32.あの日を語る
さて、あの日の話をしよう。あーしとリズがまだ十二歳の時のことだ。
リズのお父さんは狩猟を生業にしていた。獲物が多く獲れたときはあーしの家にもおすそ分けをしてくれて、とても美味しかったのを覚えている。
夏の日差しが肌を刺すあの日、あーしたちは、外で遊んでいた。やんちゃなあーしが、木登りをしてリズに危ないと止められたり、木陰に座って他愛のない話をしたり。
いつも通りの日常のはずだった。リズの父親と一緒に集落の外へと狩りに出かけたはずの大人がこちらに駆け寄ってくるのを見るまでは。
あの形相は今でも忘れられない。とても慌てていて、それでいてすごく悲しそうな表情。
「リズ!お父さんが……お父さんが魔獣に襲われて……」
話を聞いたリズは、血相を変えて家へと走り出した。あーしも心配で追いかけたが、あの時のリズにはとてもじゃないが追いつけなかった。
あーしたちが家について中に入った時に見たのは、顔を伏せている父親の仕事仲間と、父親の傍でくずおれているリズの母親。
あーしはそこで何となく察してしまった。ああ、間に合わなかったのだと。
リズは近くに寄って、お父さんの手をずっと握っていた。『まだ温かいから大丈夫』と、何度も何度もそう言っていた。
本来なら友人として彼女を励まし支えてあげるべきだったのだろう。
だが、あーしはまだ子どもで、涙を流すリズにどう接したらいいのか分からず、ただその場に立ち尽くすしかなかった。
その日以降、リズは塞ぎこんで家から出て来なくなった。あーしが心配して何度も彼女のもとを訪ねたが、リズから帰ってくる言葉は『大丈夫だから』とその一言だけで、あーしは何もできずにその場を離れることしかできなかった。
今のあーしならきっと、もっと上手く立ち回れるだろう。何も言わずにただ彼女の傍に寄り添って、泣きたいときには抱きしめて。リズの悲しみを少しでも軽くさせることはできたかもしれない。
そう考えると、友人一人救えなかったあの頃の無力なあーしに対して歯がゆさを覚えてしまう。
季節は流れ、青々としていた山は赤や黄色に色づき始めていた頃。
医療ギルドの定期巡回の日がやってきた。
あーしたちの故郷は小さい集落だったので、医療ギルドの支部なんて大層なものはなかった。その代わりとして、街から派遣された医療ギルドの魔女や職員がこうやって集落へと足を運び、皆を診療してくれる。
診療を行っていた集会場に私も足を運んだが、やはりと言うべきか、そこにリズの姿はなかった。
病気や怪我など、様々な理由で自身の足で来られない人たちには、魔女が家々を回っていた。
彼女ならリズを救ってくれるかもしれない。いてもいられなくなったあーしは、魔女にリズがここに来ていない事情を相談し、共にリズの家へと足を運んだ。
心の傷は時間が解決してくれるとはよく聞くが、リズの場合は逆で、日が経つにつれて状況は悪化しているように思えた。
扉を開けると、部屋の隅で膝を抱えたリズがいた。頬は少し痩せこけ、ぼんやりと窓の外を眺めている。
あーしがリズを呼んでも、返事はない。
魔女はそんなリズを見ると、ゆっくりと隣へ腰を下ろした。
「こんにちは、リズさん。」
その声は、とても優しかった。
しかし、リズは彼女の姿を一瞥した後、再び視線を逸らすのみだった。
この人でも、閉ざしてしまったリズの心には届かないのだろうか。藁にもすがる思いで頼ってみたのはいいものの、あーしの不安は募るばかりだった。
「お友達から話は聞きました。とても辛かったですよね」
辛かった、という言葉にリズはぴくりと反応を示した。
「無理に話さなくても大丈夫です。私はただ、リズさんが体を悪くしていないか心配でここに来ただけです」
「……何が、心配してるよ」
リズの方がふるふると震えているのが見て取れた。
「あの時からそうだった。大人はみんな心配してるって、何かあったら頼ってねって言うだけで何もしてくれないじゃない!ずっと私のことを腫れ物みたいに扱って!本当に助けてほしかったときには誰も助けてくれなかったくせに!」
リズは堰を切ったように言葉を吐き出した。あれほど静かだった部屋に、押し殺していた感情が響き渡る。
それでも魔女は驚いた様子も見せず、リズの言葉を最後まで静かに聞いていた。
否定も、慰めも、遮ることもしない。ただ、目の前で泣き叫ぶ少女をまっすぐ見つめていた。
「心配だとか、元気になってねだとかそんな言葉は要らないのよ……返してよ。そんなこと言うくらいだったらお父さんを返してよ!会わせてよ!」
リズの声は震え、とうとう堪えきれなくなったようにその場へうずくまった。大粒の涙が次々と床へ落ちていく。
リズの嗚咽だけが部屋に響いていた。
魔女の人は静かにリズの隣へ膝をついた。
「……会いたいですよね」
「……あんたに。あんたに私の何が分かるっていうのよ!勝手に同情しようとしないで!」
リズの叫びを受けても、魔女の人は表情を変えなかった。少しだけ目を伏せると、小さく息を吐く。
「そうですね。私にはあなたの本当の悲しみを理解することなんてできません。お父さんを失った心の痛みは、リズさんだけのものですから」
