父と娘〈想い〉
〜栞視点〜
その日の恭佐さんは、少し様子が違いました。
いつもどおりに帰宅して。
いつもどおりに「ただいま」と言って。
私が作った夕食も、美味しそうに食べてくれました。
でも。
何かを考えているような。
そんな気がしたのです。
「……恭佐さん」
「ん?」
「何か、ありましたか?」
食事を終え、食器を片づけていた私は、思い切って尋ねました。
「……どうして?」
「その……いつもと少し、違う気がして」
恭佐さんは、一瞬だけ驚いたような顔をしました。
そして、困ったように笑います。
「……参ったな。隠すつもりはなかったんだけど、顔にでも出てたか?」
「……何か、あったんですね?」
「うん。ちょっとね」
恭佐さんは立ち上がると、キッチンへ向かいました。
「コーヒーでも淹れようか。栞ちゃんはココアでいい?」
「……はい」
◇
私たちは、ソファに並んで座りました。
テーブルの上には、コーヒーとココア。
あの日を思い出します。
けれど、あのときと違うものもありました。
1つは、雛乃ちゃんがいないこと。
そしてもう1つは、テーブルの上に見慣れない封筒と1冊の日記帳が置かれていることでした。
「……栞ちゃん」
「はい」
「今日のお昼、会ってきたんだ」
恭佐さんの瞳が、まっすぐに私を映していました。
「……誰に、ですか?」
本当は聞きたくない。
なぜだか、聞いたら何かが変わってしまいそうな。
そんな予感がしました。
「栞ちゃんのお父さんに」
「……えっ?」
私は、思わず恭佐さんを見つめました。
お父さん。
その言葉が、すぐには頭に入ってきませんでした。
「……どうして」
「ああ。俺もびっくりしたよ」
恭佐さんは、少しだけ笑いました。
「いやぁ、世間って狭いよな。まさか取引先の人が栞ちゃんのお父さんだったなんて」
「…………」
「……ごめん。案外こういうとき、どうやって空気を和ませればいいのか、分からないもんだな」
恭佐さんは頭をかきました。
「なんでこういうときに限って、あいつはいねーんだってな」
……ふふ。
同じことを考えていたので、少しだけ笑ってしまいました。
「……恭佐さん」
「うん。ちゃんと話すよ」
恭佐さんは、静かに話し始めました。
仕事で、お父さんの会社と関わりがあったこと。
桜井先輩という方が、以前からお父さんのことを気にかけていたこと。
その方が恭佐さんを信頼して、相談の席に同席させたこと。
そして、話を聞いているうちに、私のお父さんだと気づいたこと。
「……偶然だったんだ」
恭佐さんは言いました。
「最初から知っていたわけじゃない。俺も、話を聞いて驚いたよ」
「……そう、だったんですね」
私は、手元のカップを握りしめました。
「……お父さんは、何か言っていましたか?」
「うん」
恭佐さんは、少し考えてから答えました。
「栞ちゃんのことを、心配していたよ」
「…………」
「元気でいるか。風邪を引いていないかって」
お父さんが。
私のことを?
