相澤家、家訓その⑤ 前編
12月31日、夜。
今年も残すところあと1日。
年末ということもあり、相澤食堂は大忙しだった。
「おう、ヒナちゃん! お水まだかい!」
「ごめんなさーい! 今アルプスまで汲みに行っててぇー!」
「テキトー言ってんな。ただの浄水だろ。それに忘れてただけだろ」
「栞ちゃーん! おにぃーがいじめるー!」
「雛乃ちゃん、今はちょっと……」
「がーんっ! 栞ちゃんまで!」
あまりの忙しさに、栞ちゃんも余裕がなさそうだった。
まあ、無理もない。
今日で手伝い始めて5日目とはいえ、年末の飲食店の忙しさは普段とは別物だ。
しかも、うちの店は常連客が多い。
お客さんとの会話も仕事のうち、なんて親父は言うが、忙しい時にはそれがなかなか厄介だったりする。
「雛乃! 暇してんなら料理運べ!」
「へいへい、わかりましたよーっとととっ!」
「危なっ!」
勢いよく振り返った雛乃が、危うく料理をひっくり返しかける。
しかし、横から伸びた手が皿を支えた。
「雛乃ちゃん、大丈夫?」
「あ、ありがと、栞ちゃん!」
「うん。それじゃあ……」
栞ちゃんはにっこりと笑った。
「雛乃ちゃん。洗い物、お願いできるかな?」
笑顔。
そう、笑顔である。
「ひぃっ!!」
そして雛乃は逃げるように洗い場へと向かっていった。
……栞ちゃん、強くなったなぁ。
いや、いいことだ。
少なくとも、あのバカ妹を相手にするなら、それくらいでちょうどいい。
「ごめん、俺も提供フォロー行くから少し保たせて!」
「はいっ! 頑張ります!」
力強い返事とともに、栞ちゃんが作業へ戻る。
その背中を、つい目で追ってしまった。
初めてここへ来た時は、あんなに遠慮がちだったのに。
今では常連客にも名前を覚えられ、母さんや親父とも自然に会話している。
雛乃に至っては、完全に甘えきっている始末だ。
もし、この先。
栞ちゃんが本当に家族になったら。
そんな想像が、ふと頭の中に浮かんだ。
……いや、何を考えてるんだ、俺は。
付き合ってすらいない女性相手に。
ーーーパリーンッ!!
「…………」
どうやらキッチンの仕事が増えてしまったようだ。
「雛乃ぉぉぉ!!」
「違うの! お皿が勝手に飛び降りたのぉぉぉ!!」
「お前はグリストラップにダイブするか!?」
まったく。
感傷に浸る暇もありゃしない。
♢
最後のお客様を見送り、店の看板を裏返す。
本日の営業はこれにて終了。
ようやく、長い一日が終わった。
「みんな、お疲れ様でした。特に栞ちゃんは手伝ってくれてありがとうね」
母さんが皆を労う。
「いえ、そんな! 私もすごく楽しかったです!」
「すまんな恭佐、栞ちゃん。2人が来てくれて本当に助かった」
日常生活に支障がない程度まで回復した親父も、改めて礼を口にする。
「気にすんなよ。どうせ年末は休みだったし」
「私も、少しでもお役に立てたなら嬉しいです」
「ヒナだけ労いがないよぉ!? なんでぇ!?」
「お前は仕事増やしすぎなんだよ」
「そんなことありませんー! めちゃくちゃ働いてましたー!」
「なら、何してたか言ってみろよ」
思わずため息が漏れる。
「えーっとぉ。ご案内でしょ? お水でしょ? 洗い物……はクビになったからぁ……」
「ほらみろ。大した労働してねぇじゃねーか」
「してましたー! お水汲むのだって大変なんだからね!」
「蛇口ひねるだけだろーがよ」
「ああ!? こちとらアルプスまで汲みに行ってんだよ!! なめんなし!!」
「交通費請求される前にクビにするべきだったな」
「不当解雇だぁぁぁ!!」
「ふふっ」
横から小さな笑い声が聞こえた。
栞ちゃんだ。
口元を押さえながら、楽しそうに笑っている。
……まあ、いいか。
こうして笑ってくれるなら、雛乃のバカ騒ぎにも多少の価値はある。
「おーい! 帰ったぞー!」
その時、店の入り口から聞き慣れた声が響いた。
「おっ! 兄貴!」
「和也おにぃー!」
現れたのは、うちの長男。
相澤和也。
現役の消防士であり、俺と雛乃の兄でもある。
「おう、恭佐! 久しぶりだな!」
「お疲れ。仕事は?」
「今日で終わりだ! 明日からまた忙しいけどな!」
……消防士に年末年始も何もないからな。
帰ってこられただけでもありがたい。
「お母さん! 重いものとかあるだろ? 親父がやってた力仕事は俺が全部やっとくから!」
「あら、助かるわ。じゃあ、裏の倉庫をお願いしようかしら」
「任せろ!」
「兄貴、待て」
「ん?」
「まだ何を運ぶか聞いてないだろ」
「……確かに!」
相変わらずだな、この人も。
うちの兄妹は、どうしてこう勢いだけで動くんだろうか。
いや、雛乃ほどではないけど。
