今宵、月の見える丘に①
11月24日、日曜日。
雛乃のせいですっかり目が覚めてしまったが、いつものルーティンどおり、朝のコーヒーを淹れる。
「栞ちゃんは何飲む?」
「あっ、では、ココアで」
そう言って微笑む栞ちゃんは、すっかりココアを気に入ってくれたようだ。
「ついでだ。雛乃は?」
「ついでとはなんだ! ついでとは! まったくもう」
むむむっと腕を組み、眉間にしわを寄せる雛乃。
そして、俺と栞ちゃんを交互に見てから答えた。
「マスター、いつものを……」
テーブルに肘をつき、煙草の箱ほどの大きさのお菓子を1つ取り出す。
「なんだよ、いつものって。ココアでいいな?」
「ちっちっちっ」
雛乃が指を振る。
最近見たな、この光景。
「ブラック」
「はぁ?」
「マスター、いつものブラックを……」
「……りょーかい」
お前はいつも、牛乳たっぷりのミルクココアだろうが。
そう思いつつ、作業に取りかかる。
「雛乃ちゃん、ブラックで飲めるんですね」
感心した様子の栞ちゃん。
「まあね。大人の余裕ってやつ? 大人の魅力を隠すのも大変なの」
そう言って、雛乃は髪をかき上げる。
相手にしなくていいぞ、栞ちゃん。
そう、心の中で呟いた。
ブラックコーヒーを1つと、ココアを2つ用意し、リビングへと戻る。
「お待たせ」
「ありがとうございます」
栞ちゃんは一口飲むと、嬉しそうに微笑んだ。
「ぶーぶー、遅いぞ、おにぃ!」
対して、働かないくせに文句だけは一丁前の雛乃。
相澤家、家訓その1はどこへ行った。
「大人の余裕はどこ行ったよ?」
「大人なら、要求するときは要求していかないとね」
「たちの悪いクレーマーじゃねぇか」
「やめてくれよ、マスター。些細なことさ……」
そう言って、先ほど取り出したココアシガレットを1本くわえ、煙をふかす真似をしながら窓へと向かう。
そしてカーテンを少し開き、差し込む日差しに目を細めた。
「なんだか、刑事ドラマみたいでかっこいいですね」
栞ちゃんは、ごくりと息を呑みながら雛乃を見つめている。
「いや……」
朝からよくそんなテンションでいられるもんだと感心していると、雛乃がコーヒーを一口飲んだ。
「ずずず……うえっ! なにこれ! 苦っ! おいしくない……」
先ほどまでのハードボイルドはどこへやら。
そこには、惨めなお子様の姿があった。
「雛乃ちゃんって、もしかしてコーヒー苦手……?」
感心していたところ悪いが、もしかしなくても苦手だ。
それでも、雛乃の芝居は続く。
「罠だ! これは、罠だ!」
両手を広げて必死に弁明する。
どこかにノートでも仕込んでいそうだった。
「残念だが、真実だ。ほれ」
雛乃からカップを奪い取り、もう1つ用意していたココアを渡す。
「ココアが本物か……ニセモノか!!」
松田、どうにかしてくれ。
付き合いきれん。
雛乃を放置し、ソファに腰かける。
すると、隣に座っていた栞ちゃんと自然に目が合った。
なんだか上機嫌な様子だ。
「どうかしたか?」
「いえ。好きだなぁ、と思いまして」
そう言って見せた柔らかな表情に、思わず目を逸らす。
「ココアがか?」
「ふふっ、そうですね」
カーテンの隙間から差し込む朝日のせいだろうか。
カップを両手で支える栞ちゃんの姿が、昨日とは違って輝いて見えた。
◇
栞ちゃんと手分けして、簡単な朝食を作る。
もちろん、仕事が増えるので雛乃は待機させている。
調理前、栞ちゃんに「お菓子はご飯のあとですよ」と告げられ、絶望する雛乃の姿には、思わずコーヒーを吹き出しそうになった。
栞ちゃんはまだまだ遠慮があるものの、少しずつ雛乃の扱いが上手くなっていた。
まるで、本当の姉妹のように。
「おにぃ!! 栞ちゃん!!」
朝食を終え、くつろいでいると、再び雛乃が騒ぎ始めた。
ソファに座る俺たちの前で、腕を組み、仁王立ちする雛乃。
また面倒ごとを持ち込むつもりか。
自然とため息が漏れる。
「今日は天気がいいよ!!」
「そうだな」
コーヒーを飲みながら、適当に流す。
「空がきれいだよ!」
「そうですね」
栞ちゃんが、少し困惑しながら応える。
「お月見日和だとは思わんかね!?」
「…………」
「…………」
栞ちゃんと顔を見合わせる。
2人して呆然としてしまった。
「……雛乃」
「なんだね?」
「月見のシーズンは、とっくに終わってるんだが?」
今日は11月24日。
来週には、もう12月だ。
「甘――い!!」
突然の大声に、思わず顔をしかめる。
「ココアよりも甘いよ、おにぃ!」
「何がだよ」
「月が昇るなら、それはもう月見なんだよ!」
雛乃は高らかに宣言すると、窓の向こうに広がる青空を指差した。
そもそも今は朝だ。
月どころか、太陽しか見えない。
「だいたい、本来の月見ってのは秋の――」
「昨日、言ったでしょ?」
俺の言葉を遮った雛乃が、栞ちゃんへ顔を向ける。
「やりたかったこと、全部やろうって」
「…………」
栞ちゃんが小さく目を見開いた。
「やりたいと思ったなら、今日やればいいの!」
雛乃にしては、まともなことを言っている。
そう思ったのも束の間――
「それに、ヒナは今すぐお団子が食べたい!」
「結局それが目的かよ」
「花より団子! 月より団子! なんなら月がなくても団子!」
「もう月見ですらねぇだろ……」
気怠げにツッコむと、隣から小さな笑い声が聞こえた。
「ふふっ……」
栞ちゃんは口元に手を当てながら、楽しそうに笑っていた。
「栞ちゃんはどうする? 別に、無理して付き合わなくてもいいんだぞ」
雛乃の勢いに流されていないか、少しだけ心配になる。
けれど、栞ちゃんは迷うように窓の外へ目を向けたあと、俺たちへ笑顔を見せた。
「私……行ってみたいです」
昨日までの栞ちゃんなら、きっと遠慮していた。
俺たちに合わせて、自分の気持ちを飲み込んでいたはずだ。
だけど今は、自分から「行きたい」と言葉にしてくれた。
「決まりだね!」
雛乃はニヤリと笑い、満足げに胸を張る。
「それじゃ、おにぃ! 車、スタンバイ!」
「なんで俺が運転する前提なんだよ」
「ヒナは神様だけど、紙ドライバーだからね」
「神様に謝れ」
結局、今回も俺がレンタカーを手配することになった。
そして――
こうして俺たちは、11月も終わろうという時期に、季節外れの月見へ向かうことになった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります!




