世界の中心の隣でモブは嘆く。
「おにぃー! 見て見てー!」
休日の昼下がり。
リビングのソファでくつろいでいると、雛乃が騒がしくスマホを突き出してきた。
「んー? どした?」
「じゃじゃーん! この間の栞ちゃんとのツーショット、めちゃ伸びてるー!」
「……へぇ」
画面には、浴衣姿の二人が並んで写っていた。
先日の花火大会で撮影した写真だ。
雛乃は満面の笑みでピースサイン。
その隣では、栞ちゃんが少し照れくさそうに微笑んでいる。
うん。
いい写真だと思う。
自分の娘なら、つい他人に自慢したくなるくらいには上手く撮れていた。
「ほらほら! いいねもこんなについてる!」
「お前、こんなの投稿してたのか」
「そりゃするでしょ! こんな可愛い二人が浴衣着てるんだよ? 知られなかったら世の損失だよ!?」
「そこまでかよ」
「事実なので!」
まったく。
こいつの自己肯定感は一体どこから湧いてくるんだ。
俺にも少し分けてほしいものだ。
「でも、栞ちゃん可愛いでしょ?」
「……まぁ、似合ってるんじゃないか」
「ふーん?」
「なんだよ」
「べっつにー?」
雛乃がニヤニヤと覗き込んでくる。
なんだ、その顔は。
腹立つな。
後でこいつのところだけトリミングして保存しておこうと思った。
俺は話題を変えるように、もう一度スマホへ視線を落とした。
そして、あることに気づく。
「……おい」
「んー?」
「俺も映ってんじゃねーか」
写真の右端。
二人の少し後ろで、屋台の袋を持った男が見切れていた。
俺だ。
しかも、絶妙に間抜けな顔をしている。
「へーきへーき! 誰もモブなんて見てないからー!」
「誰がモブだ」
「だって世界の主役は私と栞ちゃんだもーん!」
ソファから蹴り落としてやろうか?
モブにはモブなりの世界ってもんがあるんだよ。
そんなことを考えながら、妹をソファから蹴り出す準備を整える。
「暴力反対! 妹を大切にしろー!」
そう言いながら、雛乃は俺の隣にべったりと擦り寄ってきた。
……本当に蹴り落としていいだろうか。
いや、やめておこう。
こいつは落としたところで、ただでは起き上がらない。
余計な心労が増えるだけだ。
「それよりお前さ」
「なーに?」
「花火大会で寝るやつなんて、初めて見たわ」
「えー? だってさー」
「お前が行きたいって言い出したんだろ」
「花火は見たかったよ? でもさ? どーん、ぱらぱらーって聞いてると、なんだか眠くならない?」
確かに。
一定のリズムで響く花火の音には、リラックス効果があるのかもしれない。
いや、実際あるかは知らないが。
まぁ俺自身、あのときはリラックスする余裕なんてなかったのだが。
「もったいねぇな」
「いいのいいの! 楽しかったし!」
「……そりゃ良かったな」
「それにさー」
「ん?」
「……ううん。なんでもなーい!」
なんだよ。
言いかけたなら最後まで言え。
そう思ったが、雛乃はすでにスマホへ視線を戻していた。
「うわ! またいいね増えた!」
「はいはい。良かったな」
「お兄ちゃんも押していいんだよ?」
「押さねぇよ」
「もう! 恥ずかしがらなくていいんだぞ♡」
そんな他所様に紹介することが憚られる妹を無視し、ソファに身体を預ける。
窓の外では、蝉が相変わらず元気に鳴いている。
まだまだ夏は終わりそうにない。
目を閉じると、あの日の光景が浮かんできた。
夜空いっぱいに広がる光。
腹の底まで響く音。
隣から聞こえた、楽しそうな声。
そして。
『私、お二人に会えて、本当に良かったです!』
あのときの栞ちゃんは、本当に嬉しそうだった。
俺たちと一緒にいることを、あんなふうに喜んでくれるなんて。
正直、思ってもいなかった。
いや、嬉しいとは思ってくれているだろう。
それくらいは、普段の様子からもわかる。
ただ、あの笑顔を見たとき。
『……綺麗だ』
つい溢れた言葉。
もし、あの先があったなら。
俺は何を口にしていたのだろうか。
……あー。
やめよう。
あれは完全に事故だ。
そもそも、あの言葉に続きなんてなかったはずだ。
そう思ったときだった。
「……さん?」
「…………」
「恭佐さん?」
「……ん?」
目を開けると、栞ちゃんが不思議そうにこちらを覗き込んでいた。
ふんわりと香る、あの日と同じ匂い。
ドクン、と心臓が脈打つ。
「あ、すみません。何度かお呼びしたんですけど……」
「え? ああ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「そうだったんですね。お疲れですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
「そうですか? それなら良かったです」
栞ちゃんは安心したように微笑むと、俺の前に麦茶の入ったグラスを置いた。
「冷たいもの、持ってきました」
「ああ、ありがとう」
「いえいえ!」
栞ちゃんは自分のグラスを持ち、向かいの椅子へ腰を下ろす。
その何気ない動作を、俺はなんとなく目で追っていた。
……いつもどおりだ。
栞ちゃんは栞ちゃんだし、俺は俺。
こうして一緒に暮らしているのも、昨日今日始まったことじゃない。
なのに。
「……恭佐さん?」
「え?」
