邂逅。
4月11日、金曜日。
その日は朝から、どうにも嫌な予感がしていた。
原因は明白だ。
先週、桜井先輩から届いた1通のメール。
『悪いんだが来週少し付き合え!』
そして、俺には拒否権がなかった。
「すまんな相澤。今日は付き合ってもらうぞ」
「……先輩。俺、まだ何も言ってませんけど」
「顔に書いてある」
「なら、帰りたいって書いてあるのも読んでください」
「却下だ」
即答だった。
俺は小さくため息をつき、ネクタイを整える。
先日の誕生日に栞ちゃんからもらったもの。
普段使いするには少しもったいない気もしたが、せっかくの大手企業との打ち合わせだ。
こういう日にこそ使わせてもらおう。
「それで、今日はどちらへ?」
「以前話したとある企業。神門グループだ」
IT業界では知らない人はいない超大手。
「……めちゃくちゃ大手じゃないですか」
「だからお前を連れていくんだろう」
「いや、普通はもう少し段階というものが……」
「そろそろ経験しておいて損はない。お前なら問題ないだろう」
そう言って先輩は、いつもの調子で笑った。
どうやら本気で言っているらしい。
まったく。
期待されるのも考えものだ。
◇
打ち合わせは、滞りなく終了した。
相手方の責任者は、榊原という名の男性だった。
年齢は50代だろうか。
仕立てのいいスーツに身を包み、受け答えも丁寧。
いかにも大企業の重役といった雰囲気だ。
ただ、少し気になることがあった。
頬がこけ、目元には疲労の色が濃い。
顔色も決していいとは言えなかった。
仕事ぶりに隙はない。
それなのに、どこか生気が感じられない。
大企業の重圧だろうか?
いや、それとは少し違う気がした。
「本日はありがとうございました」
「こちらこそ。桜井さん、相澤さん。今後ともよろしくお願いします」
そうして挨拶を交わし、会議室を後にしようとしたところで、先輩が口を開いた。
「榊原さん。このあと、お時間はありますか?」
「ええ、少しなら」
「よろしければ、食事でもいかがでしょう」
……ん?
俺は思わず先輩を見る。
先輩は、そんな俺の視線など気にも留めず、続けた。
「相澤も一緒ですが、構いませんか?」
「もちろんです」
いや、待て。
俺の意思は?
えっ、なにも聞いてないんだけど?
「相澤。お前もいいな?」
「……今さら聞くんですね」
「何か?」
「いえ。喜んで」
こうして俺は、取引先の重役と食事をすることになった。
◇
案内されたのは、落ち着いた雰囲気の和食店だった。
仕事の話も一段落し、料理が運ばれてきた頃。
先輩が、ふと思い出したように口を開いた。
「榊原さん。そういえば、あれから娘さんとは?」
その瞬間だった。
榊原さんの表情が、わずかに曇った。
「……いえ。恥ずかしながら、あれっきりです」
「そうですか」
「元気でやってくれていれば、それでいいんですがね」
娘。
その言葉に、俺は少しだけ反応した。
「……失礼ですが、何かあったんですか?」
「ああ、相澤には話していなかったな」
先輩は箸を置く。
「以前、榊原さんから娘さんのことで相談を受けたことがあってな」
「相談、ですか?」
「私も最初は勘違いしていたんだが……」
『ほら、以前話しただろう。口説かれたと言うやつだ!』
先輩は苦笑し俺にだけ聞こえる声で耳打ちした。
「ただ、実際はご家庭のことで悩んでおられたんだ。同僚には話しにくいことだからと」
なるほど。
つまり、娘のお悩み相談をしようと食事に誘った結果、ナンパと勘違いされたのか。
なんかこう……お疲れ様です。
「桜井さんには、あのとき随分とご迷惑をおかけしました」
「いえ。私も早とちりしてしまいましたから」
先輩はそう言って、榊原さんに向き直った。
「相澤は私の信頼している部下です。後輩の面倒見もいいですし、確か歳の近い妹もいたな?」
「ええ。23歳でしたら」
雛乃、すまんがお前との経験を外部のお悩み相談に役立てられるとは、到底お兄ちゃん思わないぞ?
