春の嵐。〈後編〉
4月20日、日曜日。
雛乃と連絡が取れなくなっていた。
金曜日から実家に帰っておらず、スマートフォンの電源も入っていない。
母さんは、てっきり俺のところに泊まっていると思っていたらしい。
……ったく。
あいつ、どこで何やってんだよ。
「……恭佐さん」
「ん?」
「雛乃ちゃん、大丈夫でしょうか……」
栞ちゃんが、不安そうに俺を見つめている。
「……そうだな」
とはいえ、今のところ手掛かりらしい手掛かりもない。
……いや。
待てよ。
「……そうだ」
「え?」
「職場だ」
「……職場、ですか?」
「ああ。もしかしたら、まだ会社にいるのかもしれない」
今日は日曜日。
普通なら会社は休みだろう。
だが、何か仕事でトラブルでも起きて、帰れなくなっている可能性もある。
俺はスマートフォンを取り出し、雛乃の勤める会社の電話番号を調べた。
そして、発信する。
プルルルル……。
プルルルル……。
……やっぱり、誰もいないか?
そう思ったときだった。
『……もしもし。株式会社イマニオです』
「……おい、雛乃」
『……あれ、おにぃ……?』
……いた。
聞き慣れた声。
だが、いつもの元気はまるでない。
ひどく疲れ切った声だった。
「お前、今何して……」
『何してって……仕事だけど』
「……は?」
『……ん?』
「今日、日曜だぞ!?」
『……ああ。もう、そんなに経ってたの?』
「お前なぁ……」
……こりゃ、相当参ってるな。
『ごめん、おにぃ。今、それどころじゃなくて……』
その声には、普段の雛乃らしい勢いがまったくなかった。
どうやら、本当に逼迫した状況らしい。
「……悪い。忙しいところに電話して」
『……うん』
「でもな、せめて連絡くらいしろよ。電話も繋がらないし、母さんだって心配してたぞ」
『……ごめんて。仕事でトラブっちゃってて……』
「……わかった。せめてスマホの充電くらいしろ」
『……うん』
「あと、お前。ちゃんと休めてんのか?」
『……うん。大丈夫』
「…………」
……んなわけあるかよ。
声を聞けばわかる。
いつもの雛乃とは、明らかに違う。
「それで、あとどれくらいかかりそうなんだ?」
『んー……わっかんない。今日も帰れないかもしんない』
「……そうか」
『……うん』
「とりあえず、無理すんなよ」
『はいはい。わかったよ……まったく、うるさいなぁ、おにぃは……』
「……じゃあ、切るぞ」
『はいはい……』
「スマホ、充電しろよ!」
『はーい……』
プツッ。
ツー、ツー。
「…………」
……まったく。
最後まで、いつものキレが戻ることはなかった。
「……恭佐さん」
栞ちゃんが、心配そうにこちらを窺っている。
「ああ。どうやら職場にいるらしい」
「……本当ですか?」
「仕事でトラブっちゃったとか、なんとか……」
「……それは……」
栞ちゃんが、俯いた。
きっと、何もできない自分を歯がゆく思っているのだろう。
……まあ、気持ちはわかる。
俺だって、雛乃の仕事を代わってやることはできない。
だが。
だからといって、何もできないわけじゃない。
「……よしっ!」
「……え?」
「栞ちゃん!」
「は、はい!」
「今日のお昼は、ハンバーグにしよう!」
「……ハンバーグ、ですか?」
栞ちゃんが、不思議そうに首をかしげる。
「ああ。あいつ、多分ろくなもん食ってないだろうからな」
「……!」
「好きなもん食えば、少しは元気になるだろ!」
「……はいっ!」
栞ちゃんの表情が、ぱっと明るくなった。
「私、頑張って作ります!」
「おう。俺も手伝うよ」
そうと決まれば、話は早い。
