雛乃の夏戦争。〈後編〉
〜雛乃視点〜
「栞ちゃん、今日どこに行くー?」
「そうですね。せっかくですから、雛乃ちゃんの行きたいところに行きましょう!」
「私の行きたいところ?」
「はい!」
栞ちゃんがにこりと微笑む。
うーむ。
困った。
非常に困った。
なぜなら、今日の予定など何も考えていなかったからだ。
私の本来の予定は、朝からお兄ちゃんに誕生日を祝ってもらい、栞ちゃんにも祝ってもらい、夜には美味しいものを食べる。
以上!
完璧な計画だった。
ただし、お兄ちゃんが有給を取っていないという致命的な欠陥を除けば。
「じゃあ、駅前のショッピングモールに行こう!」
「いいですね!」
というわけで、私たちはお出かけすることになった。
外に出た瞬間、むわっとした熱気が襲ってくる。
あっつ。
夏、仕事しすぎじゃない?
お兄ちゃんかよ。
あー、思い出したら腹立ってきたぞ。
「暑いですねぇ」
栞ちゃんが額に手をかざす。
「ねー。溶けちゃいそう」
「ふふっ。アイスでも食べますか?」
「食べる!」
だって誕生日だし。
今日は何を食べても許される日。
そう、誕生日に食べるデザートは0カロリーなのだ!
たぶん。
◇
ショッピングモールに到着した私たちは、まず服を見て回ることにした。
「あっ、これなんてどう?」
私が指さしたのは、ノースリーブのタイトなニットの黒いワンピース。
ふむ。
これならお兄ちゃんはワンパンだね。
そう思い、栞ちゃんに勧める。
「むむむむ、無理です! こんな! こんな丈の短いのなんて……」
顔を真っ赤にして必死に拒否する栞ちゃん。
栞ちゃんはスレンダーだから、絶対似合うと思うんだけどなぁ。
そうだなぁ、ここは……。
「栞ちゃん」
「は、はい……?」
「私……今日、誕生日なんだよね……」
そう言って、しょぼくれて見せる。
にやり。
どうだ、ここまで来ればもう私のもの。
この戦いを制するのは、この私!
「わ、わかりました……ちょっとだけ、ちょっとだけですよ?」
そして栞ちゃんはワンピースを手に取り、逃げるように試着室へと向かった。
ふっふっふ。
今日はせいぜい楽しませてもらうよ。
お兄ちゃん。
そして数分後。
「着替え終わったー?」
私は試着室の前で、自分の中の小宇宙が燃えるのを抑えるので精一杯だった。
「おっ、お待たせしました……」
恐る恐る試着室のカーテンから顔を覗かせる栞ちゃん。
ええい、往生際の悪い子め!
シャーッ!!
カーテンと共に、私の中の小宇宙を勢いよく開け放つ。
「はわわぁっ……!?」
勢いよく解き放たれたそれは、小宇宙を超えて大宇宙。
そう、マクロコスモスだった。
「ぶぅぁっはぁっ……!!」
私はあまりの視覚情報に耐えきれず、意識を保つのがやっとだった。
店員さん。
すみません。
ティッシュ下さい。
その、鼻からなんか出そうです。
「雛乃ちゃん? 大丈夫ですか?」
全然大丈夫じゃない。
だめ、それ以上は無理。
「しっ、栞ちゃん。ありがとう。もう十分堪能したので、着替えてもらっても良いですか?」
店員さんからもらったティッシュを鼻に刺しながら、栞ちゃんに着替えるように促す。
なんだかよく分からない、といった様子で栞ちゃんは再び試着室へ。
危ない危ない。
ここは引き分けにしておいてあげよう。
さぁ、次の戦争を始めましょう。
◇
「これ、栞ちゃんに似合いそう!」
私が手に取ったのは、淡い水色のワンピース。
長いスカート丈が栞ちゃんの清楚な雰囲気にぴったりだった。
「わぁ、可愛いですね」
「でしょ? これはまた着てみるしかないね!」
「えっ、私がですか?」
「そうそう!」
「でも、今日は雛乃ちゃんのお誕生日ですし……」
「いいのいいの! 私が見たいんだから!」
そう言って試着室へ三度送り込む。
数分後。
「ど、どうでしょうか……?」
カーテンの向こうから現れた栞ちゃん。
…………。
…………。
お兄ちゃん。
今すぐここに来い。
いや、やっぱり来なくていい。
この尊いひとときは、私だけのものにしたい。
「似合う! めっちゃ可愛い!」
「ほ、本当ですか?」
「本当本当!」
栞ちゃんは照れくさそうに、鏡の前でくるりと回った。
「恭佐さん、こういう服は好きでしょうか……?」
…………ん?
