夏の花火と彼氏。②
私たちは早歩きで、しばらく歩きました。 少しだけ息が乱れます。 男の人たちの姿が見えなくなったところで、ようやく雛乃ちゃんが立ち止まりました。
「ごめん、栞ちゃん。大丈夫だった?」
「えっ……?」
どうして雛乃ちゃんが謝るのでしょう。
むしろ、助けていただいたのに。
「私は大丈夫です。それより雛乃ちゃんこそ……」
「んー? 私? 私は大丈夫だよ?」
雛乃ちゃんは少しだけ考えるように首を傾げました。
「……でも……」
「んーまぁそだねー。私さ、ああやって無理やり力でどうにかしようとしたり、人の話を聞かなかったりする人たちって嫌いなんだよねー」
いつものような、軽い口調。
「だから、つい言っちゃうんだよねー。あはは」
雛乃ちゃんは笑っていました。
でも、先ほどまで震えていた手を思い出すと、私には何も言えませんでした。
「……あっ、そうだ」
「はい?」
「さっき、彼氏いるのかって話、聞いたでしょ?」
「あっ、はい」
そうでした。
美容室を出たあと、私が雛乃ちゃんに尋ねたのでした。
「私ね、正直、告白されること自体は少なくないんだけどね」
「そうなんですね」
少し意外でした。
いえ、雛乃ちゃんが告白されることではありません。
こんなに素敵な人なのですから、きっとたくさんの人に好かれているのでしょう。
意外だったのは、それでも今までお付き合いした人がいないということでした。
「でもさ、一度もこの人だー! ってなったことがないんだよね」
「そう、なんですか……」
「なんだろう。私、めんどくさいからさー」
雛乃ちゃんは困ったように笑います。
「私のこと、ちゃんと見てくれる人じゃないと多分ダメなんだよねー」
ちゃんと、見る。
「嬉しくないわけじゃないよ? 可愛いって言ってもらえたり、一緒にいると楽しいって言ってもらえたり。そういうのは、もちろん嬉しいんだけどね」
雛乃ちゃんは少しだけ視線を落としました。
「だけどね?」
そして、ぽつりと呟きます。
「もっと奥の奥。そういうところまで、私のことをわかってくれる人がいいなーって」
「…………」
「……なーんて」
雛乃ちゃんは、いつもの笑顔を浮かべました。
「自分で隠しておいて、何言ってるんだろうね、私」
そう言って笑う雛乃ちゃん。
けれど。
私には、その笑顔がとても苦しそうに見えました。
雛乃ちゃん。
私は、あなたのことをどれくらい知っているのでしょう。
いつも明るくて、元気で。
少しだけ意地悪な所もあるけれど、とても優しい人。
でも、時々寂しそうな顔をする。
そんな雛乃ちゃんを見ていると、私は時々不安になります。
◇
「おまたせー!」
「お待たせしました」
恭佐さんとの待ち合わせ場所に到着しました。
少し離れたところに、見慣れた姿が見えます。
「おお、遅かった……な」
恭佐さんがこちらを振り返りました。
そして。
「…………」
……?
どうしたのでしょう。
恭佐さんが動かなくなってしまいました。
「恭佐さん?」
手を振ってみます。
反応がありません。
一歩近づきます。
顔の近くで、もう一度手を振ってみました。
……やっぱり反応がありません。
心配です。
「恭佐さーん?」
「…………」
「恭佐さーーん!」
「……っ!?」
はっとした様子で、恭佐さんが動き出しました。
よかったです。
寝ていたわけではないようでした。
「ご、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。大丈夫だよ」
……?
なんだか顔が赤いです。
少し待たせてしまったので、熱中症になっていないか心配です。
「ちょっと失礼しますね」
「えっ?」
そっと額に手を当てて、体温を確かめます。
……うん。
特別熱があるようには感じません。
よかったです。
「あれ?」
「…………」
恭佐さんが、また固まってしまいました。
どうしましょう。
「……栞ちゃん」
「はい?」
「ちょっと、離れてあげた方がいいかも」
雛乃ちゃんが、なぜか呆れたように笑っています。
……?
