夏の花火と彼氏。①
「栞ちゃん、相変わらず髪綺麗だねー! 羨ましいよ」
「ありがとうございます」
私と雛乃ちゃんは、花火大会に向けて美容室に来ていました。
涼子さん。
成人式以来、髪を整える際に度々お世話になっている美容師さんです。
そして、雛乃ちゃん曰く。
『花火に浴衣は良い女のマナー!』
なのだそうです。
少し何を言っているのかはわかりませんでしたが、いつものことです。
雛乃ちゃんには、雛乃ちゃんなりのこだわりがあるのでしょう。
私はいつも、それに助けられていると思います。
だからきっと、今日のこれも大切なことなんだと思います。
「栞ちゃん、何か家で手入れとかしてるの?」
髪に櫛を通しながら、涼子さんが尋ねてきました。
日頃から特別なことをしているつもりはありません。
ですが、最近はなんだか特に調子が良い気がしています。
恭佐さんの家のドライヤーが良いのでしょうか?
「特には……いつもどおりだと思います」
「えー! それでこの髪質? 羨ましいなぁ」
涼子さんは感心したように笑いながら、手際よく私の髪を整えていきます。
鏡の中で、少しずつ普段とは違う自分になっていく。
なんだか不思議な気分でした。
「よし、できた!」
涼子さんが満足そうに声を上げました。
鏡を見ると、普段は下ろしている髪がサイドから丁寧に編み込まれ、後ろですっきりとまとめられていました。
襟足が見えるように整えられた髪型は、いつもより少し大人っぽい印象です。
髪型をお願いする際、雛乃ちゃんが、
『うなじ! うなじをこう! エロい感じでお願い!』
と言い出したときは心配しましたが、とても素敵に仕上がっています。
ヘアアイロンでふんわりと整えられた前髪。
顔まわりにも自然な流れがついていて、普段あまりヘアアレンジをしない私にとっては、とても新鮮でした。
「どう、でしょうか?」
「あははー! 栞ちゃんは面白いこと言うねー!」
「……?」
何かおかしなことを言ってしまったのでしょうか。
「それはこっちの台詞ってこと」
涼子さんが笑います。
「あっ、確かにそうですね」
いけません。
仕上がりの具合を確認したいのは、美容師さんの方でした。
お恥ずかしいことを言ってしまいました。
「いいよー、別に。それに、とっても可愛いから」
「あっ、ありがとうございます」
鏡越しに映る自分の顔。
嬉しそうに笑っていて、頬はほんのり赤くなっていました。
……私、こんな顔するんだ。
ふと、お母さんの告別式の日を思い出しました。
あの日、私は散々泣きました。
泣いて、泣いて。
何も考えられなくなって。
ふと窓に映った自分の顔を見たときの顔。
あの頃の私は、もう二度と心から笑えないんじゃないかと思っていました。
でも、今は。
鏡の中に、笑っている私がいます。
誰に言うでもなく、心の中でそっと呟きました。
お母さん。
私、今笑えてるよ?
「……栞ちゃん? どうかした?」
いけません。
涼子さんに心配されてしまいました。
「いえ、少しだけ昔を思い出してしまって」
「そっか」
涼子さんは、それ以上深く尋ねることはありませんでした。
代わりに、にっこりと笑ってくれます。
「それじゃあ今日は、新しい思い出を作らないとね!」
「はいっ!」
「それに、彼に見せたいんでしょ?」
「ふぇっ!? えっ!?」
思わず変な声が出てしまいました。
「あっはっははは! 栞ちゃんは本当に眩しいなぁ……」
涼子さんは楽しそうに笑ったかと思うと、突然ため息をつきました。
「はぁ、若返りたい……」
……?
急に笑ったと思ったら、今度は落ち込んでしまいました。
涼子さん、とてもお綺麗なのに。
不思議です。
「栞ちゃーん! 終わったー?」
そんなとき、先に準備を済ませていた雛乃ちゃんが戻ってきました。
「雛乃! あんたねー、飲食物をお店に持ち込まないでよー!」
涼子さんの声に振り返ると、雛乃ちゃんの両手にはフランクフルトとりんご飴が握られていました。
どうして?