今、なんと?
「おにぃ?」
「はい。普段、あまりこういう服を着ないので……」
栞ちゃんは鏡の中の自分を見つめながら、上機嫌だった。
「たまには、違う服を着てみるのもいいかなって」
…………。
おや?
おやおやおや?
以前の栞ちゃんなら、まず値札を確認していたはずだ。
いや、今だって無駄遣いする子じゃない。
でも。
今の栞ちゃんは、服を見ながら自然にお兄ちゃんのことを考えていた。
これは……。
これは、つまり……!
「栞ちゃん」
「はい?」
「おにぃに可愛いって言ってほしいの?」
「えっ!?」
栞ちゃんの顔が、みるみる赤くなる。
「そ、それは……」
おおっと!?
これは期待できるぞ!
「べ、別に、そういうわけでは……」
「では?」
「……それは……その、言ってもらえたら、嬉しいですけど」
…………。
はい。
ありがとうございます。
全国の栞ちゃんファンの皆様。
重大なお知らせです。
相澤雛乃。
私は今、恥じらう栞ちゃんを独占しております!!
「ふへっ……」
よだれが垂れる。
「ふへ?」
首を傾げる栞ちゃん。
可愛い。
ぎゅーしていいかな? いいよね!?
まっ、まぁ?
こっ、今回のところは引き分けだな。
うん。そう。引き分け。
◇
お昼は、ショッピングモールのレストランで食べることにした。
私はパスタ。
栞ちゃんはオムライス。
運ばれてきた料理を前に、私たちは手を合わせた。
「いただきまーす!」
「いただきます」
うん、美味しい!
誕生日のパスタは格別だね。
「そういえば、栞ちゃん」
「はい?」
「おにぃとは最近どう?」
「どう、とは?」
「ほら、一緒に暮らしててさ。何か変わったこととかないの?」
栞ちゃんは少し考え込んだ。
「そうですね……」
そして、ふわりと微笑む。
「恭佐さんって、優しいですよね」
栞ちゃんが、嬉しそうに笑う。
「まあ、そうだね」
「ふふっ。雛乃ちゃんも、そう思いますよね?」
……うん。
思うよ。
でもさ。
栞ちゃん。
今のその顔。
初めて会った時の栞ちゃんとは、ちょっと違うよ。
なんというか。
愛おしい人を思う表情というか。
恋する乙女の顔、というか。
…………。
いや。
問題は、お兄ちゃんだ。
あの鈍感男。
いったい、いつになったら気づくのやら。
「栞ちゃん!」
「はい。なんでしょう?」
「あーーん」
「仕方ないですねぇ」
やや呆れている栞ちゃん。
だが良いのだ。
今日は私が主役。
そう! 何をしても許されるから!
栞ちゃんからオムライスを食べさせてもらい、勝者の余韻に浸る。
そして優雅にパスタを巻く。
一口食べようとしたところで、
「はむっ」
「…………」
栞ちゃんにパスタをかっさらわれた。
やだ、お兄ちゃん。
この娘、可愛すぎるんですけど。
そうして私は、また引き分けたのであった。
◇
食事を終えた私たちは、雑貨屋さんを覗いたり、ゲームセンターで遊んだりして過ごした。
ホラー系のガンシューティングでは、叫びながら栞ちゃんがゾンビたちに綺麗にヘッドショットをかまし、ランキングを更新したのには、さすがに大笑いした。
その笑顔を見た瞬間、私は確信した。
今日の私に勝ち目はない。
このままでは栞ちゃんには勝てない。
だって可愛いんだもん。
仕方ないじゃん!