俺たちは、さっそくキッチンに立った。
◇
「……よし。こんなもんか」
「はい! たくさんできましたね!」
テーブルの上には、出来上がったハンバーグが並んでいた。
もちろん、雛乃の好物だ。
ただ、今回はそれだけではない。
「……恭佐さん。こちらもできました!」
「おっ、ありがとう」
栞ちゃんが差し出してくれたのは、大量のおにぎり。
雛乃の話を聞く限り、職場にはまだ何人か残っているのだろう。
だったら、ついでにそいつらの分も差し入れてやればいい。
……まあ、人数なんてわからんが。
足りなければ足りないで仕方ない。
今回は、非常食みたいなもんだ。
栄養バランスだとか、見栄えだとか。
そんなことを気にしている場合じゃない。
とりあえず、うまいもんを腹いっぱい食う。
それだけでも、多少は元気が出るだろう。
少なくとも、俺はそう思っている。
「……よし」
「はい!」
「いっちょ、おせっかいしに行くか」
「ふふっ。そうですね!」
そうして俺たちは、大量の食事を袋に詰め、雛乃の働く会社へと向かった。
◇
会社の前に到着した俺は、スマートフォンを取り出した。
今度は、雛乃の携帯に直接電話をかける。
プルルルル……。
……おっ。
どうやら、今度はちゃんと繋がるらしい。
言われたとおりに充電したことは、褒めてやらねばなるまい。
そんなことを考えていると、電話が繋がった。
『……なぁに、おにぃ……。忙しいんだってばぁ……』
……おお。
ちょっと機嫌が悪いな。
まあ、仕方ない。
こんな状況で何度も連絡するのは、こちらとしても気が引ける。
だが、今は許してもらおう。
「とりあえず、下りてこい」
『……えー。なんでよぉ……』
「今、栞ちゃんと下にいるから。早くしろ」
『……はぁ?』
「いいから」
『……もぉ……』
不満そうな声を最後に、電話が切れた。
……ったく。
相変わらず、返事だけは一丁前だな。
それから数分後。
会社のロビーから、雛乃が姿を現した。
「……おにぃ……」
「…………」
……うわ。
思わず、言葉を失った。
目の下には、くっきりとしたクマ。
髪はぼさぼさに乱れ、足取りもどこかおぼつかない。
普段の雛乃からは、想像もできない姿だった。
……あー。
こりゃ、寝てないな。
一目でわかった。
「……雛乃ちゃん」
「……あぁ。栞ちゃん……やっほぉ……」
「だ、大丈夫ですか……?」
「……んー。なんとかぁ……」
……なんとか、ねぇ。
「雛乃。お前、寝てないだろ」
「んー……寝たよ。たぶん」
「たぶん?」
「……3時間くらい?」
「……は?」
「……金曜から、合計で」
「丸2日で3時間なんて……」
栞ちゃんが、絶句している。
……そりゃそうだ。
俺だって、今すぐこいつを連れて帰りたいくらいだ。
「それで、何があったんだよ」
「……んー。ちょっと、新人くんがやらかしちゃってねー……」
「……新人?」
「……うん」
雛乃の話を聞く限り、どうやら教育担当をしていた新人が、大きなミスをしてしまったらしい。
取引先から受けた注文のロット数を間違えたのだという。
それだけなら、まだよかった。
だが、問題はその後だった。
誤った数量のまま、後工程に関わる複数の会社へと手配が進んでしまったらしい。
当然、影響は1社では済まない。
しかも、運悪く週末。
取引先の多くが休業しており、担当者に連絡がつかない。
そのため、雛乃たちは関係各所への連絡や調整に追われ、金曜日からほとんど休めていないのだという。
「……なるほどな」
「……もういいでしょ。何しに来たの……」
「ああ、そうだったな。時間使わせて悪い」
