おはよう。
夕食を終え、片付けも一段落したころ。
俺はようやく、重大なことに気づいた。
「……なぁ、雛乃」
「んー?」
ソファに寝転がりながら、買ってきたお菓子を物色している愚妹へ声をかける。
「お前、いつ帰るの?」
「えっ?」
「……え?」
何を言っているんだこいつ、といった様子の雛乃。
いや、その顔をしたいのは俺なんだが。
「だから、いつ帰んのって?」
「え? 泊まるけど?」
「聞いてないけど?」
「言ってないもんね」
「言えよ」
「てへっ♡」
可愛く舌を出すな。
許されると思うなよ。
「母さんには連絡はしたんだろうな?」
「あっ……」
おい。
雛乃はポケットからスマホを取り出すと、そのまま電話をかけ始めた。
「もしもーし。ヒナだよー。うん、うん。ヒナ。今日、おにぃの家泊まるねー。うんうん、そう。んじゃーねー」
――通話終了。
「いいってー」
「ちっ……」
許可取るの早ぇな。
母さんは、もう少し引き止めてくれよ。
「それで、服どうするんだよ。着替え持ってきてないだろ?」
「あるよ?」
「なんで?」
「さっき買ったから。あっ栞ちゃんとお揃いね」
嫌な予感がする。
今日の買い物を思い返す。
俺は栞ちゃんの生活用品を揃えるため、雛乃にカードを渡した。
そして雛乃は、俺の目が届かないところで自由に買い物をしていた。
まさかな。
「……誰の金で?」
「おにぃのカードで♡」
「帰れ」
「やだ♡」
やっぱりあとで請求しよう。
お菓子代も含めて、きっちりとな。
「栞ちゃん!」
「は、はい?」
雛乃は勢いよく立ち上がると、栞ちゃんの両手を握った。
「今夜は寝かさないぞっ♡」
「えっ……?」
突然の宣言に、栞ちゃんが目をぱちぱちさせる。
「お前はホントに寝られると思うなよ?」
「いやん♡」
「そういう意味じゃねぇよ」
俺のカードを好き勝手に使った件について、まだ話は終わっていない。
そんな俺たちを見ながら、栞ちゃんは口元に手を当てた。
「ふふっ……」
小さな笑い声。
昨日の夜には見られなかったその表情に、俺は少しだけ安心した。
◇
「栞ちゃーん! これ見よー!」
「はい!」
「次これ! これも面白いよ!」
「はい!」
それぞれ風呂を終え、寝室でくつろいでいる。
話し合いの結果、俺がベッド、栞ちゃんと雛乃の二人が布団で寝ることになった。
「あとねー、ヒナおすすめの動画が――」
そこまで言ったところで。
「…………」
雛乃の動きが止まった。
「雛乃?」
「…………」
返事がない。
先ほどまであれだけ騒がしかったというのに、急に部屋が静かになった。
栞ちゃんが雛乃の顔を覗き込む。
「……寝ちゃってますね」
時計を見る。
まだ日付すら変わっていない。
「今夜は寝かさないぞっ、じゃなかったのかよ……」
「ふふっ」
栞ちゃんが声を押し殺して笑う。
まぁ、無理もないか。
雛乃から届いたメッセージの履歴を見るに、昨夜は遅くまで起きていたようだし、今日は朝からずっと動き回っていた。
半分以上は無駄な動きだったが、こいつなりに俺のことを心配していたのだろう。
すぐ調子に乗るから、本人には絶対言わないが。
栞ちゃんが、そっと雛乃に毛布をかける。
「雛乃ちゃんって……すごい人ですよね」
「どこを見てそう思ったんだ?」
「えっ?」
「今日だけでも相当やらかしてただろ、こいつ」
演劇を始める。
俺のカードでお菓子を買う。
マラカスを買う。
玉ねぎを消滅させる。
パン粉をぶちまける。
水をぶちまける。
改めて考えると、本当に何しに来たんだ。
「確かに……少しだけ、驚きましたけど」
「少し?」
「……かなり?」
そう言って小さく笑う。
「だろ?」
二人で顔を見合わせる。
自然と笑いがこぼれた。
栞ちゃんは、眠っている雛乃へ視線を戻した。
「でも、明るくて……すごく優しい人だなって思います」
「…………」
「私、今日は何度も雛乃ちゃんに助けてもらいましたから」
雛乃の寝顔を見つめながら、栞ちゃんは優しく笑う。
「迷惑かけられたの間違いじゃないか?」
