今宵、月の見える丘に③
道の駅を出て、車を走らせること十数分。
目的地の公園へ到着した。
来週から本格的に冷え込むという予報だったが、日が沈んだころには、すでに身に染みるほど寒くなっていた。
「さっぶぅ……」
鼻をすすりながら、雛乃が身体をガタガタと震わせる。
上着は羽織っているものの、丈の短いニットワンピースから伸びる脚は見るからに寒そうで、こちらまで震えてきそうだった。
「その服を選んだの、自分だろ」
「昼間はちょうどよかったの!」
「夜まで外にいるって分かってただろ」
「おしゃれは我慢って言うじゃん!」
「じゃあ我慢しろ」
「おにぃの人でなし!」
「なら上着返せ」
「やだよぉ」
下を出してべーっとする雛乃。
調子に乗ってると転ぶぞ、そう伝えてやろうとしたところで雛乃は既に躓いていた。
先を歩く雛乃をぼんやりと眺めつつ、俺はスーパーで買ってきた団子やお菓子の入ったレジ袋を左手に持ち、空いている右手をポケットに入れて温める。
「寒いですね……」
栞ちゃんも、両手に息を吹きかけていた。
「じぃーーーー」
何やら、雛乃が俺と栞ちゃんを交互に見つめている。
「なんだよ?」
「おにぃ、栞ちゃん」
雛乃が、ちょいちょいと手招きする。
嫌な予感がする。
それでも言われるまま近づいたところで、俺と栞ちゃんは雛乃に片手ずつ握られた。
「冷てっ!」
「冷たっ!」
声が重なったことがおかしくて、思わず栞ちゃんと笑い合う。
「あったけぇ~~」
沁みるぅ~、とでも言いたげな表情で、俺たちの手から暖を取る雛乃。
さながら、銭湯で見かけるおじさんのようだった。
「俺たちは湯船じゃねぇぞ」
「いい湯だなぁ~」
「聞けよ」
ひとしきり俺たちから熱を奪い、満足したらしい。
ようやく解放される。
そう思った瞬間、雛乃は俺の右手と栞ちゃんの左手を重ね合わせた。
「えっ……? 何してんの?」
「雛乃……ちゃん?」
困惑する俺たちに、雛乃が答える。
「こうすると、温かい、でしょ?」
小悪魔的というか、挑発的というか。
意図を察しろとでも言いたげに、こちらへ何度もウインクを送ってくる。
栞ちゃんを見ると、耳の先まで真っ赤になっていた。
「さぁ、2人とも! 手をつないだら、行ってみよー!」
雛乃は勢いよく振り返ると、月が輝く丘の上を目指して歩き出した。
その場に残された俺たちは、互いの顔を見合わせる。
「その……」
「ごめんな。今、離すよ」
そう言って手を離そうとしたところで、栞ちゃんの手を握る力が強くなる。
「いえ。せっかく温かいので……もしよければ、このまま行きませんか?」
思ってもみなかった返事に、鼓動が速くなる。
「……分かった」
握られた手を、今度は俺からも握り返す。
先ほどまで感じていた寒さが、今はちょうどよく感じられた。
栞ちゃんの瞳には、夜空の星が映り込んでいる。
その輝きから逃げるように、先を歩く雛乃へ視線を向けた。
「ほら、置いていかれるぞ」
「はい!」
俺たちは、雛乃のあとを追って歩き始める。
会話はなかった。
それでも、不思議と気まずくはない。
つないだ手から伝わってくる温もりを、互いに確かめるように歩いた。
◇
それから歩くこと数分。
「…………」
丘の上では、雛乃が夜風に吹かれながら、1人で佇んでいた。
俺たちも少し遅れて追いつき、その隣に並ぶ。
そして空を見上げた俺は、道中から抱いていた感想をそのまま口にした。
「くっそ、中途半端じゃねぇか……」
今日の月は、半月とも三日月とも呼べない、なんとも絶妙な形をしていた。
お月見と聞いて想像するような、丸い月とは程遠い。
「間に合わなかった……か……」
雛乃が、悔しそうに俯く。
なに、少し遅かったみたいに言ってんだ。
数時間とかのレベルじゃないからな?
雛乃は俺の左手からレジ袋を受け取ると、中に入っていた団子を取り出した。
袋を開け、夜空を見上げながら1つ口へ運ぶ。
「…………」
何度か静かに噛み締める。
そして、雛乃は震える声で呟いた。
「これが……月見の団子の味だってのかよっ……!」
さながら少年漫画の主人公のように、無駄に悲劇的に食レポをした雛乃。
「スーパーで買った普通の団子だろ」
月の形で味が変わってたまるか。
「おにぃには分からないよ……月を失った者の気持ちなんて……」
「そんなもん、どっかの戦闘民族に聞いとけ」
まったく、しょうもないやつだ。
「栞ちゃんも食べよー」
「はい。ありがとうございます」
月を失った物の悲しみは3秒と持たなかった。
そして雛乃が差し出した団子を、栞ちゃんは空いている右手で受け取った。
それでも、左手は俺の手を握ったままだった。
雛乃の視線が、一瞬だけ俺たちのつないだ手へ向けられる。
何か言われると思ったが、雛乃は嬉しそうに笑っただけだった。
「星、すごくきれいですね……」
中途半端な月。
けれど、隣に立つ栞ちゃんは瞳を輝かせながら、夜空を見上げていた。
「そうだな。それに……」
辺り一面に広がる、色づいたモミジやイチョウ。
その葉が淡い月明かりに照らされ、幻想的な景色を作り出していた。
「お月見だけじゃなく、紅葉も見られましたね」
栞ちゃんが、穏やかに笑う。
満月には少し遅かった。
それでも栞ちゃんがこんなふうに笑っているのなら、今日ここへ来た意味はあったのだろう。
つないだ手から伝わる温もりと一緒に、心臓の鼓動まで伝わっているんじゃないだろうか。
そう思うと、急に意識してしまう。
ただ、それでも俺は、その手を離そうとは思わなかった。
7年前は、まだ中学生だった幼い女の子。
ずっと子どもだと思っていた彼女を、俺はこのときすでに、1人の女性として意識し始めていたのだろう。
まだ、自覚はない。
けれど、それでも着実に。
俺は、彼女に惹かれ始めていた。
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