嵐の予感。③
〜雛乃視点〜
話が落ち着いたころ、私はずっと気になっていたことを尋ねた。
「それにしても、栞ちゃんとおにぃって、どういう関係なの?」
2人はお互いに向き合う形となり目があった。
お互いに、相手の表情を確かめるように。
今日初めて会ったわけではない。
それだけは分かる。
「相澤さんには、その……7年前に受験勉強でお世話になったんです」
「受験勉強?」
初耳だった。
お兄ちゃんが、誰かに勉強を教えていたことも。
当時、中学生だった女の子と関わっていたことも。
何も知らなかった。
話を聞けば、お兄ちゃんはいつもの調子で、自分がしたことなんて大したことではないと言う。
栞ちゃんが努力した結果だと。
それでも栞ちゃんは、お兄ちゃんのおかげだと言った。
互いに相手を立てようとしている。
なんだか、不思議な2人だった。
「でもさ」
もう1つ、分からないことがある。
「なんで、おにぃが栞ちゃんに勉強を教えてたの?」
家庭教師をしていたわけでもない。
それなら、2人はどうやって知り合ったのだろう。
「当時、相澤さんは……」
栞ちゃんが、一度言葉を止める。
「私のお姉ちゃ……姉と、お付き合いしていたんです」
「…………」
頭の中で、何かが音を立てて崩れた。
栞ちゃんのお姉さん。
さっき聞いた話に出てきた、あのお姉さん。
家族を苦しめ、栞ちゃんが積み重ねてきたものを踏みにじった人。
その人が、お兄ちゃんの元カノ?
「おにぃ……」
「なんだよ」
「さっきの話に出てきた……お姉さん?」
「…………」
胸の奥から沸々と暗い感情が湧き上がる。
「栞ちゃんの前でごめんだけど、控えめに言ってヤバめの、あの?」
なんとか自分の感情を押し留められたと思う。
お兄ちゃんは目を逸らした。
「残念ながら……そうだ」
その瞬間、7年前に聞いた名前が浮かんだ。
美麗。
苗字も知らない。
どんな人なのかも、ほとんど聞いたことがない。
ただ、お兄ちゃんが初めて付き合い、そして別れた人の名前。
それが――栞ちゃんのお姉さん。
怒りと悲しみが同時に訪れ、頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜた。
あの日、お兄ちゃんに何があったのか。
どうして、何も言わなかったのか。
どうして、それから7年間、誰とも付き合わなかったのか。
聞きたいことが、次々と溢れてくる。
同時に、栞ちゃんの顔も見られなくなった。
お姉さんがしたことは、栞ちゃんの責任ではない。
そんなことは分かっている。
それなのに私は、ほんの一瞬でも栞ちゃんまで疑いそうになった。
姉妹だから。
ただ、それだけの理由で。
さっきだって、この人を勝手に疑って、試したばかりなのに。
また同じことをしそうになった自分が、たまらなく嫌だった。
きっと、お兄ちゃんから見た私は、何も考えず固まっているように見えただろう。
だけど本当は、頭の中がうるさくて仕方がなかった。
美麗さんへの怒り。
お兄ちゃんが7年間抱えていたものへの悲しみ。
それを何も知らなかった自分への苛立ち。
そして、栞ちゃんに対する申し訳なさ。
いろいろな感情が、一度に押し寄せていた。
それから、お兄ちゃんは7年前のことを話してくれた。
美麗さんと出会ったこと。
付き合うようになったこと。
そして、別れた日のこと。
私には話してくれなかったことを、1つずつ言葉にしていった。
腹が立った。
どうしてお兄ちゃんが、そんな目に遭わなければならなかったのか。
悲しかった。
何ともない顔をして帰ってきたあの日、お兄ちゃんは本当はどんな気持ちだったのだろう。
だけど、少しだけ安心もした。
7年間、誰にも話さなかったこと。
それを今、お兄ちゃんはようやく話している。
私ではなく、栞ちゃんの前でだけど。
悔しいとは思わなかった。
むしろ、よかったと思う。
お兄ちゃんにも、ようやく自分の痛みを打ち明けられる人ができたのかもしれない。
この2人の関係は、まだ何も始まっていない。
お互いに、そんなことを考えてすらいないのだろう。
だけど私には、お兄ちゃんが少しずつ栞ちゃんへ心を開いているように見えた。
◇
その日の夜。
栞ちゃんと一緒に料理をして、3人で食卓を囲んだ。
栞ちゃんは、カレーを一口食べると涙を流した。
流れ止まない涙。
それでも、食べる手を止めることはなかった。
一口ずつ、大切そうに噛み締めていた。
そして最後には、心の底から笑ってくれた。
その笑顔を見た瞬間、思った。
この人が我慢してきたことを、少しでも取り戻したい。
季節の行事も。
おしゃれも。
花火も、海も。
やりたかったことを、全部やってほしい。