「いやー、もうね! すぐそこの通りで出店出してたから、つい! これは買うしかー! ってね!」
雛乃ちゃんが得意げに笑います。
涼子さんは呆れたようにため息をついていました。
いつも雛乃ちゃんがすみません。
私は心の中で、そっと手を合わせました。
「雛乃ちゃん、お待たせしました。あっ、お店を出るまで食べちゃダメですよ? こぼしたら大変ですからね!」
「はーい!」
「ぷっ……あははは!」
突然、涼子さんが吹き出しました。
「雛乃、あんた、これじゃどっちがお姉さんかわかんないね!」
よほど面白かったのでしょうか。
お腹を抱えて笑っています。
「ちょっと! 涼子さん! 私は立派なお姉さんなんだからねー!」
「はいはい、立派立派」
「もー! 絶対思ってないでしょ!」
そんな2人のやり取りを見ていると、鏡越しに涼子さんと目が合いました。
そして、どちらからともなく笑ってしまいます。
きっと、同じことを思ったのでしょう。
……素敵なお姉さんだなぁ、って。
◇
涼子さんにお礼を言って、美容室を後にしました。
外は相変わらず暑いですが、通りには浴衣姿の人がちらほらと見え始めています。
どこからか、お祭りらしい賑やかな声も聞こえてきました。
そんな中、隣を歩く雛乃ちゃんに目を向けます。
黒を基調とした、大人っぽい浴衣。
肩までの髪は左右に分けられ、2つの三つ編みでおさげ髪になっていました。
大人っぽい浴衣と、少し幼く見える可愛らしい髪型。
一見すると対照的なのに、不思議とそれぞれの魅力を引き立てています。
「んー? どしたの、栞ちゃん?」
「あっ……」
あまりに長く見つめてしまったからでしょうか。
雛乃ちゃんに気づかれてしまいました。
別にやましいことなど何もないのですが、なぜだか少し恥ずかしくなります。
いつも素敵な雛乃ちゃん。
でも今日は、いつもよりずっと輝いて見えました。
そんなことを考えていると、ひとつ気になることが浮かびました。
「雛乃ちゃんって、彼氏さんはいないんですか?」
「えっ? どしたの、急に?」
「いえっ……その。今日は特に可愛らしかったので、つい……」
自分から聞いておいて、なんだかドキドキしてきました。
「ありがとー! そうだねーー……」
雛乃ちゃんが少し考えるように声を伸ばします。
そんなときでした。
「ねーねー、そこのおねーさん!」
突然、知らない声が聞こえてきました。
振り返ると、見知らぬ男性が2人、こちらに近づいてきます。
年齢は、恭佐さんと同じくらいでしょうか。
近づくにつれて、濃厚で甘ったるい香りが漂ってきました。
……少し、苦手な匂いです。
「栞ちゃん、行こっか」
雛乃ちゃんは男性たちを無視して、私の手を引きました。
「あっ、はい……」
そのまま歩き出します。
雛乃ちゃんの表情は見えません。
でも、なんだか急に空気が冷たくなった。
そんな気がしました。
「えー、無視はひどいでしょー!」
男性たちが後ろからついてきます。
「ねぇ、ちょっと待ってよ!」
そして、私たちの前に回り込んできました。
「ちょっと俺らと遊ぼーよ」
1人の男性が、私に向かって手を伸ばします。
そのとき。
私は、家出した日のことを思い出しました。
夜の公園。
ひとりきりで座っていた私。
あのときも、見知らぬ男性が近づいてきました。
そして、私に触れようとした。
あのときは、なんとも思いませんでした。
全てがどうでもいい。
そんなふうに思ってましたから。
でも。
今は、違います。
「い、いやっ……」
声が出ました。
けれど、あまりにも小さくて。
誰にも届かないまま、消えてしまいそうでした。
大きく、ごつごつした手が私の腕に触れます。
怖い。
やめて。
触らないで。
そう思っているのに、言葉が出てきません。
体が動かない。
どうしよう。
「…………」
「あの!」
突然、低い声が響きました。
不機嫌そうな、冷たい声。
今まで聞いたことのない声でした。
「雛……乃ちゃん?」
隣を見ると、雛乃ちゃんが男性たちを睨んでいました。
「へぇー、きみ雛乃ちゃんって言うんだー。よろしくー!」
男性の1人が、へらへらと笑います。
でも、雛乃ちゃんは笑いませんでした。
「あのさ、迷惑なんですけど?」
「はぁ?」
「だからー、迷惑だって言ってんの。わかる?」
雛乃ちゃんが盛大なため息をつきます。
今まで見たことがないくらい、不機嫌そうでした。
男性の手が、私の腕から離れました。
「なになに、嫌よ嫌よもなんとやら? ツンデレ設定?」
男性たちが、下品な笑い声を上げます。
耳障りな、人を嗤う声。
私はただただ、不快に思っていました。
「まぁ、いいじゃん! 2人ってことは彼氏いないんでしょー?」
「そうそう! 俺たちが慰めてあげるからさー!」
「結構です」
雛乃ちゃんの声が、一段と低くなりました。
その場の空気が凍りついたように感じます。
私も思わず身震いしてしまいました。
「えー、なに?」
それでも男性たちは、まだ笑っています。
「あのさー、私たち彼氏待たせてんの! 邪魔だからさっさと退いて」
雛乃ちゃんは表情を変えず、淡々と言い放ちました。
「はぁー、なんだよ。彼氏持ちかよ!」
「萎えたわー! なら最初から言えよなー」
男性たちは興味を失ったのか、ようやく道を開けました。
雛乃ちゃんは何も言わず、私の手を引いて歩き始めます。
私も黙って、その後ろをついていきました。
しばらく、お互いに何も話しませんでした。
雛乃ちゃんの顔は見えません。
だけど。
私の手を引くその手には、ぎゅっと力が込められていて。
そして。
小さく、震えていました。
今回は3話でお送りいたします。
よろしくお願いします!