よくわかりません。
◇
少し時間はかかりましたが、ようやく恭佐さんの様子が元に戻りました。
そして、屋台の並ぶ通りへ向かおうとしたときでした。
「……栞ちゃん、ちょっといい?」
恭佐さんが、私に顔を近づけました。
「ひゃっ!?」
あまりにも急だったので、思わず変な声が漏れてしまいました。
まったく! 心臓に悪いです。
「ご、ごめん!」
「い、いえ! こちらこそ!」
恭佐さんは少し困ったように笑うと、声を潜めました。
「あのさ、ここに来るまで何かあった?」
「……えっ?」
そう尋ねた恭佐さんは、ちらりと雛乃ちゃんに目を向けました。
雛乃ちゃんは少し離れたところで、屋台の並ぶ通りを眺めています。
「……実は、少しだけ」
何と説明したものでしょう。
あの男の人たちのこと。
雛乃ちゃんが助けてくれたこと。
そして、震えていた手のこと。
どこから話せばいいのか考えていると、恭佐さんが一歩前に出ました。
「雛乃!」
「おっ、おう。どした、おにぃ?」
雛乃ちゃんが振り返ります。
「チョコバナナ、みっけたぞ」
「……えっ?」
「食べねーのか?」
「たっ、食べる!」
雛乃ちゃんの表情が、ぱっと明るくなりました。
「どこ!? どこにあるの!?」
「あっち」
「よっしゃー! 行くぞー!」
雛乃ちゃんが元気よく歩き出します。
私は、先ほどの雛乃ちゃんの言葉を思い出しました。
もっと奥の奥。
きっと、こういうことなんだと思います。
特別なことではありません。
ほんの少しの変化に気づいて、相手のことを思いやる。
そして、何も聞かずに、いつもどおり接してくれる。
そんな人。
……なんだか。
雛乃ちゃんに彼氏がいない理由が、少しだけわかってしまいました。
雛乃ちゃんを好きになってくれた人たちには、申し訳ないですけれど。
あんなに素敵なお兄さんがいたら、私も……。
……いけませんね。 誰かと比べるなんて。
でも。
そうですね。
私も、もうダメかもしれません。
「ほらー! 栞ちゃん、遅れてるぞー!」
「あっ、はい!」
「……ん? どしたの?」
「えっ?」
「なんか、すごいニヤニヤしてる気がするけど?」
「気のせいですよ」
私はつい笑ってしまいました。
そして誤魔化すように続けます。
「チョコバナナ、逃げちゃいますよ?」
「それは大変だ! おにぃー! 走るよ!」
「おい! そんな格好で無理すんな!」
「じゃー、おんぶー!」
「するわけねーだろ!」
前を歩く2人。
その姿を見つめながら、私はいつかを夢見ていました。
私も、いつかあんなふうになれるのでしょうか……。
◇
花火大会の会場は、たくさんの人で賑わっていました。
屋台から漂う香ばしい匂い。
あちらこちらから聞こえてくる楽しそうな声。
色とりどりの提灯が並び、歩いているだけで胸が弾みます。
「栞ちゃん! 見て見て! あれ!」
「わぁ、金魚すくいですね!」
「こっちは射的! あっ、焼きそばもある!」
雛乃ちゃんは、まるで宝物を見つけた子供のようにはしゃいでいました。
「……お前、さっきチョコバナナ食ったばっかりだろ」
「別腹ですぅー!」
「いくつ別腹があるんだよ」
「女の子には秘密がいっぱいあるの!」
「便利な言葉だな」
そんな2人のやり取りを聞いているだけで、自然と笑顔になってしまいます。
そのときでした。
「……うっ……ぐすっ……」
どこからか、小さな泣き声が聞こえてきました。
声のする方を見ると、屋台の脇に小さな男の子が立っていました。
3歳か4歳くらいでしょうか。
目には涙をいっぱいにためています。
「……ん?」
雛乃ちゃんも気づいたようでした。
男の子の前にしゃがみ込み、目線を合わせます。
「どしたのー? ぼく」
「……まま……」
「ん?」
「まま、いない……」
男の子の目から、大粒の涙がこぼれました。
雛乃ちゃんは、少しだけ表情を柔らかくしました。
「そっかー。ママとはぐれちゃったんだね」
男の子が小さく頷きます。
「大丈夫だよ。お姉ちゃんたちと一緒に探そっか」
「……うん」
雛乃ちゃんが手を差し出すと、男の子はおずおずとその手を握りました。
「ねぇ、ぼく。お名前は?」
「……たいち」
「たいちくんかー! 私は雛乃! ひなのちゃんって呼んでね!」
「……ひなのちゃん?」
「そうそう! よろしくね、たいちくん!」
たいちくんは、頷きました。
私たちは近くの係員さんに事情を伝え、迷子センターへ向かいました。
そこでたいちくんの名前や特徴を伝え、お母さんを探してもらうことになりました。
ですが。
「……まま……」
たいちくんは、まだ不安そうです。
今にも泣き出しそうな顔で、雛乃ちゃんの浴衣の袖を握っています。
「んー……」
雛乃ちゃんは少し考えると、たいちくんの顔を覗き込みました。
「ねぇ、たいちくん」
「……?」
「ママが見つかるまで、お姉ちゃんと一緒にお祭り楽しんじゃおっか?」
「……おまつり?」
「そう! せっかくだもん! いっぱい遊ぼ!」
たいちくんが、雛乃ちゃんを見つめます。
