに接触を完了しました。……承知いたしました」
受話器を戻した医官は、二人の少女のどちらの顔も見ずに言った。
「接触の優先順位は、長官が裁定を下すとのことです」
少し間を置いて、医官は思い出したように付け加えた。
「今日は月末ですので、夕方に測定があります。その結果を見て決めるそうです」
ヒサメの左手に、ぎゅっと力がこもった。生えてまだ四日の手なので、ヒサメは指先の加減をうまくつかめずにいる。握られたミナトの指の骨が、小さくきしんだ。