「やっぱり、何かありました?」
しまった。
また見ていたらしい。
「いや、本当に大丈夫だよ」
「そうですか……?」
「うん」
「でも、何かあれば遠慮なく言ってくださいね?」
栞ちゃんは少し心配そうに笑った。
「夏風邪というのもありますから、気をつけないとですから」
「……ああ」
掃除も、洗濯も、料理も。
俺が疲れて帰ってきた日には、温かい食事を用意してくれる。
くだらない話にも笑ってくれるし、どうでもいいことでも一緒に楽しんでくれる。
気づけば、そんな毎日が当たり前になっていた。
「……いつもありがとう」
「……え?」
「いや、なんとなく」
「えっ? あ、はい……?」
栞ちゃんは目をぱちぱちと瞬かせた。
それから、少し慌てた様子で姿勢を正す。
「こ、こちらこそ! いつもありがとうございます!」
「はは。なんだよ、急に」
「それはこっちの台詞ですよ!」
珍しく、栞ちゃんが頬を膨らませた。
「おにぃー!」
横から、間延びした声が飛んでくる。
「なんだよ」
「私には?」
「何が?」
「いつもありがとう、は?」
「……お前の場合は迷惑かけた分で相殺だ」
「なんで!?」
「さっきの写真だよ」
「まだ言ってるー! いいじゃん! おにぃとか、どうせこそこそ画像保存したりしてんだから!」
雛乃が大げさに肩をすくめる。
栞ちゃんはそんな俺たちを見て、くすくすと笑っていた。
……まったく。
相変わらず騒がしい妹だ。
けれど、そんなくだらないやり取りを笑ってくれる人がいる。
それだけで、いつもの休日が少し違って見えた。
◇
とあるバー。
「若いっていいなぁー!」
「なになに? どしたの急に?」
「えー? ちょっとこれ見てよー」
仕事終わりの女たちが集まるテーブルは、今日も賑やかだった。
「見て見て! この子たち、浴衣めっちゃ似合ってない?」
「ほんとだー! 若いねぇー!」
「私もこんなキラキラした青春送りたかったー!」
「わかるー! もう一回大学生からやり直したい!」
「私は高校生からがいい!」
「欲張りすぎでしょ!」
きゃはは、と笑い声が上がる。
美麗はカクテルのグラスを傾けながら、適当に相槌を打っていた。
「美麗はいいよねー」
「……何が?」
「男なんて掃いて捨てるほど寄ってくるんだから!」
「別に、そんなことないけど」
「出たー! 美人の謙遜!」
「嫌味にしか聞こえなーい!」
「はいはい」
面倒くさい。
そう思いながらも、美麗は薄く笑ってみせた。
「はぁー。私も花火行きたかったー」
「社会人つらたん〜。誰か私を養って〜」
「それ毎回言ってるじゃん!」
「だって働きたくないんだもーん!」
くだらない会話。
いつもの顔ぶれ。
いつもの飲み会。
美麗は退屈しのぎにスマホを手に取った。
何気なくSNSを開く。
流れてくるのは、知り合いの近況や、どうでもいい広告。
料理の写真。
旅行の写真。
恋人とのツーショット。
どれも似たようなものだ。
指先で画面を滑らせる。
そのとき。
「…………ん?」
美麗の指が止まった。
画面に映っていたのは、浴衣姿の女の子が二人。
片方は明るい笑顔でピースサイン。
もう片方は、少し控えめに微笑んでいる。
……見覚えがある。
「……栞?」
思わず、小さく呟いた。
画面を拡大する。
間違いない。
丁寧に整えられた髪と、いつもより少し華やかな化粧。
以前の栞は、化粧なんて最低限だったはずだ。
それが今では、誰かに見られることを意識しているように見えた。
しばらく顔を見ていなかったが、見間違えるはずもない。
自分の妹だ。
……何やってんの、あの子。
家を出ていったきり、ろくに連絡も寄越さないくせに。
ずいぶん楽しそうじゃない。
「美麗ー? どうしたの?」
「……別に」
「なになに? 知り合い?」
「……まぁね」
適当に答え、もう一度写真へ目を落とす。
隣の女の子は知らない。
友達だろうか。
それにしても、ずいぶん仲が良さそうだ。
……ふぅん。
美麗は画面を閉じようとして。
ふと、写真の端に目を留めた。
「…………え?」
右端。
二人の後ろに、男が映り込んでいる。
屋台の袋を手にした、冴えない顔の男。
背景に紛れてしまいそうなほど、小さく写っている。
けれど。
その顔を、美麗は知っていた。
「……恭佐?」
指先で画面をさらに拡大する。
少し画質が荒くなった。
それでも。
見間違えるはずがない。
かつて、自分が付き合っていた男。
その男が。
なぜか、自分の妹と同じ写真に写っている。
「…………」
美麗はしばらく黙って画面を見つめた。
栞。
恭佐。
そして、知らない女。
三人で花火大会?
……どういうこと?
「ねぇ、美麗。聞いてるー?」
「……ん?」
「だからさー、次の休みどこ行く?」
「あー……ごめん。ちょっと待って」
美麗はスマホを持ち直した。
写真をもう一度確認する。
何度見ても、そこにいるのは栞と恭佐だった。
偶然?
それとも。
「…………ふーーん」
美麗はグラスを置いた。
そして、写真の中で楽しそうに笑っている妹を見つめる。
「……なんか、ムカつく」
誰にも聞こえないほど小さな声で、そう呟いた。
画面の中では、三人が夏の夜を楽しんでいた。
その写真が誰の目に留まったのか。
モブは、まだ知らない。




