いつまでも
雛乃に俺と栞ちゃんの関係を話し終えたところで、改めて今後について話を振る。
「それで、栞ちゃんはこれからどうするつもりなんだ?」
「それは……」
俺の問いかけに、栞ちゃんは困ったように俯いた。
家を飛び出し、頼る相手もいない。
スマホすら、あの家へ置いてきたという。
当然、今後の予定など決められているはずもなかった。
「もし、行くところがないなら――しばらくここにいればいい」
「えっ……?」
驚いたように、栞ちゃんが顔を上げる。
「俺は日中、仕事でほとんど家にいないしな。少なくとも、今すぐ出ていく必要はないよ」
「でも……これ以上、ご迷惑をお掛けするわけには……」
「大丈夫、大丈夫!」
俺が言葉をかけるのを遮るように、雛乃が栞ちゃんの両手を握った。
「もう自分の家だと思って、なんでも好きに使っちゃっていいからね!」
「俺の家なんだが?」
「うるさい、細かい男は嫌われるぞ、おにぃ」
「家主を差し置いて好き勝手言うヤツよりはマシだ」
「えっと……」
俺たちのやり取りを前に、栞ちゃんが戸惑っている。
「まぁ、雛乃の言うことはともかく、気を遣う必要はないよ。俺は大体、寝に帰ってくるだけだから」
「それはそれで、生活を見直したほうがいいよ、おにぃ……」
「お前にだけは言われたくない」
まさか、こいつに心配されることになるとは。
また話が逸れそうだったため、がやがや言っている雛乃を無視して、栞ちゃんへ向き直る。
「少なくとも、今後のことを考えられるようになるまでは、ここにいればいい」
「…………」
「今日明日で決めなきゃいけないことでもないだろ?」
「……ありがとうございます」
少し迷ったあと、栞ちゃんは小さく頭を下げた。
ひとまず、これで今夜の寝床については問題ない。
ただし――
「そうなると、色々と必要になるな」
着替え。
洗面用品。
寝具。
そのほかにも、俺では気づかない物が山ほどあるだろう。
あの家へ取りに戻るという選択肢もあるが、今の栞ちゃんにそれを勧める気にはなれなかった。
「とりあえず、買い物にでも――」
きゅるるるる。
「…………」
「…………」
「…………」
誰も言葉を発しない室内に、可愛らしい音だけが響き渡った。
栞ちゃんが両手でお腹を押さえ、みるみるうちに顔を赤くしていく。
「す、すみません……」
そういえば、話をしているうちに昼を過ぎていた。
それに、家を出てから何も食べていないのかもしれない。
「よし、まずは飯だな」
「さっすがおにぃ! 乙女心が分かってる!」
「今の音を聞けば誰でも分かる」
「相澤さん、今のは忘れてください……」
「善処するよ」
しばらくは忘れられそうにないが。
「私、ステーキ食べたーい!」
「お前の分は出さないからな」
そんなことを言いながら立ち上がる。
ひとまず昼食を済ませ、そのまま必要な物を買い揃えるとしよう。
◇
自宅から徒歩5分。
近所にあるレンタカー店で、手続きを済ませた。
「おにぃはさ、車買わないの?」
「仕事は電車だし、普段の買い物なら歩いて済むからな。維持費を払ってまで持つ必要もないだろ」
「夢がないなぁ」
「合理的と言え」
大きな買い物や遠出をするときだけ借りれば、俺にとっては十分だった。
店員から鍵を受け取り、駐車場に停められた車へ向かう。
荷物の量を考えて、少し大きめの車を選んでおいた。
運転席に乗り込んだところで、後部座席へ乗り込んだ雛乃が勢いよく前の車を指差す。
「運転手さん! 前の車、追ってください!」
目の前には最寄駅西口行きのバス。
「逆方向だ。1人で行ってろ」
「冷たい! せっかくノってあげたのに!」
「誰も頼んでねぇ」
「ほらほら、栞ちゃんも早く!」
「えっ? あっ、はい」
雛乃に手を引かれ、栞ちゃんまで後部座席へ乗り込む。
当然のように、助手席だけが空席となった。
「なんで俺が送迎する形になってるんだよ」
「出発しんこーう!」
「話を聞け」
ため息を吐きながらエンジンをかける。
まぁ、栞ちゃんが少し笑っているから、今はそれでいいか。
レンタカー店を出て、しばらく走ったところで、後ろから雛乃の声が飛んできた。
「おにぃー。音楽はー?」
「レンタカーだから何も入ってねぇよ。聴きたきゃスマホを繋げ」
「えー、面倒くさ。じゃあ私が歌う〜」
「やめろ」
「あぁ〜わたしぃ〜のぉ〜♪」
「うるせぇ」
「まだワンフレーズも歌ってないじゃん!」
最初のひと言で十分だった。