などと自分自身でボケ倒してないと緊張で食事が喉を通らなかった。
「何より、口が堅い。私よりもいい意見が聞けるかもしれません」
……なるほど。
今日、俺が呼ばれた本当の理由はこれか。
経験を積ませたいという話も嘘ではないのだろう。
ただ、それだけではなかったらしい。
「はぁ、俺……私でよろしければ」
危ない。
つい先輩に接した流れで失礼になるところだった。
「はは、気にしないで楽にしてくれて構わないよ。今は仕事中じゃないんだ」
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
そして榊原さんは少し迷った様子を見せたあと、静かに話し始めた。
「……私は、父親として失格なのかもしれません」
そう切り出した声は、ひどく疲れていた。
「仕事ばかりで、家のことは妻に任せきりでした。娘たちのことも、妻がよく見てくれていたんです」
榊原さんは、手元の湯飲みに視線を落とした。
「妻が入院してからも、私は仕事を理由に家を空けることが多かった。そんな妻を下の娘が看病してくれていてね」
「…………」
「そして、妻が亡くなって……ようやく、自分が娘たちのことを何も知らないと気づいたんです」
俺は黙って話を聞いていた。
すると榊原さんは自嘲するように笑った。
「桜井さんに相談したのは、妻が亡くなって間もない頃でした。娘たちと歳の近い女性なら、何か分かるかもしれないと思いましてね」
その言葉に、先輩が小さく頷く。
「ですが、その数日後……下の娘が家を出てしまいましてね」
俺の箸が止まった。
「……家出、ですか」
「ええ」
「いつ頃の話なんです?」
「昨年の11月です」
11月。
頭の中を覆っていた霧がだんだんと晴れていく。
「下の娘さんは、おいくつで?」
「当時、21歳でした」
「…………」
「妻を亡くしたばかりで、あの子もつらかったのでしょう。ですが私は、その気持ちに寄り添ってやれなかった」
榊原さんは、深く息を吐いた。
「今となっては、どこで何をしているのかも分かりません」
11月。
21歳。
母親を亡くし、家を出た娘。
そして、この人の名字は。
榊原。
……ああ。
そうか。
この人が。
俺は、目の前の男性を見つめた。
栞ちゃんの、父親。
◇
「すまない。少し席を外す」
先輩が立ち上がった。
残されたのは、俺と榊原さんの2人。
しばらく、沈黙が続いた。
俺は考えていた。
何を伝えるべきなのか。
そもそも、伝えていいのか。
栞ちゃんが家を出た理由を、俺は知っている。
彼女がどんな思いで、あの日を迎えたのかも。
それを、俺の勝手な判断で踏みにじっていいはずがない。
だけど。
目の前の男性は、確かに娘を心配していた。
少なくとも、俺にはそう見えた。
「……榊原さん」
ネクタイを締め直し、姿勢を正す。
「はい?」
「すみません。俺、ひとつ伝えていなかったことがあります」
「……何でしょう」
俺は一度、息を吸った。
「娘さん……いえ、栞さんの居場所を知ってます」
はい、ずっと書きたかったエピソードにようやく辿り着きました。
本当はもっと早く書けるはずだったのですが…
雛乃さんが言う事を聞いてくれなくて……
という事で今回は3話構成でお送りいたします。
ぜひお楽しみいただければと思います。
本エピソードで登場しました桜井先輩は第二話にて登場しております。
この3話を読む間に2,7話を一度読み直してみると面白いかもしれません。
あっ設定の矛盾などを見つけてしまった場合はこっそり教えて下さい。
それではまた明日。