俺は、栞ちゃんに目配せした。
「……雛乃ちゃん」
「……ん?」
「これ、よかったら……」
そう言って、栞ちゃんが両手に持った袋を見せる。
俺も、持っていた袋を少し持ち上げた。
「……なに、それ?」
「ご飯です!」
「……え?」
雛乃が、きょとんとした顔をする。
「どーせ、ろくなもん食ってないんだろ?」
「……それは……」
「だったら、とりあえず腹に入れとけ」
「……でも……」
「飯食って、少し休め」
「…………」
「そんな状態じゃ、捗るもんも捗らねーよ」
雛乃は、しばらく黙っていた。
そして、小さく頷いた。
「……わかった」
「わかればよろしい」
「……雛乃ちゃん」
「……なに?」
栞ちゃんが、優しく微笑んだ。
「……待ってますからね」
「…………」
「ちゃんと、おうちに帰ってきてくださいね」
「……うん」
雛乃が、ようやく笑った。
……まったく。
心配かけやがって。
「それじゃ、俺たちはこれで……」
そう言って、持っていた袋を差し出す。
栞ちゃんの分も合わせて、合計4袋。
「……え?」
「ほい」
「……ちょ、ちょっと待って!?」
「……ん?」
「むりむりむり!! こんなの重くて持てないって!!」
「……あー」
……確かに。
今の雛乃に、これを全部持たせるのは酷か。
「仕方のないやつだな」
「……誰のせいよぉ……」
「じゃあ、中まで運ぶか」
「……え?」
「部外者だから、置いたらすぐ帰るぞ」
「……うん」
そうして俺たちは、雛乃の案内でオフィスへと向かった。
◇
「…………」
……なんだ、ここ。
オフィスの中を見渡した俺は、思わず言葉を失った。
机に突っ伏している社員。
虚ろな目でパソコンを見つめる社員。
椅子に座ったまま、微動だにしない社員。
……おいおい。
ゾンビ映画でも見てる気分だぞ。
「……雛乃」
「……なぁに?」
「お前ら、本当に大丈夫か?」
「……大丈夫じゃないかもぉ……」
……だろうな。
「あの、皆さん!」
栞ちゃんが、おずおずと声を上げた。
「よかったら、お食事を……」
「…………」
「……食事?」
どこからともなく、かすれた声が聞こえた。
「……おにぎり、ありますよ」
「…………」
「……おにぎり?」
……おっ。
反応した。
「ハンバーグもあるぞー」
「…………」
「……肉?」
……おい。
こっち見んな。
「……ご飯……?」
「……米……?」
「……にく……?」
……やべぇ。
本当にゾンビじゃねーか。
「……あ、あの。皆さんでどうぞ!」
栞ちゃんが袋を開けると、社員たちがゆっくりと集まってきた。
「……2日ぶりの米……」
「……肉、うめぇ……」
「……かゆ……うま……」
……ん?
今、なんか危ないやつが混じってなかったか?
「栞ちゃん」
「はい?」
「そろそろ帰ろうか」
「……え?」
「ここ、長居すると危ない気がする」
「……?」
……いや。
深く考えないほうがいい。
あとは雛乃がなんとかするだろう。
俺たちは、社員たちに軽く挨拶をして、オフィスを後にした。
すると。
「お兄ちゃん! 栞ちゃん!」
背後から、雛乃の声が聞こえた。
振り返ると、雛乃がこちらに手を振っている。
「今日のご飯は、カレーが食べたいなー!!」
「……!」
栞ちゃんが、嬉しそうに笑う。
「任せてください!」
「早く帰ってこないと、俺が全部食っちまうからな!」
「それはダメー!!」
……おっ。
少しは元気が戻ったみたいだな。
俺たちは、笑いながら会社を後にした。
◇
会社の外へ出たところで、1人の青年と鉢合わせた。
「……あっ、あの!」
「……ん?」
……誰だ?
