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元カノの妹と同棲することになりまして。  作者: 三久田ともかさ


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告別

 11月22日


 日中の暖かさとは打って変わり、陽が沈むと、北風が冬の訪れを感じさせる。

 母が亡くなって、3日。

 私たち榊原家は、久しぶりに顔を揃えた。

 母の告別式の帰り道。

 私は数歩離れた後ろから、父と姉の会話をぼんやりと聞いていた。


「美麗。さすがに告別式に遅れてくるのは違うだろう」

「うるさいなぁ……顔見せただけ別にいいでしょ。こっちだって忙しいんだから」

 私と6つ歳の離れた姉は、心底興味がなさそうにスマホをいじっていた。

 そんなやり取りを聞きながら、私は大好きだった母の最期を思い出し、ただ涙を流していた。

 こんな形ではなく、最後に家族揃って顔を合わせたのは、いつだっただろう。

 もう、思い出せない。

 榊原家に私を繋ぎ止めていた、最後の存在。

 その母が亡くなった今――

 私は、この人たちのことを家族と呼べるのだろうか。

 そんなことを、ぼんやりと考えていた。


◇


 今や何の温かみも感じられない家へ帰り、着替えを済ませる。

 リビングにある、広い食卓。

 この家で、母と過ごした日々をいちばん身近に感じられる場所。

 2人だけで囲んだ食卓。

「お母さん……」

 そこに母の気配を探すように、私はテーブルへ突っ伏した。


 何度目かも分からない大粒の涙が、頬を伝う。

 嗚咽を漏らしながら、次々と溢れてくる思い出と感情を押し殺そうとした。

 どれくらい、そうしていただろう。

 ようやく途切れた涙を拭い、顔を上げる。

 窓ガラスに映った自分の顔。

 目は赤く腫れ、控えめとはいえ施していた化粧も、涙で崩れている。

 とても、人前に出られるような顔ではなかった。


「酷い顔……化粧、落とさないと……」

 そう呟き、洗面所へ向かう。

 化粧を落とし、洗顔料を泡立てて顔に馴染ませる。

 お湯が出るのを待つ気にもなれず、そのまま冷水で洗い流した。

 いつもなら、このままスキンケアに移る。

 けれど今日は、もうそんな気にもなれなかった。

 もう寝よう。

 2階にある自分の部屋へ向かう途中、階段で電話をしている姉とすれ違った。


 喪服から着替えたその姿は、冬を迎えるこの季節などお構いなしに、肌を露出した服装だった。

 つけすぎた香水の匂いに、私は思わず眉間へ皺を寄せる。

「おけおけ。それじゃ、これから向かうね〜」

 電話の向こうの相手と、楽しそうに話している。

 母との別れを済ませた直後だというのに。

 けれど、不思議と腹は立たなかった。

 怒りよりも――失望。

 こんな姉でも、昔は好きだった。

 姉が中学生になった頃からだろうか。

 少しずつ、姉のことが分からなくなっていった。

 喧嘩も増えた。

 母の忠告をよそに、父が姉へ買い与える高価な物の数々。

 年齢に不釣り合いな体験。

 モデルとして成功してからは、さらに周りの人たちを見下すようになった。


 そして――

 仕事ばかりで、家庭を顧みない父親。

 姉の度を越した振る舞いを、叱ることすらない。

 母が入院するようになってからは外泊も増え、女性ものの香水の匂いをさせて帰ってくることも多くなった。

 お金さえあればいい。

 そう言われたわけではない。

 けれど、父の態度や姉へのお金の使い方を見ていると、そう思わざるを得なかった。