私にできることがあるなら、何でもしたいと思った。
栞ちゃんには、悪いことをした。
騙して、試して、怖い思いをさせたかもしれない。
だから、せめてもの償い。
最初は、そう思っていた。
だけど――きっと、それだけではない。
私は、この人とも、もっと一緒にいたかった。
それがなぜなのかは上手く言葉には出来ないけれど。
もっと笑っているところを私は見たかった。
◇
翌日。
季節外れのお月見を提案し、私たちは月の見える丘へ向かった。
正直、お団子が食べたかったのも本当だ。
でも、それだけではなかった。
秋には月見をして、お団子を食べる。
昨夜、栞ちゃんと約束した。
だったら、今からでもやればいい。
時期が少し遅いくらいで諦める必要なんてない。
月が昇るなら、それはもう月見なのだ。
公園へ着くと、予想していた以上に冷え込んでいた。
私の手は、すっかり冷たくなっている。
前を歩くお兄ちゃんと栞ちゃんを交互に見る。
栞ちゃんは、自分の手に息を吹きかけていた。
お兄ちゃんは、空いている右手をポケットに入れている。
「おにぃ、栞ちゃん」
2人を手招きし、近づいてきたところで片手ずつ握る。
「冷てっ!」
「冷たっ!」
2人の声が重なった。
それがなんだかおかしくて、笑った。
「あったけぇ~~」
しばらく2人の手から暖をもらう。
そうすることで、2人から優しさを貰えるような、そんな気がした。
そして私は、お兄ちゃんの右手と、栞ちゃんの左手を重ね合わせた。
「えっ……? 何してんの?」
「雛乃……ちゃん?」
2人が困惑している。
本当は、私も少しだけ緊張していた。
もし嫌そうな顔をしたら、すぐに冗談にするつもりだった。
いつものように笑って、くだらない悪ふざけだったことにすればいい。
離したいなら、すぐに離せるように。
私が触れていた手を放し、2人だけをその場に残す。
「こうすると、温かい、でしょ?」
私はウインクを送り、振り返った。
「さぁ、2人とも! 手をつないだら、行ってみよー!」
そのまま、1人で丘へ向かって歩き始める。
すぐには、後ろから足音が聞こえなかった。
やっぱり、余計なことだったかな。
胸の中に、少しだけ不安が広がる。
私はまた、誰かの気持ちを勝手に決めつけてしまったのかもしれない。
立ち止まって振り返りたくなる。
でも、それでは2人が困ってしまう気がして、前だけを見て歩いた。
やがて、背後から足音が聞こえてくる。
1人分ではない。
2人分。
並んで歩く足音だった。
丘を登りきったあと、少し遅れてきた2人へ目を向ける。
手は、まだつながれたままだった。
私が無理やり重ねた手。
だけど、それをつなぎ続けることを選んだのは、2人だった。
7年間、誰とも距離を縮めようとしなかったお兄ちゃん。
自分のことを後回しにして、ずっと誰かのために生きてきた栞ちゃん。
そんな2人が、今は同じ景色を見ながら、隣に立っている。
それが私は嬉しかった。
栞ちゃんには、悪いことをした。
だから、これは私の償い。
最初は、そう思っていた。
でも、きっとそんなきれいなものじゃない。
この子なら、お兄ちゃんを笑顔にしてくれるかもしれない。
そして、お兄ちゃんなら。
栞ちゃんが失ってしまったものを、少しずつ取り戻す手助けができるかもしれない。
私は勝手に、そんな未来を期待してしまった。
もちろん、今すぐどうこうなってほしいわけではない。
2人が何を選ぶのかは、2人が決めることだから。
だけど、ほんの少しだけ。
立ち止まっていた2人の背中を、押してみたくなった。
お兄ちゃんと栞ちゃんが、つないだ手をまだ離さずに歩いてくる。
その光景を眺めながら、私は何も言わなかった。
からかうこともしなかった。
ただ、少しだけ笑顔になれた。
これから何かが変わり始める。
そんな予感がした。
私は、お兄ちゃんが大好き。
だから、私にできることを全部やるの。
お兄ちゃんが――ううん。
2人が幸せになってくれることが、私にとっての幸せだと思うから。
でも、これは2人のためなんかじゃない。
私が、そうなってほしいと願っているだけ。
だからこれは、私のわがまま。
私だけの気持ち。
ほかの誰のものでもない。
この気持ちだけは、お兄ちゃんにも、栞ちゃんにも教えてあげない。
私は、悪い子だから。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
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これからも恭佐と栞のじれじれとした進展を、温かく見守って下さると幸いです。




