夏の音。①
「あまーーーい!!」
雛乃が唐突に叫び出した。
しばらく黙っていたと思ったら、これだ。
「甘いよ! 二人とも! 甘すぎる!!」
「…………」
「…………」
栞ちゃんと二人、顔を見合わせる。
不思議そうに首を傾げる栞ちゃん。
その向かいで、何やら悶えている雛乃。
コーヒーから立ち上る湯気が、そんな光景をのどかに包んでいた。
「もー! 見てらんないってば!」
そう言って、雛乃が俺のコーヒーを奪い取る。
そして、一口。
「うぇっ! にっげぇ!! 社会の味がするぅ……!」
「……お前なぁ」
本当に忙しいやつだ。
そんな雛乃を見て、栞ちゃんが思わず吹き出した。
「ふふっ……あははっ!」
その笑い声につられて、俺も笑ってしまう。
まったく。
こんな毎日が続くとなると、先が思いやられる。
……いや。
きっと、それすらも楽しいのだろう。
今は、そう思えた。
「……それより雛乃」
「んー?」
「お前、本当に何しに来たんだ?」
先ほどは余裕がなかったが、今なら率直に聞ける。
「ああー! そうそう! それなんだけどー!」
雛乃が勢いよく身を乗り出した。
……もったいぶってないで、さっさと説明しろ。
そう思いつつも、続きを待つ。
「びー!」
「……びー?」
栞ちゃんが首を傾げる。
「びー!」
「……早くしろよ」
「きゅー!」
ちゅー、でもするつもりなのか。
なぜか顔を突き出して迫ってきた雛乃に、俺はクッションを押しつけた。
「ぶふっ!?」
「近い!」
「びー! びー! きゅー!」
「……びーびーきゅー?」
栞ちゃんが何やら考え込む。
そして。
「あっ! BBQ!」
ぽん、と手を叩いた。
「イグザクトリィー!!」
雛乃が勢いよく立ち上がる。
……なんなんだ、そのテンションは。
いや、いつものことか。
「つまり? お前は週末にバーベキューでもやろうってことか?」
「ノン! ノン! ノン!」
雛乃が人差し指を左右に振る。
「B・B・Q! だよ、おにぃ!」
「……なんなんだよ、そのこだわりは」
どっちでもいいだろ。
スナック菓子でも食べとけ。
「とりあえず、お話はわかりました。恭佐さんはどうですか?」
「え? ああ、そうだな。特に予定はないが……」
「なんだよ、おにぃー」
「いや、ほら。荷物とかどうすんだ、お前?」
「……え?」
「いや、え? じゃなくて。道具とかいろいろあるだろ」
「……あっ」
「おい。まさか何も考えてなかったとか言わないよな?」
「そ、そそそそそんなことないよ?」
……おい。
「えーっと、ちょっと待ってね!」
雛乃がスマホを取り出し、ものすごい勢いで画面を叩き始めた。
タタタタタッ。
……こいつ、今考えてるな。
まったく。
いつもいつも、思いつきで行動しやがって。
「ったく……世話の焼ける」
「んー?」
「雛乃。とりあえず、道具のレンタルができて、食材の持ち込みも自由なところを探してみるか?」
「……ほほう?」
「まぁ、夏休みも終わりだ。今から予約できるかわかんないけどな」
「……それだ!」
雛乃の目が輝いた。
「そ! れ! だ!!」
シュババババッ!
再びスマホを操作し始める雛乃。
そんな妹を、栞ちゃんが感心した様子で見つめている。
……いや、栞ちゃん。
そんなにすごいことじゃないぞ?
テスト前に一夜漬けしているような、哀れな姿だ。
そんな尊敬の眼差しを向けるのはもったいない。
それから待つこと十数分。
「あっ、ここ!」
何やら見つけたらしい雛乃が、声を上げた。
「急なキャンセルが出たみたい! 結構割安なのがある!」
「おう。なら、それでいいんじゃないか?」
「んー……」
「……なんだよ」
「いやぁ、私は全然問題ないんだけど〜」
雛乃が妙にもったいぶった口調になる。
……嫌な予感がする。
「グランピング施設でね?」
「おう」
「宿泊つきのプランなんだよね〜」
「……ほう?」
「しかも、三人で泊まれるお部屋!」
「へぇ。それはいいですね!」
栞ちゃんが嬉しそうに身を乗り出す。
確かに、せっかくなら泊まりがけというのも悪くない。
ただ、問題は寝る場所だ。
「で? 寝るところはどうなってんだ?」
「んふふ〜」
「……なんだよ」
「超! でっかいベッドがあるんだって!」
「……ベッド?」
「そう! 三人でも余裕で寝られちゃうくらい!」
「……は?」
「三人で同じベッドで寝られるね♡」
「おいっ!」
何を言い出すんだ、こいつは!
「……えっ?」
栞ちゃんが固まった。
そして、じわじわと頬を赤くしていく。
……いや、待て。
さすがにそれはどうなんだ?
「ほかに寝具はないのか?」
「んー? えっとねぇ……」
雛乃がスマホの画面を確認する。
「超大型ベッド一台と……」
「……と?」
「……敷布団もあるみたいだけど」
最後の言葉だけ、妙に小さかった。
「ん? なんだって?」
「なーんでも! とにかくベッドが超でっかいの!」
「……お前、今なんか言わなかったか?」
「気のせい気のせい!」
……怪しい。
ものすごく怪しい。
「まぁでも、パッと調べた感じ、そこくらいしか空いてなさそうだし〜」
「あのなぁ……」
「まぁ、言いたいことはわかるよ?」
「ほう?」
「でもね、おにぃ。よく考えてほしい」
「……何を?」
雛乃が、妙に真剣な顔をした。
「今とそんなに大差ある?」
「…………」
……まぁ。
同じ家で暮らしているわけだしな。
とはいえ、普段はそれぞれ別の布団で寝ている。
さすがに話が違う気もするが……。
ちらりと、栞ちゃんへ目を向ける。
「…………」
なんだか、もじもじしている。
……そりゃそうだよな。
俺だって、意識しないわけじゃない。
そもそも、栞ちゃんが嫌がるようなことはしたくない。
「……栞ちゃんは、どう思う?」
「えっ!? わ、私ですか!?」
「ああ。無理に合わせなくていいからな?」
「…………」
栞ちゃんは少し考え込んだ。
それから、控えめに手を上げる。
「あ、あの……私は、その……」
「うん?」
「……いいと思います!」
「……え?」
「せっかくですし、三人で旅行するのも楽しそうですから!」
そう言って、恥ずかしそうに微笑んだ。
「……そっか」
俺も、別に嫌なわけじゃない。
むしろ、二人と出かけられるのは嬉しい。
ただ、寝る場所については現地でも確認しておこう。
……雛乃の説明は、いまいち信用できないからな。
「それじゃあ、決まりだね!」
雛乃が満面の笑みを浮かべる。
「今年最後の夏の思い出! レッツ、B・B・Q!!」
「……だからバーベキューだろ」
「ノン! B・B・Q!」
「はいはい……」
「ふふっ。楽しみですね!」
栞ちゃんも嬉しそうに笑っていた。
……まぁ、いいか。
こうして、俺たちの計画はとんとん拍子で進んでいった。
明日から、一泊二日。
急遽決まった、今年最後の夏の思い出作り。
夏が、終わろうとしていた。