そう言って、魔女はリズとの距離を詰めることもせず、静かに微笑んだ。
「だから私は、分かったつもりにはなりません。けれど、あなた一人で抱え込まなくてもいいように、隣にいることはできます。今ここにいるあなたのお友達のようにね」
魔女の人の視線が、そっとあーしへ向けられた。
「……キアナ?」
リズの視線もまた、あーしへと向けられた。泣き腫らした赤い目は力なく揺れ、今にも折れてしまいそうなほど弱々しかった。
「……そうっすよ。あーしはリズの傍に居たくてここに来てるんすよ。あーしは魔法も使えないし、お父さんを助けることもできなかった。でも、一人で泣かせたくはないっす」
心配してる。助けたい。リズのため。リズが今最も嫌っている言葉。確かに、あーしにもその気持ちがないとは言えない。
けれど、そんな綺麗事よりも、あーしはリズの傍に居たかった。
あーしの言葉を聞いたリズは、すぐには何も返さなかった。ただ、膝を抱える腕に入っていた力が、ほんの少しだけ緩んだように見えた。
魔女はその変化を見逃さなかったのだろう。静かに、けれど優しく言葉を続ける。
「いいですか、リズさん。悲しみを消すことは、誰にもできません。魔女である私にも、です。それはごめんなさい。だけどね、あなた一人で背負い込まなくても良いようにはできます」
リズは何も答えなかった。
ただ、俯いていた顔をほんの少しだけ上げ、魔女を見つめ返す。その瞳にはまだ深い悲しみが宿っていた。
それでも、その奥には、ほんのわずかに迷いとは違う色が灯り始めていた。
「私たち魔女が行う医療というのは、傷や病気を治すだけじゃありません。悲しみに寄り添うことも、私たちの大切な仕事なんです。あの日、私がこの場にもし居合わせていたら、なんて綺麗事を言う気もありません。私にも、どうにもできないことはあります」
あーしは黙ってその言葉を聞いていた。
何もできないと口にしながら、それでもリズから目を逸らさない魔女が、不思議ととても頼もしく見えた。
「だからこそ、私は今、生きている人を助けるためにここにいます。他の誰でもない、あなたのために。あなたがまた笑顔でいられるようにするためにここにいます」
開け放たれた窓から秋風が吹き込み、重苦しかった部屋の空気をゆっくりと揺らした。
「……ひとつ、聞いてもいい?」
魔女の人は頷くだけで何も急かさなかった。リズは何度か言葉を飲み込み、震える唇をゆっくりと開く。
「もし、私が魔女になれば……お父さんみたいに死んじゃう人はいなくなると思う?私みたいな思いをする人はいなくなると思う?」
魔女の人は、すぐには答えなかった。リズの瞳をまっすぐ見つめ、小さく首を横に振る。
「……いいえ」
その一言に、部屋の空気が少しだけ張り詰めた。
「魔女になったとしても、救えない命はあります。私自身、これまでに目の前で命を見送ってきました」
魔女の返答に、リズは再び俯いた。
でも、と魔女は優しく微笑んだ。
「救える命だってあります。これから先、魔女になったあなたの手で救われる誰かがいるかもしれません。その人には、大切な家族がいて、友達がいて。恋人がいて。あなたが命を繋いだことで、悲しまずに済む人もきっといるでしょう」
あーしもリズも、その言葉を黙って聞いていた。
魔女の人は一度だけ窓の外へ視線を向けた。
穏やかな横顔だった。
けれど、その瞳の奥には、数え切れない命と向き合い、数え切れない別れを見送ってきた者だけが宿す静かな覚悟があった。その姿を見ていると、さっきの言葉が綺麗事ではないことは、子どものあーしにだって分かった。
「世界中の悲しみをなくすことはできません。でも、一人の悲しみを減らすことはできます。その積み重ねが、誰かの未来を変えるんです。そのために、私は魔女であり続けるんです」
あーしは黙ってリズの横顔を見つめた。泣き腫らした目は赤いままだった。
それでも、さっきまで絶望しか映していなかったその瞳に、小さな光が宿ったような気がした。
「……私も魔女になる」
涙が今にも零れ落ちそうな目を拭い、リズはまっすぐ顔を上げた。
「私も魔女になる。色んな人を助けて、私みたいな思いをする人を一人でも減らしたい」
その時のリズの瞳には、さっきまでの絶望はもうなかった。
父親を失った悲しみが消えたわけじゃない。それでも、その悲しみを抱えたまま前へ進むことを、リズは選んだ。
「その気持ちがあれば、あなたは素晴らしい魔女になれますよ」
魔女は穏やかに微笑み、小さく頷いた。
「キアナも、たくさん心配かけてごめんなさい。でも、もう大丈夫だから」
大丈夫。今まで何度も聴いてきた言葉だった。
だが、その笑顔を見た瞬間、あーしはようやく肩の力が抜けた。
ああ、本当に大丈夫なんだ。初めてそう思えた。
リズの過去編を二話に渡って書いてきましたが、いかがだったでしょうか?
このお話は、これから先の展開にも関わってくる大切な部分になります。
彼女とキアナが歩んできた時間を、少しでも覚えていていただけたら幸いです。
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