夏の音。②
8月30日、土曜日。
俺たちはレンタカーを走らせ、バーベキュー……いや、BBQへと向かっていた。
「それでは聴いてください! 真夏の体臭!」
後部座席からは、シャカシャカとマラカスのやかましい音が鳴り響く。
そして、意味のわからない歌が車内を包んでいた。
……歌だけは上手いのが、余計に腹立たしい。
「雛乃ちゃん、歌上手ですねー!」
ぱちぱちと隣で手を叩く栞ちゃん。
「へっへーん! 常夏のセイレーンとは私のことよ!」
浜辺で干からびてそうな歌姫だな。
それはそうと、ふと思った。
栞ちゃんは、どんな歌を歌うのだろうか?
ちなみに俺は、音痴とも歌うまとも呼べない、一番反応に困るラインの歌唱力だ。
カラオケなどでは、他人の歌を聴いている方が好きだった。
雛乃の歌は、どこかドヤッとしていて聴いていると腹が立つ。
あと、いちいちワンフレーズごとにチラ見してウィンクを飛ばすのやめろ。気持ち悪い。
だからこそ、ぜひ栞ちゃんにでも歌ってもらいたいものだ。
「栞ちゃんは、どんな歌を歌うんだ?」
「えっ? そう、ですね……」
しばし考え込む栞ちゃん。
「あっ! そしたらさ! これにしようよ!」
雛乃が選んだ曲のイントロが流れる。
国民的アニメの主題歌だった。
「あっ! これならわかります!」
「よし! それじゃあ、聴いてください! 栞ちゃんで、勇気3%!!」
ただの小心者じゃねーか。
消費税でも10%はあるぞ。
「……すぅーー」
栞ちゃんは目を閉じ、ゆっくりと息を吸い込んだ。
そして。
「ほぇ〜〜〜……」
「…………」
……あっ。
うん。
ごめん。
聴かなかったことにしよう。
俺は静かに前を向いた。
そう。
これは二人のため。
安全運転のためだから。
◇
「……ふぅ」
一曲を歌い終えた栞ちゃんが、満足そうに息をついた。
バックミラー越しに見える雛乃は、あまりの歌声に言葉も出ないようだ。
さすが栞ちゃんだ。
……うん。
「……しお……りちゃん?」
「はい?」
「その……」
「はい?」
栞ちゃんが首を傾げる。
「音楽の成績って、いくつ?」
「へっ? えっと……五段階中、五はいただいてましたけど……?」
「なぁっぜっ!?」
ばっと身を起こした雛乃が、頭をがりがりと掻きむしる。
……失礼なやつだな。
個性的でいいだろ。
「栞ちゃん、歌の実技試験ってどうしてたの?」
「え? 練習してましたけど……?」
「先生はなんて?」
「えっと……泣いてましたね」
「…………」
……泣いていた?
雛乃との会話を聞いているうちに、俺は一つの可能性に思い至った。
もしかして、学校で歌う曲なら歌えるのではないか?
「雛乃、ちょっと次の曲を流してくれないか?」
「んー? 何の曲?」
「ほら、中学校の合唱で歌った、あの曲」
「あー! あれね!」
雛乃がスマホを操作する。
やがて、優しいピアノのイントロが車内に響き始めた。
目を閉じれば思い出す。
勇気を翼に込め、希望の風に乗った、あの日々を。
「あっ! これはたくさん練習しました!」
栞ちゃんの表情がぱっと明るくなる。
そして、歌い出した。
広い大空に、夢を託すように。
◇
「……ふぅ。どうでしょう?」
歌い終えた栞ちゃんが、少し照れくさそうに尋ねた。
……雛乃は泣いていた。
俺はその笑顔があまりにも眩しくて、危うく旅立ちそうになった。
感動的なまでのソプラノ。
さっきまでの歌声は、いったいなんだったのだろうか。
知っているだけのアニソンとは違う。
何度も練習を重ねた楽曲において、栞ちゃんは完璧だった。
いや。
単に音程が正確だとか、そういう話ではない。
歌そのもので、人を魅了する。
そんな才能が、そこにはあった。
「……栞ちゃん」
「はい?」
「私、もう歌えない……」
ぐったりとうなだれた雛乃の手から、マラカスがぽとりと足元に落ちた。