その後、昭和から平成一桁までのヒット曲メドレーを延々と聞かされた。
23歳のお前の脳内プレイリスト、どうなってんだよ。
心の中で悪態をついていたが、ミラー越しに見えた栞ちゃんは、自然と鼻歌を合わせながら小さく身体を揺らしていた。
まぁ、昭和の名曲も悪くないか。
そう思い、名曲たちを脳内プレイリストへそっと追加した。
◇
ショッピングセンターへ向かう途中、近くのファミリーレストランへ立ち寄った。
席へ案内されるなり、栞ちゃんは申し訳なさそうにメニューを眺めている。
おそらく、値段を気にしているのだろう。
「好きなものを頼んでいいからな」
「でも……」
「じゃあ、おにぃ! 私、これとこれとこれ!」
ステーキにパスタ。
それに、パフェ。
「食いすぎだろ」
「えー、いいじゃん。あっ、しょうがないなぁ。一口だけだよー?」
「そういう問題じゃねぇよ」
遠慮する栞ちゃんと、遠慮の欠片もない雛乃。
足して2で割れば、ちょうどいいのかもしれない。
注文を済ませると、雛乃は栞ちゃんを連れてドリンクバーへ向かった。
そして数分後。
「あっ……」
雛乃の間抜けな声が聞こえる。
見れば、機械の前でグラスからジュースを溢れさせていた。
「おにぃ、大変! コップから溢れた! 私、強化系かも!」
「注ぎすぎただけだ」
「あっ、待って! 色も変わった! 放出系かも!」
「混ぜたからだ」
オレンジ色とも茶色とも呼べない謎の液体を手に、雛乃が席へ戻ってくる。
その慌てる姿を見て、栞ちゃんは笑いを堪えるように口元を押さえていた。
昨日出会ったときの栞ちゃんには、今にも消えてしまいそうな危うさがあった。
けれど今は、目の前でしょうもないことをする雛乃を見て、ちゃんと笑えている。
もちろん、抱えているものが消えたわけではない。
それでも。
こういう時間が、少しでも多くなればいいと思った。
◇
少し遅い昼食を済ませ、ショッピングセンターへ到着する。
衣服や生活用品を一通り見て回ろうとしたところで、雛乃が俺の進路を塞いだ。
「ここからは女の子の買い物だから、おにぃはあっち行っててよね。しっしっ」
「人を野良犬みたいに追い払うな」
「だって、下着とか買うんだよ? おにぃも一緒に選ぶ?」
「あー、用事あったの思い出したわ」
そう棒読みで伝える。
「一昨日きやがれ!」
謎のテンションで煽ってくる雛乃。
うん、ダルい。
雛乃へ財布を渡すのは不安だったが、栞ちゃんに現金を持たせるのも気を遣わせるだろう。
仕方なく、買い物用のカードを雛乃へ渡す。
「必要なものだけだからな」
「雛乃様にお任せあれ」
優雅にお辞儀するアホが1人。
「お前のものは買うなよ」
「りょーかーい!」
絶対に分かってない。
「買い物が終わったら電話で呼ぶから、荷物持ちよろしくー」
「お前の荷物は持たないからな」
「承知!」
返事だけは良かった。
不安でしかない。
◇
雛乃たちと別れたあと、俺は寝具売り場へ向かった。
来客用の布団は一組あるが、いつまで使うことになるかも分からない。
少なくとも、薄い布団で身体を痛める必要はないだろう。
寝具を一式選び、配送の手続きを済ませる。
その後、同じ建物に入っている家電量販店へ足を運んだ。
目当ての物を購入した頃、雛乃から連絡が入る。
『終わったよー。荷物いっぱいだから早く来てー』
買い物を始めてから、それほど時間は経っていない。
一体どうすれば、そんなに荷物が増えるのだろう。
指定された場所へ向かうと、ベンチの周りに大量の紙袋が並んでいた。
「買いすぎじゃないか?」
「女の子には必要なものが多いの!」
「すみません……こんなにたくさん……」
栞ちゃんが申し訳なさそうに頭を下げる。
衣服や靴、化粧品などを見れば、必要な物ばかりなのだろう。
そこに文句を言うつもりはない。
ただし――
「なぁ雛乃」
「なにお兄ぃちゃん?」
「この袋はなんだ?」
「えーヒナ、わかんなーい♡」
「中身を見せろ」
「お兄ぃちゃんのえっち、乙女の秘密です♡」
「食料品売り場の袋だろ」
「…………」
栞ちゃんが後ろで、どうしていいか分からない様子でおろおろしている。
袋を開くと、そこには――
菓子。
菓子。
菓子。
ジュース。
そして、また菓子。
「お前、どんだけ入れたの?」
「おにぃ、細かいことを気にするとハゲるよー?」
「レシートよこせ」
「私には、譲れないものがあるんだー!」
「早くしろ」
「はい、すみません」
諦めるのが早い。
どこに行ったんだ、その譲れないもんとやらは?