見覚えのない青年だった。
年齢は、20代前半くらいだろうか。
「雛乃先輩のお兄さん、ですよね?」
「……ああ。そうだけど」
「す、すみません! 申し遅れました!」
青年は、慌てて頭を下げた。
「雛乃先輩の部下の、大野と申します!」
「……大野くん?」
「はい!」
……なるほど。
さっき雛乃が言っていた新人くんか。
「それで、俺に何か用かな?」
「……その……」
大野くんは、俯いた。
「……雛乃先輩、俺がミスした責任を取って、今も働いてて……」
「……うん」
「俺も手伝うって言ったんですけど、先輩が……」
「……先輩が?」
「『あんたが倒れても困るから、休んどけ』って……」
「…………」
「でも、俺……俺のせいで、みんなが……!」
……なるほどな。
どうやら、相当参っているらしい。
話があっちこっちに飛んで、本人も何を言いたいのかわからなくなっているようだった。
「……大野くん、だっけ?」
「……はい」
「とりあえず、落ち着け」
「……は、はい!」
「……今回の件、雛乃から少し聞いたよ」
「…………」
「確かに、最初にミスをしたのは君かもしれない」
「……はい」
「でもな、君が提出したものを確認するのも、教育担当の仕事だろ?」
「…………」
「部下の責任は全部上司の責任、とまでは言わないけどさ。確認を怠った雛乃にも、責任はある」
「……はい……」
「だからって、君が何も反省しなくていいって話じゃないぞ?」
「……はい!」
「ただ、いつまでもくよくよしてても仕方ないだろ」
「…………」
俺は、少しだけ笑った。
「……それで、君はどうしたいんだ?」
「……え?」
「雛乃に申し訳ないって思ってるのは、よくわかった」
「…………」
「そのうえで、どうしたい?」
大野くんは、しばらく黙っていた。
そして。
「……少しでも、先輩の力になりたいです!」
「……そっか」
「はい!」
「だったら、そう伝えてやれ」
「……え?」
「俺じゃなくて、雛乃本人にな」
「…………」
「その気持ちが本物なら、きっと伝わるよ」
「……はいっ!」
……うん。
いい返事だ。
「ああ、それと」
「……はい?」
「そこのコンビニで、プリンでも買っていくといいぞ」
「……はぁ?」
大野くんが、ぽかんとした顔をした。
「……プリン、ですか?」
「ああ。あいつ、甘いもん好きだからな」
「……は、はぁ……」
「まあ、騙されたと思って買ってみな」
「……わ、わかりました!」
大野くんは、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました!」
そして、慌ただしく走り去っていった。
……おいおい。
ちゃんと前見て走れよ。
「くすくす」
「……ん?」
隣を見ると、栞ちゃんが笑っていた。
「どうした?」
「……いえ。恭佐さん、先輩みたいで頼もしいですね」
「……そうか?」
「はい!」
……まあ。
あんな感じの部下なら、俺も何人か抱えているからな。
「でも、いい後輩じゃないか」
「……そうですね」
「自分のミスを反省して、雛乃の力になりたいって言ってくれるんだろ?」
「……はい」
「それだけ、雛乃が慕われてるってことだ」
「……!」
「ちゃんと、先輩やれてる証拠だろ」
「……ですね!」
「さて。俺たちも帰ろうか」
「はい! 晩ご飯の買い出しもしないとですね」
「ああ」
……今日はカレーか。
雛乃のやつ、何時に帰ってくるんだろうな。
◇
〜雛乃視点〜
……あーあ。
お兄ちゃんにも、お母さんにも、栞ちゃんにも。
心配かけちゃったなぁ……。
まったく。
何やってんだか、私。
お兄ちゃんたちが持ってきてくれたハンバーグを口に運ぶ。
……うま。
思わず、頬が緩んだ。
……そういえば。
ちゃんとしたご飯を食べたの、いつぶりだろ。
ぼんやりと、ここまでの出来事を思い返す。
◇
最初は、ほんの小さな油断だった。
大野くんが提出してきた書類。
私は、それをきちんと確認しなかった。
「確認した?」
そう聞いただけ。
自分の目では、確かめなかった。
いつもなら、ちゃんとやっていたこと。
新人に仕事を任せて、2週間。
大野くんは、これまで問題なく仕事をこなしていた。
だから、つい。
……大丈夫だろうって。
そう思ってしまった。
その結果が、今回の大騒ぎだ。
取引先からの注文数量を間違え、そのまま複数の会社へと手配が進んでしまった。
当然、あちこちに影響が出る。
しかも、週末。
連絡のつかない取引先も多く、対応は難航した。
……最悪だ。
でも。
職場のみんなは、優しかった。
誰1人として、私と大野くんを責めなかった。
それぞれが、今できることを考えて動いてくれた。
そして。
「……すみません……」
青ざめた顔で立ち尽くす大野くんに、私は声をかけた。
「ほら。ぼーっとしない」
「先輩……」
「今は、やれることをやるしかないでしょ」
「……でも」
「謝るのは、その後!」
「…………」
「私も一緒に行くから。ほら、取引先に行くよ!」
「……はいっ!」
そうして私たちは、あちこちを駆けずり回った。
電話をかけて。
頭を下げて。
状況を確認して。
また、電話をかける。
気がつけば、土曜日も終わろうとしていた。
……そのときだった。
ゴンッ!