……完全敗北。
どうやら、そう悟ったらしい。
「え、えーっと……?」
静まり返った車内。
栞ちゃんだけが、困惑していた。
◇
騒がしい雛乃のリサイタルと、栞ちゃんの合唱コンクールを経て、俺たちはようやく目的地へと到着した。
青い海、白い砂浜、そして。
「いぃーーやっふぉーーっ!」
やかましい妹。
雛乃は水着の上に羽織っていたパーカーを脱ぎ捨て、海へと飛び込んでいた。
「子どもかよ……」
小学生の頃から何も成長していないあいつを放置して、俺はパラソルと拠点の設営に取りかかる。
「雛乃ちゃん、元気ですね」
少し遅れて、栞ちゃんがやって来た。
無事に着替えを済ませたみたいだ。
「ああ……そうだな……」
「どうしました?」
思わず目を逸らす。
栞ちゃんは水着の上から、薄手の上着を羽織っていた。
しかし、その下から伸びる真っ白な脚。
普段は見せない、すらりとしたその姿に、思わず視線が吸い寄せられてしまった。
……なんだろう。
見てはいけないものを見てしまったような。
そんな妙な罪悪感に苛まれていた。
「いや、なんでもない。こっちの設営はやっておくから、栞ちゃんも行っておいで」
「そうですか? わかりました。では、お言葉に甘えて……」
するり。
栞ちゃんが上着を脱ぐ。
白い肌が、夏の日差しの下にあらわになった。
「……っ!」
その瞬間。
ビューーッ!
「ぶっ!?」
顔面に水が飛んできた。
「雛乃、てめぇ……!」
「うぇー! 妖怪キョウスケベェがこっち来るー! 栞ちゃん、逃げるよー!」
いつの間にか水鉄砲を手にした雛乃が、栞ちゃんの手を引いて海へと戻っていく。
「ったく……」
……おかげで頭がクールダウンできた。
こんな調子で大丈夫か、俺?
遠くでは、栞ちゃんの水鉄砲が雛乃の顔面を正確に捉え続けていた。
「ちょっ! まっ! しおっ!! ちゃん!!」
……自業自得だな。
◇
じゅーっ。
肉の焼ける音。
野菜につけたタレが炭火に熱せられ、香ばしい匂いが立ち上る。
炎天下の中、俺は汗だくになりながら炭火の番をしていた。
……そもそも、わかりきっていたことだ。
雛乃に任せたら、すべてが炭へと還ることを。
「おにぃー! まだー?」
紙皿を手に、今か今かと肉を待っている雛乃。
少しは栞ちゃんを見習え。
そう思って、栞ちゃんに目を向ける。
……ん?
よく見ると、栞ちゃんは食べ頃の肉をすでに回収していた。
まさか。
栞ちゃんに限って、そんな……。
俺はあまりの出来事にショックを隠せないでいた。
「ふーっ、ふーっ」
焼きたてのお肉。
溢れ出る肉汁。
そして。
「はいっ」
「……えっ!?」
気づけば、目の前に栞ちゃんが肉を差し出していた。
「両手が塞がってましたので、その……お野菜からの方が良かったですか?」
「あっ、いや……」
はむっ。
差し出された肉を頬張る。
程よく冷まされたお肉。
うん。
美味い。
……多分。
味なんて、わからなかった。
「あー! おにぃー! 焦げてるー!!」
「やべっ……!」
つい栞ちゃんとのやり取りで、ペースが乱れてしまった。
慌てて肉をひっくり返し、焦げたものを皿に移す。
それから、そばにあった麦茶を飲み干した。
……身体はまだ熱い。
これは、そう。
夏のせい。
「栞ちゃーん! 私にもあーんしてー!」
「ふふっ。順番ですよー」
そう言って笑う栞ちゃんを、俺はつい目で追ってしまう。
……まったく。
どうにも調子が狂う。
火照った頭を冷やすためにも、あとで海に飛び込んでこよう。
俺は、そう決意した。
はい。
散々終わりまであと少し、などと言っておいてあと一話、あと一話と間延びしてるのも大体夏のせいです。
いえ、雛乃のせいです。
冗談はさておき、プロット上の重要エピソードはあとわずか、最後までお付き合いくださると幸いです。
それではまた、次回。