確認すると、会計の3分の1近くが雛乃の菓子だった。
「返してこい」
「やだよ! もう会計済みだよ? ヒナが触ったからプレミア付いちゃうよ?」
「付かねぇよ」
「おにぃ、可愛い妹にお菓子も買ってくれないの?」
「栞ちゃんならともかく、可愛い妹が今この場のどこにいる」
栞ちゃんが後ろで、びくりと身体を強張らせる。
「ここ! 目の前! ほれ! ちゃんと見て!」
「栞ちゃん、知らない人が騒いでるから行こうか」
荷物を手に、雛乃を置き去りにする。
「待って! 置いていかないで!」
両手いっぱいに荷物を抱えながら、雛乃も追いかけてくる。
少し前まで困惑していた栞ちゃんの顔は、なぜか少しだけ赤くなっていた。
◇
駐車場へ戻ったところで、俺は家電量販店の紙袋を栞ちゃんへ差し出した。
「ほら、これ」
「えっ?」
「遅くなったけど、合格祝いってことで」
「合格祝い……?」
栞ちゃんが戸惑いながら、袋の中を確認する。
そこに入っている箱を目にした瞬間、その表情が固まった。
「これ……スマートフォン……?」
「昨日、置いてきたんだろ?」
「でも、こんな高いもの、受け取れません」
予想どおりの反応だった。
「必要なものだし、連絡手段がないと困るからな」
「それでも……」
「それに、言っただろ。合格祝いだって」
「でも私……」
箱を抱えたまま、栞ちゃんが俯く。
「私は、何もできませんでした。お母さんのことも、お金のことも……家族のことも……」
「結果はどうであれ、栞ちゃんが今まで頑張ったことは評価されるべきだと、俺は思う」
「…………」
「栞ちゃんが頑張ってたのは、7年前から知ってる。だから、受け取ってくれると俺は嬉しい」
本当なら、7年前に言うべきだった。
試験の結果を聞いて。
よく頑張ったなと、直接伝えるべきだった。
それが、随分と遅くなってしまっただけだ。
「でも……」
栞ちゃんはまだ迷っている。
当然だろう。
昨日再会したばかりの男に、ここまで世話を焼かれれば、不安にもなる。
「相澤さんは……私の話が、嘘だとは思わないんですか?」
「嘘でもいいよ」
正直、嘘だなんて微塵も感じていない。
「えっ……?」
「騙されてたとしたら悲しいけど、減るのはせいぜい金だけだ」
「…………」
「もちろん、お金が重要じゃないとは言わない。栞ちゃんが貯めたお金に、どれだけの時間や想いが詰まってたかも聞いたからな」
467万円。
ただの数字ではない。
栞ちゃんが犠牲にしてきた時間と、母親と2人で暮らしたいという願い。
そのすべてが詰まった、大切なものだった。
「でも少なくとも、今の栞ちゃんよりは重要じゃない」
「…………」
「逆に、話が全部本当なのに、疑って放り出してしまったら――俺は多分、一生後悔すると思う」
栞ちゃんが、腕の中の箱を強く抱き締める。
「だから、困ったときは誰かに頼っていいんだからな」
栞ちゃんは俯きながら身体を震わせる。
「……返せるものが、何もありません」
「なら、たまに飯でも作ってくれたら嬉しい」
「ご飯……?」
「そ、雛乃が作ると、謎の物体が生成されるからな。キッチン散らかるし」
「失礼な! ちゃんと食べられるし!」
「お前に任せるくらいなら、カップ麺のほうが数倍うまい」
「そんなに!?」
「いや、やっぱ違うわ」
「でしょ!?」
「0を何倍にしても0だったわ」
「もっと酷かった‼︎」
雛乃が頬を膨らませる。
マイナスになっていないだけ、まだマシな方だ。
そんな妹を無視して、栞ちゃんへ向き直った。
「それで十分だよ」
「…………」
しばらくスマートフォンの箱を見つめたあと、栞ちゃんが小さく頷く。
「ありがとうございます……大切にします」
「ああ」
ようやく受け取ってもらえたことに安堵する。
そこで、ずっと言おうと思っていたことが口から漏れた。
「今度は、その……急にいなくならないようにしたいしな?」
「えっ?」
「あー……連絡先。入れといたから、今度は黙っていなくならないよ」
「…………はい」
栞ちゃんの頬が、微かに赤く染まる。
俺も、少し言い方を間違えた気がした。
少し湿っぽくなった空気を吹き飛ばすがごとく、嵐が乱入する。
「おにぃ! 私も新しいスマホ欲しいー」
「知らん。自分で買え」
「扱いに差がありすぎない!?」
「日頃の行いだろ」
「栞ちゃん! これが、おにぃはただのお人好しなわけじゃないって証拠だからね!」
こそこそと雛乃が話しかける。
「どういうことでしょうか?」
首を傾げる栞ちゃん。
「おにぃはちゃんとケチなとこはケチだから!」
「いちいち変なことを吹き込むな」
口を開けば余計なことをべらべらと話す雛乃。
ガムテープでも買ってくるべきだったか?