雛乃ちゃんは係員さんに相談し、連絡先を伝えて、会場内で連絡を待つことにしました。
「よーし! それじゃ、出発ー!」
「……しゅっぱつ!」
たいちくんが、小さな声で真似をします。
その姿に、雛乃ちゃんは嬉しそうに笑いました。
◇
「よーし! 勝負だ!」
「まけない!」
私たちが最初に立ち寄ったのは、輪投げの屋台でした。
雛乃ちゃんとたいちくんが並んで立っています。
「おい雛乃。お前、相手は子供だぞ?」
「わかってるってー!」
雛乃ちゃんは得意げに笑いました。
「お姉ちゃんの実力、見せてあげる!」
なんだか、嫌な予感がします。
「えいっ!」
雛乃ちゃんの投げた輪は、景品の手前に落ちました。
「あれ?」
「えいっ!」
たいちくんの輪は、小さな景品にすぽんと入ります。
「あっ!」
「やったー!」
たいちくんが両手を上げて喜びます。
「……えっ?」
雛乃ちゃんが固まりました。
「ちょっ、待って! 今のなし!」
「おい、子供相手に何言ってんだ」
「だって! 今のは手が滑っただけだもん!」
「言い訳すんな」
「むぅー!」
雛乃ちゃんが頬を膨らませます。
その横で、たいちくんが小さな景品を抱きしめていました。
「ひなのちゃん」
「……ん?」
「だいじょーぶ!」
たいちくんが、にっこりと笑います。
「つぎ、がんばろ!」
「…………」
雛乃ちゃんが、ゆっくりと振り返りました。
「……栞ちゃん」
「はい?」
「私、今、慰められた?」
「……ふふっ」
思わず笑ってしまいました。
「よかったですね、雛乃ちゃん」
「よくなーい!」
隣で恭佐さんがため息をつきます。
「……どっちが子供なんだかな」
……本当に。
でも。
さっきまで泣いていたたいちくんが、今はこんなに楽しそうに笑っています。
それが、何より嬉しいことでした。
◇
それからも、私たちは屋台を巡りました。
たいちくんはすっかり雛乃ちゃんに懐いてしまったようです。
「ひなのちゃん! あっち!」
「おっ、次はあっちかー!」
「ひなのちゃん! みて!」
「おおー! すごいじゃん!」
雛乃ちゃんも負けじとはしゃいでいます。
どちらが遊んでもらっているのでしょうか。
そんなことを考えていると、雛乃ちゃんのスマートフォンが鳴りました。
「あっ、はい! ……えっ、本当ですか!?」
電話に出た雛乃ちゃんの顔が、ぱっと明るくなります。
「わかりました! すぐ戻ります!」
電話を切ると、たいちくんの前にしゃがみました。
「たいちくん!」
「……?」
「ママ、見つかったって!」
「……まま?」
「そう! 今、迎えに来てくれてるって!」
たいちくんの顔が、みるみる明るくなっていきます。
「まま!」
「うん! よかったねー!」
私たちはたいちくんと一緒に、迷子センターへ戻りました。
◇
「……あっ!」
迷子センターに着くと、ひとりの女性がこちらに駆け寄ってきました。
「……っ! よかった……!」
「ままー!」
たいちくんが駆け出します。
女性はその小さな体をぎゅっと抱きしめました。
「ごめんね……ごめんね……!」
何度も謝りながら、たいちくんの頭を撫でています。
その姿を見て、私も胸がいっぱいになりました。
「本当に、ありがとうございました」
女性が深く頭を下げます。
「いえいえー! 私たちも一緒に遊んでもらっちゃいましたから!」
雛乃ちゃんが笑います。
「ねー?」
「うん!」
たいちくんも元気よく頷きました。
よかった。
本当によかったです。
「それじゃ、またねー!」
雛乃ちゃんが手を振りました。
ですが。
「……やだ」
「ん?」
たいちくんが、雛乃ちゃんの浴衣の袖を掴みました。
「ひなのちゃんと、もっとあそぶ!」
「あはは! 嬉しいなー!」
雛乃ちゃんはたいちくんの頭を優しく撫でます。
「でも、ママが待ってるからね。また今度遊ぼ?」
「……やだ!」
たいちくんが首を横に振りました。
そして、突然。
「ぼく、ひなのちゃんとけっこんする!」「……えっ?」
思わず声が出てしまいました。
雛乃ちゃんも、一瞬だけ目を丸くします。
ですが、すぐににっこりと笑いました。
「そっかー! ありがとね!」
そして、たいちくんの目線に合わせてしゃがみ込みます。
「それじゃあ、まずは彼氏からお願いしようかなー!」
「かれし?」
「そう! お姉ちゃんの彼氏!」
たいちくんは少し考えると、元気よく頷きました。
「うん!」
「あっ、でもね?」
雛乃ちゃんが、いたずらっぽく笑います。
「その前に、うちのお兄ちゃんを倒してからね!」
「……おにーちゃん?」
たいちくんが、ゆっくりと恭佐さんを見上げました。
「…………」
じーっ。
「……ん?」
恭佐さんが首を傾げます。
たいちくんは、真剣な顔で恭佐さんを見つめていました。
まるで、大きな壁を見つけたかのように。
「……おい雛乃。お前、何吹き込んでんだよ」「えー? 別にー?」
雛乃ちゃんが楽しそうに笑います。
……ふふっ。
これは、負けられませんね。
私も思わず、笑ってしまいました。