「……っ!?」
大きな音に、思わず振り返る。
そこには、デスクに頭をぶつけた大野くんの姿があった。
「大野くん!?」
「……あ、すみません……」
「……大丈夫?」
「はい。ちょっと、眠くて……」
……そりゃそうだ。
金曜日から、まともに休んでいないんだから。
彼も、もう限界だろう。
「大野くん」
「……はい」
「今日は、もう帰りな」
「……え?」
「ちゃんと寝て。ゆっくり休んで」
「……でも、雛乃先輩たちは……」
「君が倒れたら、私が困るの」
「…………」
「それに、月曜日からも仕事はあるんだから」
「……はい」
「今日はもう帰って、元気に月曜日を迎えること。いい?」
「……でも……」
「……いい?」
「……はい」
大野くんは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「……では、お先に失礼します」
「うん。お疲れさま」
そうして、彼を帰した。
……まあ。
本当は、私も帰りたかった。
でも。
自分が確認していれば、防げたかもしれないミスだ。
だったら、最後までやれることをやるしかない。
……そう思っていた。
◇
「……先輩」
「…………」
「……先輩!!」
「……っ!?」
不意に声をかけられ、意識が現実へと引き戻された。
顔を上げる。
そこには、昨日帰宅させたはずの大野くんが立っていた。
「……あれ? どしたの?」
「先輩! やっぱり俺、手伝います!!」
「…………」
……おいおい。
せっかく帰したのに。
「……いや、でも」
「ちゃんと寝てきました!」
「……そうなの?」
「はい!」
……まったく。
元気なやつだなぁ。
「……それと、これ!」
「……ん?」
大野くんが、コンビニの袋を差し出してきた。
「……なに?」
「よかったら!」
受け取って、中を覗く。
そこには。
「……プリン?」
私の好きなプリンが入っていた。
「……どしたの、これ?」
思わず、笑いがこぼれる。
「その、さっき……」
「……ん?」
「先輩のお兄さんに、会ったんです」
「…………」
……あー。
なるほど。
「先輩のお兄さん、かっこよかったっす!」
「…………」
……そっか。
そゆことか。
まったく。
困ったお兄ちゃんだなぁ。
「……私のお兄ちゃんだからね」
私は、少しだけ胸を張った。
「当然でしょ!」
「はいっ!」
大野くんが、嬉しそうに笑った。
……さて。
こうなったら、私も負けてらんないね。
「……それじゃ!」
「……はい!」
「さっさと片付けて、早く帰るよ!」
「はいっ!!」
……まったく。
燃えちゃって。
こりゃ、私も頑張んないとじゃない。
そうして。
お兄ちゃんたちの差し入れと、大野くんの助けもあって。
少しずつ、職場に活気が戻っていった。
……そして。
なんとか、終電のある時間には一区切りをつけることができたのでした。
◇
〜恭佐視点〜
「ただいまぁ……」
時刻は、日付が変わる少し前。
玄関から、聞き慣れた声がした。
「おう。お疲れさん」
俺は、玄関へと向かった。
そこには。
「…………」
……ゾンビがいた。
いや。
正確には、雛乃だった。
「づぅがれだぁー……」
「……お、おう」
ふらふらと、今にも倒れそうな雛乃。
慌てて、その体を支える。
「お疲れ。よく頑張ったな」
「お兄ちゃん……」
「……ん?」
「私、頑張ったよ……」
「……お、おう」
……なんだよ。
そんな顔すんなって。
「……ああ。よく頑張った」
そう言って、軽く頭を撫でてやる。
すると。
「栞ちゃーん!!」
「は、はいっ!?」
俺の一歩後ろで、優しく微笑んでいた栞ちゃん。
その姿を見つけた雛乃が、両手を広げた。
「ぎゅーしてー!!」