 私はそんな2人のことが、子どもながらに心底嫌いになった。 


 だから――家を出よう。

 当時中学生だった私は、そう決心した。

 あれから、もう7年。

 母と2人でこの家を出るため、高校生になってから必死にアルバイトを続けてきた。

 もちろん、その目的はお母さんにも内緒。

 一刻でも早く家を出るため、アルバイト代はすべて貯金に回した。

 欲しい服も。

 バッグも。

 靴も。

 父に頼めば、何だって買ってくれただろう。

 けれど私は、姉のようにはなりたくなかった。


 必要最低限の衣服と生活必需品以外を、父に求めることはなかった。

 もちろん何不自由なく生活させてもらえる事にはとても感謝している。

 けれど本当は、生活費だってもらいたくはなかった。

 だけど――

 社会に出る前の高校生。

 ただの子どもが、どれほど無力なのか。

 私は知ってしまっていた。

 調べれば、調べるほど。

 高校生が病気の母を抱えて生きていけるほど、世の中は甘くないと思い知らされた。


 だから。

 いつか独立するために、今の生活費だけは受け取る。

 それが唯一、私が父にした『おねだり』だったのだと思う。


 リビングへ向かう姉をよそに、自分の部屋へ入る。

 微かに父の声が聞こえた。

 仕事関係の電話だろう。

 仕事は、本当によくできる父。

 昔はそんな父を、誇りに思ったこともあった。

 私が今、こうして生活できているのも父のおかげ。

 だから、感謝はしている。

 けれど――それだけ。

 それ以上の感情は、もう持ち合わせていなかった。


 家族と訣別するように、ドアを閉じる。

 明日にでも、この家を出よう。

 そう決意して、引き出しから銀行の通帳を取り出した。

 母とこの家を出るために、5年間必死で貯めたお金。

 目標にしていた――500万円。

 来年の春には、達成できるはずだった。

 ただ――

 間に合わなかった。

 母は病気で亡くなり、私はひとりぼっちになってしまった。

 母のいない私1人が家を出るには、十分すぎるお金だった。


 通帳を握り締めたまま、ベッドへ倒れ込む。

「あと少しだったのに……」

 枯れていたはずの涙が、また溢れてくる。

 間に合わなかった。

 全部、無駄だった。

 ――ううん。

 違う。

 冷え切った家族の現実を前に、母が口にした忘れられない言葉。

『どこで間違えちゃったのかなぁ……こんなお母さんでごめんね。幸せにしてあげられなくて、ごめんね』

 あのときの母の涙を、私は生涯忘れないだろう。

 お母さんのせいじゃない。

 それを、証明したい。

 だから私は、この家族にお別れを告げて、新しい人生を始める。

 お母さんが育ててくれた私は、間違いじゃなかったって。

 お母さんとの日々は、無駄なんかじゃなかったって。

 いつか、お母さんに笑顔で話せるように。

 そして私は、明日への希望を胸に――通帳を開いた。


「…………えっ?」

 身体を起こす。

 最後に自分が記帳した箇所よりも先に、見覚えのない履歴が印字されていた。

 思わず口座名義を確認する。

 ――榊原栞。

 何度確認しても、間違いない。

「うそ……どうして……?」

 今まで1度も引き出したことのないお金。

 それが、1週間ほど前に――ほとんどすべてなくなっていた。

「なんで……? うそ……うそうそ……!」

 疲れてるんだ。

 そう思いたかった。

 けれど、現実は変わらない。

 何度確認し直しても、残酷なまでに数字は嘘をつかなかった。


 誰が?

