嵐の予感。①
〜雛乃視点〜
夢を見た。
懐かしい夢。
私がまだ小さかった頃、恭佐お兄ちゃんが高熱を出して寝込んだときのこと。
お兄ちゃんは、ただの風邪だったと思っているみたいだけど、熱は40度近くまで上がっていた。
普段は冷静なお父さんとお母さんが、ひどく慌てていたのを覚えている。
二人はお兄ちゃんを連れて病院へ向かい、私は長男の和也お兄ちゃんと留守番をした。
病院へ行けば治る。
今なら、そう思える。
でも、あのときの私は、恭佐お兄ちゃんがそのままどこかへ行ってしまうんじゃないかと怖くて、泣いてしまった。
◇
目を覚ますと、部屋はまだ暗かった。
11月23日、午前3時ごろ。
今日は仕事が休みということもあって夜更かしをしていたが、どうやら途中で寝てしまったらしい。
夢の中の不安が、まだ胸に残っている。
そんなとき、お兄ちゃんから一通のメッセージが届いた。
『お前が家出したくなるとしたらどんな時だ?』
なんだか重たそうな話だった。
何か変なことに巻き込まれてしまったのではないかと、少し心配になる。
私はひとまず様子を見るため、ふざけた調子で返信した。
『おにぃが誰かと結婚したら、ヒナ悲しくて家出しちゃう、ぴえん』
既読はすぐについた。
だけど、いくら待っても返事は来なかった。
夜も遅いし、寝ちゃったのかな?
そう思ったけれど、やっぱり心配になって、何通かメッセージを送る。
それでも、返事はなかった。
寝ちゃったんだよね。
そう自分に言い聞かせ、私は布団を被って目を閉じた。
すると今度は、7年前のあの日が浮かんできた。
お兄ちゃんが、初めてできた彼女さんにフラれた日。
その日、お兄ちゃんは彼女さんと出かけると言って家を出た。
積極的ではなかったけれど、不器用なりに恋愛と向き合おうとしていた。
大学生同士の交際にしては、少し真面目すぎるんじゃないかとも思った。
それでも私は、お兄ちゃんのそういうところが好きだった。
けれど、その日のお兄ちゃんは、出かけてからすぐに帰ってきた。
どうしたのかと聞いた。
お兄ちゃんは何事もなかったかのように、ただフラれたという事実だけを話してくれた。
どうして?
どうして、お兄ちゃんがフラれたの?
私には分からなかった。
少しお節介なところはあるけれど、きちんとその人と向き合ってくれる。
そんな優しいお兄ちゃんがフラれてしまうことが、私には納得できなかった。
何があったのか聞こうとしても、お兄ちゃんはそれ以上話してくれなかった。
お兄ちゃんは、自分に厳しい人だ。
だから、もし自分に悪いところがあったのなら、きっと自分から話していたと思う。
でも、お兄ちゃんは何も話さなかった。
だからきっと、相手に何か原因があったのだろう。
お兄ちゃんは、どれだけ相手が悪かったとしても、その人を貶めるようなことは言わない。
だけど、ちょっとくらい。
私にくらいは、辛かったことや腹が立ったことを、素直に打ち明けてほしかった。
あのときのお兄ちゃんは、何ともないと言っていた。
実際に、そう見えた。
けれど、それから7年間。
お兄ちゃんが新しい彼女を作ることも、その口から女性の名前が出ることもなくなった。
お兄ちゃん自身、意識していたわけではないのだと思う。
それでも、無意識に女性を避けるようになったのではないだろうか。
だから、本人は平気だと言う。
だけど私には、傷ついているようにしか見えなかった。
◇
カーテンの隙間から差し込む日差しで、目が覚めた。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
お兄ちゃんのことが心配で、すぐにスマホを確認する。
既読がついていたのは、最初に送った一通だけ。
時刻は、午前8時を回ったばかりだった。
朝早くに申し訳ないと思いつつ、お兄ちゃんへ電話をかける。
繋がらない。
昨夜の嫌な記憶が、再び顔を出した。
私は胸にこびりついた不安を振り払うように、シャワーを浴びた。
今日はお母さんが用意してくれた朝食も、あまり喉を通らなかった。
「どうしたの、雛乃。珍しくご飯をおかわりしないじゃない。具合でも悪いの?」
いつもなら3杯食べるところを、今日は2杯しか食べられなかった。
「ちょっと、お兄ちゃんが心配で……」
隠しても仕方がない。
私は、お母さんに正直に事情を伝えた。
「あらあら、そうね……」
ひと通り話を聞き終えたお母さんが、ある提案をする。
「直接、乗り込んじゃいなさい」
自分も大概だとは思うけれど、お母さんもずいぶんと思い切ったことを言う。
だけど、そのひと言で少しだけ元気が出た。
「うん! 寝てただけなら、お兄ちゃんの顔に落書きしてくる!」
「そうね。油性ペン、どこにやったかしら……」
お兄ちゃん、大変。
お母さんが油性ペンを探してるよ。
「お母さん。私だって、さすがにそこまではしないよ」
慌てて止める。
「あら、そう? あっ、そうね。これを渡しておくわね」
お母さんから渡された紙には、お兄ちゃんの家の電子キーの暗証番号が書かれていた。
「いいの? お兄ちゃん、怒らない?」
「いいのよ。心配なんでしょ? 何事もなければ、それでいいじゃない」
「うん。ありがとう、お母さん。私、行ってくるね!」
「はいはい。気をつけて行ってきなさいね」
「はーい!」
そう言って、私はお兄ちゃんの家へ向かった。
◇
電車を乗り継ぎ、ようやくお兄ちゃんの住むマンションへ到着した。
あれから何度か電話をかけたけれど、やっぱり繋がらなかった。
時刻は、午前11時を過ぎている。
いつもなら、もう起きている時間だ。
胸の中で、不安が少しずつ膨らんでいく。
私はその不安を吹き飛ばすため、音楽をかけて気分を上げた。
お兄ちゃんに、不安な顔は見せたくない。
いつだって明るくて、うるさくて、くだらないことばかりしている。
お兄ちゃんの前では、そんな妹でいたかった。
あの日、私がふざけると、お兄ちゃんは少しだけ笑ってくれたから。
だから私は音楽に合わせて歌い、自分を鼓舞しながら玄関のドアを開けた。
「まきおーこーせっ……あ」
女の人。
その下敷きになっている、お兄ちゃん。
んーー。
これはいったい、どういう状況だ?
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
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