雛乃が褒められているのを聞くのは、どうにも居心地が悪い。
だから、つい皮肉を口にしてしまった。
「そうですね」
そう言って、くすりと笑う。
「でも、一緒にいると、悩んでいたことまで忘れてしまうというか……」
「そうだな。それは分かる」
正確には、悩んでいる暇を与えてくれない。
「昔からこんな感じなんですか?」
「……まぁな」
少しだけ考える。
「調子に乗るから、本人には絶対言うなよ?」
「はい」
栞ちゃんが少し楽しそうに頷いた。
「あいつ、空気読めないように見えるだろ?」
「……はい」
少し気まずそうに返事をする。
「でも、妙なところだけよく見てるんだよ。誰かが本当に困ってたり、落ち込んでたりすると、何も聞かずにくだらないこと始めたりしてさ」
今日だってそうだった。
栞ちゃんが暗い顔をすれば、こいつは何かを始めた。
本人がどこまで意識してやっているのかは知らない。
まぁ、半分くらいは素だろうけどな。
「だから、まぁ……」
眠っている妹を見る。
こんなこと、本人が聞いたら一生擦られるだろう。
「俺も、よく助けられてるよ。今日だってそうだ」
「…………」
栞ちゃんが俺を見る。
そして、嬉しそうに笑った。
「相澤さん、雛乃ちゃんのこと大好きなんですね」
「どこをどう聞いたらそうなるんだよ」
「ふふっ……すみません」
栞ちゃんが、こんな冗談を言えるようになったのも、あいつのおかげなんだろうな。
認めたくはないけどな。
「今日はもう寝ろ」
逃げるように布団を被る。
「えっ?」
「明日もこいつのペースに付き合ってたら、身体が持たないからな」
俺がそう言うと、栞ちゃんは眠っている雛乃を見た。
それから――
「ふふっ……そうですね」
柔らかく笑った。
◇
翌朝。
「…………ん」
目を覚ます。
ぼんやりと視界が徐々にクリアになっていく。
今日は天井がいつもより遠く感じた。
「…………?」
ぼんやりとした頭で周囲を見る。
床。
俺はなぜか、床に敷かれた布団の上で寝ていた。
「…………」
昨日、俺はベッドで寝たはずなんだが。
徐々に目が覚めていくにつれて、いつもと違う香りに包まれていることに気がつく。
ゆっくりと顔を横へ向ける。
「…………」
栞ちゃんがいた。
「…………」
近い。
かなり近い。
そして、向こうもすでに目を覚ましていた。
「…………おはよう、ございます…………」
ほんのりと赤く染まった頬は、初めて会った時とは見違えるほど温かみを感じた。
「……おはよう」
なんだ、この状況。
記憶を辿る。
昨日は確か、栞ちゃんと雛乃が床に布団を敷いて、俺はいつも通りベッドで――
ベッドを見る。
「すぅ……すぅ……」
雛乃がいた。
「…………」
なるほど。
なんとなく理解した。
「俺、ベッドから落とされたのか……?」
「みたい……ですね」
まったく記憶にない。
おそらく夜中に雛乃がベッドへ侵入し、寝返りでも打った拍子に俺を押し出したのだろう。
そのまま俺は、雛乃が抜けた布団へ転がり込んだらしい。
敷いたばかりの寝具へ目を落とす。
「……新しく買った寝具が良すぎるのも考えものだな。落ちたことにも気づかなかったよ」
「ふふっ……」
栞ちゃんが小さく笑った。
そして――
「持ちませんでしたね」
「…………」
昨日の夜。
『明日もこいつのペースに付き合ってたら、身体が持たないからな』
まさか、一晩すら持たないとは。
「……そうだな」
思わず俺も笑ってしまった。
「んぅ……」
ベッドの上から声がする。
雛乃がゆっくりと身体を起こす。
「ふぁぁ……おはよぉ……」
目を擦る。
俺を見る。
栞ちゃんを見る。
自分がベッドにいることを確認する。
もう一度、俺と栞ちゃんを見る。
「…………」
口角が上がった。
「朝からお盛んだこと♡」
「誰のせいだと思ってんだ」
どうやら今日も。
静かな一日には、なりそうもなかった。
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