 ――そんなの、考えるまでもなかった。

 だって父は、お金になんて困っていないのだから。

 つい最近耳にした姉の言葉が、脳裏をよぎる。

『そうそう〜臨時収入? 入ったから〜』

 私は通帳を握り締めたまま部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。

 途中で脚を思い切りぶつけた。

 そんなことは、今はどうでもよかった。


「お姉ちゃん!」

 勢いよくリビングのドアを開ける。

 キッチンで電話をしていた姉が、驚いたようにこちらを見た。

「なによ、栞……うるさいわね……うん、ごめん。こっちの話」

 なおも電話を続ける姉へ詰め寄る。

「お姉ちゃん、これ! どういうことか説明して!」

 手に持った通帳を突きつける。

「ごめんごめん。またあとでかけ直すね!」

 そう言ってようやく電話を切った姉は、大きなため息を吐いた。


「はぁー……何? お金? 使ったけど? なに?」

「…………」

 謝るどころか、開き直る姉。

 頭に血が上っていくのが分かる。

「何って……これは私の貯めたお金なんだよ!?」

 思わず、テーブルを叩いてしまった。

 母との思い出が詰まった、あのテーブルを。

「あー、はいはい。ごめんごめーん。返せばいいんでしょ?てか使われたくなかったならカードと暗証番号くらいちゃんと隠しときなさいよ」


「なっ……」

 違う。

 そうじゃない。

 何も分かっていない姉に、さらに怒りが込み上げる。

「てかアンタ、結構お金持ってたんだねー」

 ケラケラと笑う姉。

「…………」

 自分の中を駆け巡る、この感情。

 私は今まで、その名前を知らなかった。

 たぶん――

 殺意が湧くとは、こういうものなのだろう。

 今すぐ、この女を引っ叩きたい。

 湧き上がる衝動を抑えきれず、私は手を振り上げた。


 ガタッ。

「どうしたんだ、こんな遅くに! ご近所さんに迷惑だろう?」

 父が入ってきた。

 その声で、私は振り上げた手を何とか下ろす。

 ――ご近所に迷惑?

「…………」

 父も――

 いや。

 この男も、心底私を苛立たせる。


「聞いてよパパ〜。私が栞のお金ちょーっと使ったからって、うるさいんだけどー。家族なんだからそれくらい別に良くなーい?」

「…………」

 家族?

 あなたが、その言葉を口にするの?

 今まで必死に堰き止めていた何かに、大きな亀裂が入る音がした。


「美麗、お前は……他人のお金を無断で使うものじゃない。一体いくら使ったんだ」

 呆れたように言う男。

 ――それだけ?

 もう。

 止められなかった。

「えー? 400万くらい? なんかー結構あったんだよねー」

 なおも女は、ケラケラと笑っている。

「お前な!」

「467万円!」

 男の声を掻き消すように、叫んだ。


 それが最後だった。

 7年間。

 ずっと、ずっと堰き止めていたもの。

 母を困らせたくなくて。

 自分だけはちゃんとしようって。

 いつか、この家を出られると信じて。

 必死に押し込め続けてきたもの。

 そのすべてが――

 一気に、溢れ出した。


「467万円って……栞、どこでそんなお金……」

「貯めたの……」

「貯めたってお前、まだ大学生だろ? こんなお金どうやって……お前まさか!?」

「…………」

 まさか?

