訪れは春と共に。前編
4月2日
肌寒さの残る日もあるが、ようやく暖かさを感じられる季節になってきた。
街路樹の桜は淡い桃色に染まり、春風に乗って花びらがひらひらと舞い落ちる。
長かった冬が終わり、街も少しずつ春の装いへと変わっていく。
この季節は、なぜだか気分まで晴れやかになる。
新しい生活が始まる人もいれば、新たな出会いに胸を躍らせる人もいる。
そんな春の訪れを感じながら、俺はいつもどおりの朝を迎えていた。
別に、何か特別なことがあるわけじゃない。
今日も仕事をして、帰って、飯を食って、寝る。
そんないつもと変わらない、ありふれた1日の始まり。
♢
「恭佐さん、今日は何時ごろお帰りですか?」
朝食を終え、出勤の準備をしていると、栞ちゃんが尋ねてきた。
なんだか、そわそわしているように見える。
「ん? いつもどおり20時前には帰れると思うけど」
「わかりました! 今晩はご飯、気合いを入れますので……飲み会とかは、だめですよ?」
「お、おう……」
珍しく強気な栞ちゃんに、思わず気圧されてしまった。
何やら随分と気合いが入っているらしい。
まあ、特別な予定もないし、いつもどおり帰るつもりだったから問題はないんだけどな。
「そういえば、栞ちゃんは今週まで大学が春休みだっけ?」
「はい! ですので、今日は色々と気合いを入れようかと!」
「そかそか。それじゃ、行ってくる」
「はい! いってらっしゃい!」
元気いっぱいの栞ちゃんに見送られ、俺は家を出た。
春の暖かな風に吹かれながら、いつもの道を歩く。
通い慣れた道。
けれど、真新しいスーツに身を包んだ若者や、どこか緊張した面持ちの学生たちが行き交う姿は、普段とは少し違って見えた。
今年もそんな季節がやってきたのだと、改めて感じる。
「……とにかく、元気そうでよかった」
ひとり呟く。
何やら空回りしそうな雰囲気ではあったが、まあ大丈夫だろう。
……大丈夫だよな?
少しばかりの不安を残し、俺は職場へと向かった。
♢
「せんぱーい。ここの資料なんですけどー」
「その資料は佐々木さんに聞いた方が早い」
「はーい」
「相澤くん、ここなんだけどー」
「ああ、そこは……」
……なんだ?
今日はやたらと仕事を振られる。
いや、正確には仕事というより、質問やら確認やらの対応が多い。
いつもより明らかに忙しい。
そこで、ようやく思い出した。
そうか。
新入社員の入社式と、それに伴う研修か。
指導役の先輩たちが軒並み出払っているせいで、普段なら分散するはずの質問が俺のところに集中しているらしい。
……くそっ。
そういえば、あの時。
『相澤、お前にしか任せられん!』
桜井先輩が、やけに真剣な顔でそんなことを言っていた気がする。
……そういうことかよ!
完全に嵌められた。
心の中で悪態を吐きながら、俺は自分の仕事と後輩たちのヘルプをこなしていく。
「せんぱーい! 数字が入力できませーん!」
「ナムロック解除しろ!!」
「あっ、できましたー! ありがとうございまーす!」
「…………」
頼む。
せめて、もう少し自分で考えてくれ。
そんな願いも虚しく、その後もしょうもない質問が次から次へと飛んでくる。
資料の保存先がわからない。
印刷ができない。
関数が消えた。
パソコンが固まった。
……それ、電源入ってないだけじゃねーか!
まったく。
春は新しい出会いの季節だなんて、誰が言ったんだ。
俺にとっては、新しい厄介事が増える季節らしい。
♢
「いやー、先輩! やっぱり頼りになるっすわー!」
「お前が頼りにならなすぎるんだよ! 少しは勉強しろ」
「善処します!」
キリッ!
「……あのなぁ」
いつも以上に疲れたせいで、怒る気力すら湧いてこない。
こういう時に感情をぶちまけずに済むのは、日頃から雛乃の面倒を見てきたおかげだろうか。
……複雑だが、少しだけ感謝しておこう。
「先輩、このあと飲みとかどうっすか? 今日くらいは奢りますよ?」
「悪い。今日はこのあと、すぐ帰らないといけなくてな」
「えー、残念っす」
「それに、お前は飲みに行くと翌日遅刻するだろ?」
「しませんよー! まさかー!」
後輩が周囲を見渡す。
「ねぇ? みんな?」
「……あれ?」
誰も目を合わせようとしない。
「なんで目を逸らすの!?」
哀れな後輩を残し、俺は職場を後にした。
足早に駅へと向かう。
栞ちゃんには悪いが、帰宅は20時を少し過ぎてしまいそうだった。
そんな時、スマートフォンが震えた。
画面を確認する。
「……げっ」
送り主は、桜井瑞稀先輩。
『相澤、今日は大変だったろう。すまなかったな! それと、悪いんだが来週少し付き合え!』
労いの言葉とともに、次なる厄介事が確約されている。
なんだ、このチェーンメールを受け取った時のようなげんなり感は。
『お疲れ様です。その、拒否権は……?』
返信すると、すぐに既読がついた。
『年末、有給。借りを返す時だと思うが?』
「…………」
ああ、はい。
そういうことですね。
『喜んで引き受けさせていただきます。』
送信。
「はぁ……」
深いため息を吐き、俺はひとり虚しく電車を待つのであった。
はい。
今回は2部構成です。
ここ数日5000文字近くが続いてしまったので、少し文量を調整させて頂きました。
2,000文字じゃ足りないよーって方すみません。
よかったら40話を読む前に一度2話を読み直してみて下さい。
なぜかって?
それはお楽しみということで。
40話では、物語り進行でとても重要な回となります(いつも重要だけどね…)
ボリュームが少し出てしまうので2〜3話での構成になると思います。
まとめ読みの方は参考にしていただければと思います。
それでは、また明日。