「……えっ!?」
「おい、雛乃。今は……」
「えー!? なんでよ!? いいじゃん!!」
「…………」
栞ちゃんが、必死に首を横に振っている。
あー。
まぁそうだよな。
「……雛乃」
「……なぁに?」
「とりあえず、その……」
「……ん?」
「……風呂、入ってこい?」
「…………」
「……え?」
雛乃が、固まった。
「……あの、お風呂はもう沸いてますので……」
栞ちゃんが、引きつった笑顔で付け加える。
……うん。
そういうことだ。
「もしかして」
「……ん?」
「……臭う?」
「…………」
俺は、そっと視線を逸らした。
「……まあ」
「……えっ。なに、マジ?」
「……ああ。マジ」
「うっそ! 本当!?」
雛乃は、慌てて自分の髪を一房つまんだ。
そして、鼻に近づける。
「…………」
くんくん。
「…………」
「うーわっ」
真顔になった。
「……マジやん」
「……だろ?」
「…………」
「とりあえず、風呂入れ?」
「……おにぃ」
「なんだ?」
雛乃が、急に姿勢を正した。
そして。
「ご飯にする?」
「…………」
「お風呂にする?」
「…………」
「それともぉ……♡」
「風呂で頼む!!」
「んだよぉ、もう!!」
雛乃が、頬を膨らませた。
「乙女心はズタボロだよ、ちくしょー!!」
……すまんな。
さすがに、丸3日近く走り回って風呂なしは……な?
そうして雛乃は、ぶつぶつ文句を言いながら浴室へと向かった。
やれやれ。
ようやく静かになったか。
「おにぃーーーー!!」
……おい。
「なんだよ!」
「ヤッベェ!! 泡立たねぇ!!」
「汚ねぇな!! んな実況すんな!!」
ったく。
乙女心、どこ行ったんだよ。
「おにぃーーーー!!」
「今度はなんだ!?」
「ヤッベェ!! 3回目でようやく泡立った!! うひょぉー!!」
「いちいち報告すんな!!」
……まったく。
どこまで騒がしいんだ、あいつは。
「……ふふっ」
隣で、栞ちゃんが笑っていた。
「賑やかですね」
「……ああ」
本当にな。
ここ数日、いろいろなことがあった。
栞ちゃんのお父さんに会って。
そして、栞ちゃんは自分の過去と向き合うことを決めた。
雛乃もまた、仕事で大きな失敗を経験した。
それでも、部下を守り、最後まで責任を果たそうとしていた。
……あいつも、成長してるんだな。
そう思うと、少しだけ感慨深い。
……じゃあ。
俺は、どうなんだろう。
7年前の、あの日から。
俺は何か、変われているのだろうか。
……いや。
少なくとも、昔のままではないはずだ。
仕事も覚えた。
後輩もできた。
それなりに、責任ある立場にもなった。
……けど。
本当に、大切なところはどうなんだろうな。
「……恭佐さん?」
「……ん?」
ふと、顔を上げる。
「どうかしましたか?」
栞ちゃんが、俺の顔を覗き込んでいた。
「……っ」
思いのほか、距離が近い。
柔らかな髪が揺れ、ふわりと甘い香りがした。
ドクン。
ドクン。
「……恭佐さん?」
「……いや。何でもないよ」
そう答えながら、俺は小さく笑った。
周りのみんなが、少しずつ成長している中。
俺は、いまだに。
この胸の高鳴りが何なのか、わからないでいた。
はい。
本日も読んで下さりありがとうございました。
少し長くなってしまいましたね。
本当は15〜20話くらいで書きたかったお話だったのですが、色々あってこんなタイミングでの投稿となりました。
少しずつ成長していく彼らを最後まで見届けて下さると幸いです。
続きを追って下さる方は是非、ブックマークや評価、感想などで応援して下さると嬉しいです。
あっ衝動的に書いた短編ホラー良かったら読んでみて下さい。
それではまた明日。