 この男は、私が良くないことをしてお金を稼いだとでも思ったのだろうか。

 心底、軽蔑させてくれる。

「5年間……ずっと、ずっとずっと貯めてたの。お金が必要だったから」

「400万はともかく、お金なら言ってくれれば……」

「要らないよ」

「…………」

「だってこのお金は、この家から出ていくために貯めてたお金だったから……」

 先ほどまでとは違う。

 自分でも驚くほど、冷え切った声だった。

「家から出るって……いつからそんなこと……」

「ずっと前からだよ。中学生のときには、もう決めてたから……」


「…………」

 この男は、これでも父親だったのだろう。

 顔から血の気が引いている。

 酷い顔。

 けれど――

 そんな“元父親“を見ても、私の胸は少しも痛まなかった。

「昔からプレゼントをねだらなかったのは――」

 もう、止まらない。

「お金で何でも済まそうとするあなたが嫌いだったから」

「…………」

「学校も、お姉ちゃんみたいにあなたの汚いコネなんかで入りたくなかったから、必死に勉強したよ」

「…………」

 男は、何も言えない。

 今まで堰き止めていたものが、次から次へと流れ出していく。

 嫌いだった。

 寂しかった。

 羨ましかった。

 遊びたかった。

 普通の女の子みたいに、おしゃれだってしたかった。

 お母さんを助けたかった。

 この家から逃げたかった。

 全部。

 全部――

 私はもう、それを止めようとは思わなかった。


「大学もそう。家を出てから学費で困らないように、学費免除を目指して必死に勉強したの。だから……あとちょっとだったの」

「ちょっとだったってお前……400万もあれば、家を出るくらい――」

 そう。

 1人なら、どうとでもなる。

 だけど。

「足りないよ」

「…………」

「病気のお母さんと2人で出るなら、足りない。足りなかったんだよ……」

 男の口が震える。

 何かを言おうとしているようだった。

 でも、言葉にはならない。

「2人は知らないよね」

「…………」

「お母さんの病気に、1か月いくらかかるか。2人分の食費が、いくらかかるか」

 母の通院。

 家計の管理。

 母の容態が悪くなってからは全部、私がやっていた。

「500万……くらいか?」

 男の口から、ぽつりと漏れた。

 そう。

 500万円。

 私が目標にしていた金額。

 腐っても、誰もが知る大手企業の幹部。

 ある程度の情報があれば、必要な金額の見当くらいはつくらしい。

 ――ああ。

 その有能さを。

 ほんの少しでも家族に。

 お母さんに向けていてくれれば。


「はぁ? 500万がなんだってのよ?」

 それに引き換え、この女は本当に――


「栞が卒業するまでの生活費。母さんの生活費と通院代。それに、引っ越しや、何かあっても対応できるだけの蓄え……そうなんだな?」


「うん」

 もう、叫ぶ気力もなかった。

「だから、あと少しだったの。この吐き気がする家から離れるための……大切なお金だったの……」

 上がりきった熱が、急速に冷めていく。

 代わりに、また涙が溢れた。

 脚から力が抜け、その場へ座り込む。

「間に合わなかった……」

 お母さんも。

 お金も。

「全部……」

「なによ! 400万程度、ちょっと借りただけじゃない! 返せばいいんでしょ! 返せば!」

「…………」

 もう。

 この女の言葉は、耳に入ってこなかった。

 何も聞きたくない。

 何も言いたくない。

 私は、心を閉ざした。

「美麗、467万円だ……」

「なによ、2人してムキになって。大差ないじゃない……」

「お前は!」

「…………」

 初めて聞いた男の怒声だった。

 こんな声も出せるのか。

 ぼんやりとした頭で、そんなことを思った。


「お前は、このお金を稼ぐのにどれだけ時間がかかるのか分かっているのか?」

「はぁ? 知らないわよそんなの……1年くらい?」

 男が頭を抱える。

「私は……どこで間違えた……」

「うざぁ……何よそれ。仕事何本かやれば稼げるじゃない」

「お前のそれとは話が違う!」

 いつになく真剣に話す男を見て、母の言葉が蘇った。

『ねぇ、あなた……美麗にちょっとお金使いすぎよ。今からちゃんと使い方教えないと』

 それを「気にするな」と一蹴していたのを、今になって悔やんでいるのだろう。


「1,100円」

「はぁ?」

「私の時給」

「だから何よ?」

 男が盛大にため息を吐いた。

「その時給なら、大体4,245時間分だ」

「だから何なのよ?」

「5年間で貯めたなら、月に70時間余り。この子が働いてきた時間だ」