そうして、気がつけば夕方になっていた。
「今日は楽しかったですね」
「うん! 最高だった!」
「ふふっ。よかったです」
栞ちゃんが嬉しそうに笑う。
その横顔を見ながら、私はふと思った。
お兄ちゃんと栞ちゃん。
最初は、どこか遠慮がちな2人だった。
栞ちゃんは何かと気を遣っていたし、お兄ちゃんも必要以上に面倒を見ようとしていた。
でも、今は違う。
栞ちゃんは自分の気持ちを少しずつ口にするようになった。
お兄ちゃんも、栞ちゃんを頼るようになった。
お互いがお互いを、ちゃんと必要としている。
ふと、あの日の光景が蘇る。
栞ちゃんと会ってまだ間もない頃。
3人で月見をした日の夜。
私が無理やり繋いだ手。
……なんだ。
ちゃんと前に進めているんじゃん。
私は、ひとりでにやけてしまった。
「雛乃ちゃん?」
「んー?」
「どうかしましたか?」
「なーんでもない!」
そう答えて、栞ちゃんの腕に抱きついた。
「わっ!?」
「今日はありがとね、栞ちゃん!」
「ふふっ。こちらこそ、楽しかったです」
うん。
誕生日って、いいものだ。
お兄ちゃんがいなくても、こんなに楽しい。
……いや。
だからといって、許したわけではないけどね!
◇
夕方。
私たちは、お兄ちゃんの家に戻ってきた。
「ただいまー!」
「おかえり、楽しめたか?」
……ん?
リビングから聞こえてきた声。
お兄ちゃんだ。
「おにぃ!?」
「なんだ、騒がしいな」
ソファに座っていたお兄ちゃんが、こちらを見る。
「なんだじゃないよ! 今日は何の日かわかってる!?」
「ああ」
お兄ちゃんは、あっさり頷いた。
「誕生日だろ?」
「わかってるなら、もっとこう……!」
「ほれ」
ぽすっ。
何かが飛んできた。
「わっ!?」
慌てて受け止める。
小さな紙袋だった。
「……なにこれ?」
「プレゼント」
「…………へ?」
「誕生日おめでとう」
…………。
…………。
えっ。
「あと、店予約してるから。さっさと準備しろ」
「……え?」
「夕飯。せっかくだしな」
お兄ちゃんは、そう言って立ち上がった。
私は、手元の紙袋を見つめる。
……なんだよ。
ちゃんと、覚えてるんじゃん。
しかも、お店まで予約してるし。
…………。
ちょっと。
嬉しいじゃん。
「……おにぃ」
「ん?」
「今日のところは栞ちゃんに免じて許してあげる!」
「そうかい、ありがとよ」
「ちょっとは反省しろ!」
「へいへい」
……くっ。
相変わらず、このお兄ちゃんというやつは。
「ほら、行くぞ」
「ちょ、ちょっと待って!」
「なんだ?」
私は、紙袋をぎゅっと抱きしめた。
「……ありがと」
「ん?」
「だから! ありがとって言ったの!」
お兄ちゃんが、少しだけ笑った。
「ああ。どういたしまして」
…………。
もう!
そういうところだぞ、お兄ちゃん!!
私は、ぷいっと顔を背けた。
すると、隣で栞ちゃんが小さく笑っていた。
「ふふっ。よかったですね、雛乃ちゃん」
「……うん」
小さく頷く。
そして、私は思った。
今日は、私の誕生日。
朝から散々騒いで、勝手に怒って。
栞ちゃんとデートして、何度も心を撃ち抜かれて。
最後には、お兄ちゃんにまでやられてしまった。
これは認めるしかないね。
……引き分けだ。
うん。引き分け。
こんな負けなら、悪くない。
なーんて、そんなことは絶対に認めない。
「ほら、雛乃。早くしろ」
「わかってるってば!」
私は、紙袋を大切に抱えたまま立ち上がった。
こうして、私の夏の戦争は幕を閉じた。
結果は、全て引き分け。
でも、今日の私は世界で一番の勝者だと思った。
はい。
50話です。
キリがいいですね。
物語もいよいよ終盤。
3人の行く末を最後まで見届けてあげて下さい。
あっ、ブックマークはいつでも大歓迎です。
はい。
むしろ渇望してます。
それではまた明日。