「それじゃあ、残りの片付けを分担しよう」
俺はメモ帳を取り出した。
「兄貴は倉庫の整理と重量物の移動。雛乃は客席の清掃と備品の補充。母さんは今日の売上と現金管理をお願い」
「はーい」
「おう!」
「わかったわ」
「親父は無理せず座っててくれ。最後の確認だけ頼む」
「……俺の仕事が一番少ないな」
「病み上がりだろ。文句言うな」
「ははっ、わかったよ」
親父は苦笑しながら椅子に腰を下ろした。
俺は厨房の食材を確認する。
年内の営業は今日で終わりだ。
使い切るもの、持ち越すもの、処分するもの。
冷蔵庫や冷凍庫の温度、食材の保管状態、消費期限。
それから清掃と衛生管理。
飲食店である以上、ここだけは適当に済ませるわけにはいかない。
「恭佐ー! これ、どこ置くんだー?」
「兄貴、それは処分するやつ!」
「おう、了解!」
「おにぃー! 洗剤なくなったー!」
「倉庫の右側、下から2段目!」
「えー、どっちから見て右ー?」
「入口から見てだよ!」
「右ってどっちー!?」
「そこからかよ!!」
……先が思いやられる。
それでも、作業は順調に進んでいった。
兄貴は一度指示を出せば、力仕事をあっという間に終わらせてくれる。
雛乃も余計なことさえしなければ、動きは悪くない。
問題は、その余計なことを必ずする点だが。
「恭佐さん、私も何かお手伝いできますか?」
厨房の確認を終えたところで、栞ちゃんが声をかけてきた。
「いや、栞ちゃんはもう十分働いてくれたから。あとは休んでて」
「でも、皆さんまだお仕事されていますし……」
「大丈夫だよ。これ以上は流石に……」
そう言うと、栞ちゃんは少しだけ困ったように笑った。
「……それなら、なおさら手伝わせてください」
「え?」
「私も、皆さんと一緒に終わらせたいです」
まっすぐな目だった。
遠慮や義務感だけではない。
きっと、栞ちゃん自身がそうしたいと思ってくれている。
……参ったな。
「それじゃあさ」
「はい!」
「雛乃の面倒、見てもらってもいい?」
「……え?」
栞ちゃんには申し訳ないけど、1番厄介な仕事を任せてもいいだろうか。
「俺が最後の確認をしてくる間、あいつが余計なことしないように見張っててほしい」
「ふふっ。わかりました!」
「ちょっと待って!? ヒナは子供じゃないんですけどぉ!?」
いつの間にか背後にいた雛乃が抗議する。
「じゃあ、皿洗いくらいまともにやってくれ……」
「皿洗いの難易度なめんな!それとこれとは別問題ですぅ!」
「雛乃ちゃん、一緒に頑張ろうね?」
「……はぁい」
……素直だな、おい。
栞ちゃんが隣に立つと、雛乃はすっかり大人しくなった。
どっちがお姉さんなんだかな。
その後、兄貴が片付け忘れた荷物を運び直し、雛乃が補充し忘れた備品を確認して、最後に厨房と客席を一通り見回った。
ガスの元栓。
水道。
冷蔵設備。
戸締まり。
よし。
「……これで全部だな」
時計を見る。
予定より少し遅くなってしまったが、なんとか年内の仕事を終えることができた。
「お疲れ様、恭佐」
振り返ると、母さんが立っていた。
「母さんもお疲れ。現金は?」
「問題なしよ。お父さんにも確認してもらったわ」
「そっか」
「……昔から変わらないわね、あなたは」
「何が?」
「みんなが好き勝手動いても、最後にはちゃんとまとまるようにしてくれるところよ
」
「……放置したら仕事が増えるからだよ」
「ふふっ。そういうことにしておきましょうか」
母さんは楽しそうに笑った。
……なんだかなぁ。
褒められているのか、からかわれているのか。
「おにぃー! お腹すいたぁぁぁ!!」
「……ほら、呼んでるわよ」
「はいはい」
まったく。
最後の最後まで騒がしい。
けれど。
こうして家族全員で年末を迎えるのも、悪くない。
しかも今年は、そこにもう1人。
「恭佐さん、お疲れ様でした!」
栞ちゃんがいる。
「栞ちゃんも、お疲れ様」
そう返すと、彼女は嬉しそうに笑った。
……さて。
仕事も終わったことだし。
あとは、みんなで飯を食うだけだ。
そう思っていた。
この時までは。
いかがでしたでしょうか?
最近は寒暖差が激しかったりインフルが流行ったり。
ああ、もうそんな季節かー。
こんな形で季節を感じる時期になりましたね。
絶賛デスマ中ですが、簡単に倒れられない丈夫な身体に産んでくれた母には感謝しかないですね笑
もう少しだけ栞ちゃんと相澤家の面々の話が続きますが、一歩一歩小さく成長する3人をこれからも見守っていただければ幸いです。
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それではまた明日……