「だから、それが何だっていうのよ」

「特待生を維持しながら、母さんの通院や看病。家事もして、その上で月に70時間。毎月働き続けることがどれだけ大変か、お前には分からんのか?」

「知らないわよそんなの……」


 分かるわけもない。

 お皿洗いすらやったことがない。

 お母さんのお見舞いにすら来たことがない。

 モデルの仕事以外は、ずっと遊び歩いていたのだから。

 一気に老け込んだように見える男が、ぼそぼそと呟く。

「遊ぶ暇なんて……あるはずないだろうな……」

 ようやく私の生活を理解した男は、懺悔するように言葉をこぼし続けていた。

 その姿を見ながら、私はただ――

 今まで感じていたことを、淡々と吐き出した。


「そうだね。大変だったんだよ?」

「…………」

「みんながお昼休みとか、授業の合間に楽しそうにお話ししてる中、1人で勉強して……」

 もう、怒鳴る必要なんてなかった。

「みんな優しいから、遊びにも誘ってくれたの」

 何気ない学校生活が浮かんでは消えていった。

 楽しかっただろうな。

 私も行きたかったな。

「1度も行けなかったけどね」

 男の顔が、悲痛に歪んだ。

「大学生になってからは、みんながおしゃれして、どんどん綺麗になっていくのを見てるだけ」

 ずっと、羨ましかった。

「私も……お洋服、たくさん買って、おしゃれしてみたかった」

「…………」

 そこで初めて。

 女が、目を逸らした。

「……別に、それくらいすればよかったじゃない」

「できないよ……」

 だって。

「早く、お家出たかったもん」

「…………」

「それに、お父さんのお金で綺麗に着飾ったところで……私はきっと、気持ち悪くて耐えられなかったと思う」

 実の親に対して、酷い言い草なのは分かっている。

 でも。

 もう、それを止めてくれる私はいなかった。


「色んな男に媚を売るあなたも――」

 女は何も言わない。

「お母さんが入院してから、色んな女と遊び歩くあなたも――」

 男も何も言わない。

「みんな……みんな大嫌い……」

「栞……」

 男が、掠れた声を出す。

「お金は、お父さんが何とかする」

「…………」

 違う。

 そうじゃない。

 そうじゃないんだよ。

「何度……間違えればいいのかな……」

 今までで1番、感情のこもっていない声だった。

「…………」

 そのひと言で、男はようやく気づいたようだった。


 いつも遅い。

 もう――

 遅すぎた。

 私はゆっくりと立ち上がる。

 そして、持っていたものをすべてテーブルへ置いた。

 スマホ。

 通帳。

 家の鍵。

 もう、全部必要ない。

「栞……?」

 玄関へ向かう。

「どこへ行くんだ!?」

 引き止める声。

 もう、どうでもよかった。

 でも――

 母が愛した人。

 そして少なくとも、私がこうして生きているのは、この人のおかげでもある。

 だから。

 最後くらいは、ちゃんとしよう。

 そう思い足を止める。

 姿勢を正し、男へ向き直った。


「今まで――」

 1度だけ、息を吸う。

「お金を出してくれて、ありがとうございました」

 深々と頭を下げる。

「さようなら……」

「…………」

 父の顔は、見えなかった。

 息を呑む音だけが聞こえる。

 やがて――

「……すまなかった」

 私はもう、父親だった人の顔を見ることなく玄関へ向かった。


「…………」

 靴は、どうしよう。

 ……どうでもいいか。

 ふと、朝のゴミ捨て場まで行くときに使っているサンダルが目に入った。

「…………」

 少しだけ笑いがこぼれる。

 今の私には――ちょうどいい。

 それを履き、玄関のドアへ手を掛ける。

「栞――」

 背後から声がした。

「風邪……引くなよ……」

「…………」

 引き止められないことを、悟ったのだろう。

 最後の最後で。

 ようやく少しだけ、父親らしいことを言ったなと思った。

 でも。

 全部、全部――遅すぎた。

 榊原家は、とっくの昔に壊れていた。

 それを亡き母が、必死に繋ぎ止めていた。

 今だからこそ、余計にそう思う。

 きっと母は。

 たとえお金が貯まっていたとしても、私と一緒にこの家を出ることはなかったのだろう。

 それでも私は――

 お母さんと一緒に、この家を出たかった。


 ドアを開ける。

 冬の訪れを告げる夜風が、容赦なく身体へ吹き付けた。

 薄着の身体を突き刺すような、冷たい風。

 けれど。

 今の私には、その冷たさすら――

 もう、どうでもよかった。


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