「もう、仕方ないなぁ。スマホカバーで我慢してあげる」
「なんで何か買ってもらえる前提なんだよ」
雛乃は悪びれる様子もなく、スマートフォン用品の売り場へ戻ろうとする。
「ああ、でもそうか。カバー買ってなかったな」
「ほれぇー、私に感謝しろよ? すけこまし」
俺に対する失礼な発言は、ひとまず置いておくとして。
好きなものを選んでもらったほうがいいし、ちょうどいい。
そうして3人で、再びスマートフォン用品売り場へ向かった。
◇
買い物袋でいっぱいになった荷室を閉め、運転席へ乗り込む。
雛乃と栞ちゃんは、帰りも当然のように後部座席へ座った。
「おにぃー、音楽はー?」
「行きにも言っただろ。レンタカーだから何も入ってねぇよ」
「えー」
「スマホを繋げばいいだろ」
「栞ちゃん、流してー」
「えっと……まだ設定が終わってなくて……」
「それじゃあ、仕方ないなー」
バックミラー越しに、雛乃が不敵な笑みを浮かべる。
嫌な予感しかしない。
「栞ちゃん、はい。これマラカス!」
「どこで買ったんだよ」
「さっき」
「必要なものだけ買えって言ったよな?」
なんか運んでる時にシャカシャカ鳴ってたのはこれかよ。
「これから必要になるかもしれないじゃん」
「ねぇよ、どんな生活をするつもりだ」
俺の言葉など聞かず、雛乃はもう1本のマラカスを高く掲げた。
「それでは聴いてください!」
「聴かねぇよ」
「いぇーい! めっちゃ休日ー!」
しゃかしゃかしゃかしゃか。
「ほら、栞ちゃんも!」
「えっ、私もですか?」
「へい、リズムに乗って!」
「い、いぇーい……?」
しゃかしゃか。
最初は遠慮がちだった音が、少しずつ大きくなっていく。
「いいよ栞ちゃん! もっと魂を込めて!」
「い、いぇーい!」
しゃかしゃかしゃかしゃか。
「うぇーい!ノッてきたねー!」
しゃかしゃかしゃかしゃか。
うるさい。
非常にうるさい。
バックミラーへ目を向ける。
雛乃はいつもどおり、馬鹿みたいに騒いでいる。
その隣では、栞ちゃんが一生懸命マラカスを振りながら、雛乃についていこうとしていた。
昨日。
冷たい夜道で見つけたときには、今にも消えてしまいそうな顔をしていた女の子。
その彼女が今は、くだらない歌に合わせて、楽しそうに笑っている。
「おにぃも歌っていいよ!」
「死んでも嫌だ」
「ノリ悪っ!」
「相澤さんも、一緒にどうですか?」
そう言って控えめに笑う栞ちゃん。
「…………」
栞ちゃんまで、そんなことを言うようになったか。
俺は小さく息を吐き、前方へ視線を戻した。
どうやら我が家は、今までよりも随分とうるさくなりそうだ。
まぁ――
静かすぎるよりは、いいのかもしれない。
「ほら、おにぃ! 次、サビだから!」
「知らねぇよ」
背後から響く歌声と、マラカスの音。
それを聞きながら、俺はもう1度、深いため息を吐いた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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