そのとき、ふとあの日の記憶が蘇りました。
『さようなら』
そう告げて、私は頭を下げました。
あのとき、お父さんはどんな顔をしていたのでしょう。
私には見えませんでした。
いえ。
見ようとしなかったのです。
そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと苦しくなりました。
「……栞ちゃん」
恭佐さんが、私の名前を呼びました。
「俺は、栞ちゃんの話を嘘だと思っているわけじゃない」
「……はい」
「栞ちゃんがあの家でつらい思いをしたことも、家を出るしかないと思ったことも、疑ってないよ」
「でもね」
恭佐さんは続けます。
「今日会った人は、栞ちゃんから聞いていたほど、ひどい人には思えなかったんだ」
「…………」
「もちろん、俺が少し話しただけで全部分かるわけじゃない。あの人の言い分が正しいとも思ってない」
恭佐さんは、私の目を見ました。
「栞ちゃんに会いたがってたよ。まぁ、とりあえず断っといたけどね」
普段はあまり見せない、意地悪そうな笑顔。
私を心配してくれているのが伝わってきました。
「だから、最後に決めるのは栞ちゃん」
そして、ゆっくりと言いました。
「君だよ」
……私。
「ここに、お父さんの連絡先がある」
恭佐さんは、封筒を指さしました。
「お母さんのお墓の場所も書いてあるそうだ」
「……お母さんの」
「うん。ほかにも、栞ちゃんの学生証とか、預かっていたものが入ってる」
私は、封筒を見つめました。
手を伸ばそうとして。
でも、動かせませんでした。
「恭佐さん。私は……どうすれば、いいんでしょうか」
私がそう尋ねると、恭佐さんは少しだけ笑いました。
「それは、俺にも分からないな」
「…………」
「別に捨てたっていいんだよ」
「……え?」
「連絡しなくてもいい。会わなくてもいい。もちろん、会いたいなら会えばいい」
恭佐さんは、優しい声で言いました。
「でも、これだけは栞ちゃんに持っていてほしいってさ」
そう言って差し出されたのは、1冊の日記帳でした。
「……これは?」
「お母さんのものだって」
「……お母さんの?」
「うん。遺品を整理していたときに出てきたらしい」
私は、震える手で日記帳を受け取りました。
「俺は読んでないよ。何が書いてあるのかも知らない」
「……はい」
「お父さんも、読んでいないってさ」
恭佐さんは、少しだけ苦笑しました。
「それなのに、こんな大切なものを俺に預けるんだからさ。困った人だよな」
「……ふふ」
「でも、これは栞ちゃんが持っておくべきものだと思う。そう言ってたよ」
私は、日記帳を胸に抱きました。
母の香りがする日記帳を。
「……だからさ」
恭佐さんは、静かに言いました。
「これを読んでから考えても、いいんじゃないかな」
「…………」
「立場が違えば、見えなくなっちゃうものだってあるからね」
そう言って、恭佐さんは笑いました。
「俺たちだって、そうやって喧嘩したことがあっただろ?」
「……はい」
覚えています。
あのときは、お互いが休んでほしかった。
今思うと、なんて小さなことで喧嘩したのでしょう。
お互いに一歩、歩み寄ればよかっただけ。
ただ、それだけだったんだって。
「さて」
恭佐さんが立ち上がりました。
「俺は先に風呂でも浴びてくるよ」
「……え?」
「ここから先は、栞ちゃんが考えることだから」
温かい手が、私の頭を軽く撫でました。
「ゆっくりでいいよ」
そして、リビングを出ていきます。
「一緒に考えてはくれないんですか?」
つい、不安が漏れてしまいました。
そんな私に、彼はこう言いました。
「ばーか、自分で考えろ」
いつも雛乃ちゃんへ向けている優しい笑顔で、彼はそう告げました。
私は、日記帳を抱えたまま、小さく呟きました。
「……恭佐さんは、意地悪です」
自然と口元が緩みます。
こんなときなのに、笑っている自分がいました。
不思議と、嫌な気持ちはしませんでした。
恭佐さんは、私の代わりに答えを出そうとはしない。
私が自分で答えを出せると、信じてくれている。
そして、どんな答えを選んだとしても、きっと支えてくれる。
それが、なんだか嬉しくて。
私は、膝の上の日記帳を見つめました。
お母さん。
……私、どうすればいいのかな。
ふと、テーブルの上に置かれたコーヒーカップが目に入りました。
飲みかけのまま残されたものです。
私はそっとカップを手に取りました。
鼻先を、珈琲の香ばしい香りがくすぐります。
そして、そのまま一口。
口の中に、苦味が広がりました。
砂糖もミルクも入っていない、ブラックコーヒー。
それなのに。
なぜだか、とても甘く感じました。
しばらくして。
私は、そっと頁を開きました。
お父さんとお母さんを知るために。
はい。
3話続けて湿った話でしたがいかがでしたか?
私は湿度高めの話が好きだったりするのですが、共感いただける人はいるのでしょうか?笑笑
もう少しだけ湿っぽい感じが続くかも知れません。
悟○ー!!早く来てくれー!!
って感じのクリ○ンみたいな気持ちで雛乃の出番を待ちましょう。
それではまた明日。




