38.異動
新年を迎えてから二日が経った。
あれほど賑やかだった年越しの熱気も少しずつ落ち着き、年始の休みも明けてロッサの街にはいつもの日常が戻りつつある。
……とはいえ、昨日までが本当に休みだったのかと言われると、少し疑問が残る。
その理由は、年が明けて早々に始まった、あの出来事にある。
年明けを皆で迎え、感動していたのも束の間。新年最初の試練、買い出し戦争が始まった。
「ほらリズ、急ぐわよ!出遅れたら欲しいものがなくなるわ!」
「え、今からですか!?」
広場で年明けを迎えていた人々は、花火が終わるや否や、それぞれの目的地へ向かって動き始めた。
食材を買い求める人、生活用品を補充する人、新しい一年を迎えるための品を揃える人。出店では、需要に対して供給が追い付かず、商品が並べられるそばから次々と手に取られていく。
獲物に群がるその様子は、昔テレビで見た、バーゲンセールに出向く歴戦の猛者たちを彷彿とさせた。
「何を呆けてるの。欲しいものがあるなら自分で取りに行きなさい」
買い物とは、こんなに命懸けでやるものだっただろうか。少なくとも、私はこんな光景を過去に見たことがない。
日本の初売りだって、人が多くて大変だった記憶はある。
けれど、あちらが欲しいものを手に入れるための戦いだとするなら、これは違う。生きるために必要なものを確保するための、本当の戦いだ。
だからだろうか。人々の目つきが、明らかに違って見えた。
かといって、一度手にした商品を他人が奪い取る、などの蛮行は誰も行わない。皆がスポーツマンシップに則り、正々堂々と争奪戦をしている。
かといって、一度手にした商品を他人が奪い取る、などの蛮行は誰も行わない。暗黙の了解でもあるかのように、皆が正々堂々と、決められた範囲で争奪戦をしている。
いや、正確には争奪戦という表現も少し違うのかもしれない。
誰もが自分の必要なものを求め、誰もが今年一年を無事に過ごすために動いている。そこにあるのは欲望ではなく、生活への真剣さだった。
キアナは年明けの挨拶を済ませると早々に別れ、ハノンちゃんも人混みは危ないからと先に帰宅している。
つまり、今この戦場に立つ戦力はカレンさんと私の二人だけ。
私たちも出遅れまいと、各々が求めるもののために、戦いへと繰り出した。
人混みという荒波に飲まれ、もみくちゃにされながらも、食料や生活必需品、果ては縁起物まで。必要なものを次々と確保していく。
買い物が終わった頃には、私たちは疲労困憊。まだ仕事始めの日ではないというのに、すでに一年分の体力を使ったような気がする。
「……なるほど。休みがもう一日ある理由が分かった気がしました」
どうやらこの街では、新年の休みは体を休めるために消費されるものらしい。
二日目は体を休ませつつ、各々がやりたいことをやって過ごした。
そして今日、三日目。
休みも終わり、仕事開始というわけだ。
今日からは新しい職場での仕事が始まる。
仕事内容も、関わる人たちも変わるので、正直、不安がないと言えば嘘になる。
だが、半年前、何も分からないままこの世界で目を覚ました時のことを思えば、今こうして新しい一歩を踏み出せること自体が奇跡なのだ。
「……よし」
私は頬をぺちぺちと叩いて気合いを入れ、ギルドへと向かった。
「おはようございまーす!」
「お、来たねぇ。おはようリズ」
私がまずやってきたのは今までの職場である製粉部。
今日から新しい部署での仕事が始まるとはいえ、いきなり一人で向かうわけではない。シャルさんが次の部署まで案内してくれることになっているのだ。
「今はいつもより元気がいいねぇ。気合い十分じゃない?」
「はい。新年初出勤ですし……今日から別部署ですから。気合いくらい入れておかないとって思いまして」
正直、今の段階で多少緊張している。
ここに来た当初は、私の事情もあってか、避けられていることは何となく察していた。
あれから少しずつ関係は変わっていった。製薬部の人と話すことができて以来、今では以前のような距離を感じることもほとんどない。
それでも、新しい場所へ行くとなれば、不安が消えるわけではなかった。
「大丈夫だよ」
私の不安を察してか、シャルさんはその一言だけを私にかけた。
彼女の微笑みを見て、不思議と肩の力が抜けていくのを感じた。
「それじゃあ、行こうか」
今日で、この場所を離れる。そう考えると、胸の奥に少しだけ寂しさが込み上げてきた。
右も左も分からなかった私を受け入れてくれたこの場所へ、自然と頭を下げていた。
製粉部を出て、私はシャルさんの後ろを歩く。
いつも通っているはずの通路が、今日だけは、少し長く感じた。
シャルさんに連れられてやってきたのは、以前一度だけ訪れたことのある調薬部。
ノックをすると、中にいた職員が顔を出した。扉の向こうからは、薬草を煮詰める独特の香りが漂っていた。
「お疲れ様ぁ。カイルを呼んでもらえるかな?」
「カイルさんなら、たぶん奥で作業してると思います。ちょっと待っててください」
職員の人がそう言うと、カイルという人を呼びに行き、少しして一人の男性が姿を現した。
「ごめんごめん、お待たせ」
やってきたのは物腰の柔らかい中年の男性。
背は高いのだろう。けれど、少し猫背気味な姿勢のせいか、実際の身長ほど威圧感は感じない。
「リズを連れてきたよ」
「あぁ、そういえば年明けからこっちでっていう話だったね。よろしく、リズ」
カイルさんは私に向けて手を差し出し、握手を求める。
歓迎してくれている。そう感じた私は少し嬉しく感じつつ、彼の握手に応えた。
「それじゃあ、私は戻るから後はよろしくねぇ」
「あ……シャルさん、その。今までお世話になりました。ありがとうございました」
ここでシャルさんとはお別れだ。
医療ギルドに入職して初めて、仕事を教わった先輩。薬草の扱い方から仕事への向き合い方まで、一つずつ教えてくれた。
ここで働く意義や、患者さんと向き合う時の心構え。彼女から教わったことは、数え切れないほど多い。
「なーにかしこまっちゃってるのさ。今生の別れじゃないんだから。でも、困ったことがあったらいつでもおいでね」
そう言って、シャルさんはいつものように軽い足取りでその場を去っていった。
私はその背中が見えなくなるまで、深く頭を下げる。
「それじゃあ、中に入って仕事を始めようか」
シャルさんの姿が見えなくなったところで、カイルさんは私に中に入るよう促した。
新しい仕事が始まる。いったいどんなことが私を待ち受けているのだろう。
不安はあれど、今は期待のほうが勝っている。
知らないことを知ることができる。できなかったことができるようになる。学べることがたくさんあるというのに、楽しまなくては損というものだ。
「はい、今日からよろしくお願いします!」
私は期待に胸を膨らませ、新たな仕事場へと一歩を踏み出した。
お読みいただきありがとうございます!
いよいよ第二章に突入しました!
これからの物語も楽しんでいただけたら嬉しいです。
また、次回の更新より、毎週火曜日・金曜日の週2回更新とさせていただきます。
今後も無理なく執筆を続けていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
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