12.私は私
「んお……」
およそ年頃の女の子が他人に聞かせたくないであろうアホの子丸出しの声と共に、私は目を覚ます。
「知らない天井だ……」
意識を失っていた人が第一声で発したいテンプレのセリフナンバーワン(茅野珠璃調べ)。
体を起こそうとするが、ずっと寝ていて体を動かしていなかったせいか、体中が凝り固まっており、ギチギチと関節が鳴っては多少の痛みが伴ってくる。
よいしょよいしょと、時間をかけて体の凝りを解し、ようやく体を起こし切ることに成功する。一仕事をしたとばかりにふう、と息を吐いたところでなんでこうなったんだっけ、と思考を巡らせた。
「そうだ、私……」
これまでの経緯を思い出すのに、そう時間はかからなかった。
あれからどれほどの時間が経っていたのだろう、時間の経過がいまいちわからない。スマホやパソコンなどの文明の力に頼り切っていた現代っ子の弊害である。窓越しに空を見てみると、お天道様は空高く登っており、お昼あたりだろうということは何となくわかる。
寝落ちから目覚めてみれば、どこかもわからない森に放置されて、ハノンちゃんとカレンさんに保護してもらったのは良かったが、二人に連れられていざ街に到着したと思ったら、私が別人になってることが判明したり毒のせいで血を吐いて気を失ったり。
信じがたいが、これらは全て現実として起きているわけであって。まったく、我ながら波乱万丈がすぎる。
倒れた時、私がまた起きたら病院のベッドで私は目覚めて、いつも通りに母が持ってくる小説や、高校の友人のお見舞いを楽しみに待つ生活に戻るのでは、なんて期待がなかったわけでもない。
しかし、それは叶わなかった。これは現実なのではと、薄々ではあるが勘付いていた。
森の木の香りや旅の疲れ、その他五感で感じる物事の多数。全てがあまりにもリアルすぎて、夢だと思い続けるには無理があるのでは、とも思ってさえいたのだ。
疑念を確信に変えたのは、毒による激痛だ。あの痛みは、現実以外にありえないものだった。これらの点を踏まえて、改めて、私は別世界に迷い込んでしまったのだと、受け入れる。
ここで想うのは、前の世界に一人残された母のこと。
親一人子一人で、私を育てるために懸命に働いてきた母。癌を宣告された私の世話をするために、毎日病室まで笑顔でお見舞いに来ていた母。
ここにいるということは、あの世界の私は息を引き取ってしまったのだろう。別れは突然にやってくるとは頭の中で理解はしていたが、あまりにも突然すぎた。
また明日来るからね。それが母と最後に交わした会話だった。その前だって、他愛のない話ばかりして、母に感謝の言葉の一つもかけていなかった。
母は大丈夫だろうか。泣いているだろうな。ものすごく落ち込んでいるだろうな。何のお返しもできずに先立ってしまった親不孝な娘でごめんなさい、と私は母に深くお詫びをする。
この世界ではあの時の私よりもずっと長く元気に生きるからと、強く誓う。
いつの間にか頬を伝い落ちそうになっていた涙を袖で拭い、これからのことを考える。
前の世界では『小説の主人公みたいにもし転生できたのなら』などと夢想をしていたが、こうもあっさりできるものだとは。少しばかり拍子抜けである。
ただ、彼らとの違いは『何もすることがない』である。転生してすぐに彼らは能力を開花させて頭角を表し、世界を救うべく旅をする。なんていうのが王道だと思うが、今の私には何の能力もなければ、負傷中の身であり、できることが大幅に制限されている。
要するに暇なのだ。
「困った……」
暇を潰そうにも、そもそもここはどこなのかさえ知らなかったと気付き、私は部屋の周りを見渡す。おそらくは、私が気を失うまで、フェルノさんと話をした部屋だろう。家具の配置や、机の上にある山積みになった本に見覚えがある。
ここが医療ギルドの中であれば、巡回で誰かしらが容体を確認しにくるだろう。それまでの時間潰しと考えて、私はベッドから降りて机へと向かい、山積みになっていた本の一冊を手に取って、パラパラとページを捲る。
が、読むことは適わず。この世界の字が読めなかったのだ。
言葉の聞き取りができたのでもしやと思っていたが、そんなに甘くはないらしい。ファンタジー要素のある世界にやってきたのだ、ファンタジーらしいことをしたかったのだが。今度ハノンちゃんに会った時にでも、字を教えてもらう約束を取り付けよう。
せっかくやることを見つけた、と思ったのにとんだ罠があったものだ。私はとぼとぼとベッドに戻り座り込む。いっそのこと、こちらから部屋を出て意識が戻ったことを伝えに行こうかとも思いはしたが、それはまずいと首を横に振る。
ここに来た時の周囲の騒ぎようを思い出せば、私がフラフラと部屋の外に出てしまえば、また同じ状況になりかねない。
『状況』という単語に、私は気付いたことがある。
私は現在ジュリと名乗っているが、カレンさんやハノンちゃんを除き、他の人たちは私のことをリズと呼んでいた。ここで浮かび上がる問題は、これから先、どちらの名前を名乗っていくべきか、ということ。
『実は異世界から転生してきました!なのでジュリと呼んでください!』なんて言っても、何を言っているんだと頭のおかしい子扱いをされるだけだろう。それだけは避けたい。
心はジュリでも、この体はリズさん、らしい。未だに、俄かには信じがたいことではある。
穏便にこの世界で生きていくのであれば、リズと名乗るのも良いかもしれない。そうすれば『リズは実は生きていて、記憶が消えてしまっただけ』とかなんとか、きつめではあるが言い訳はできる。
だが、尊敬する母に与えられた珠璃という名前を捨ててしまうのは心が痛む。
さてどうしたものか、と思案していると、コンコンとノックの音が聞こえ、ドアがゆっくりと開いた。
「良かった、目が覚めたのね」
白衣に身を包んだ黒のボブカットの髪型をした女性。フェルノさんが部屋に入ってくる。
「調子はどうかしら、どこか痛むところとかはない?あ、毒は薬で解毒できているはずだけど、なにか違和感があればいつでも言って」
「いえ、今のところは全く。ところで、今は何時なのか聞いてもいいですか?」
「時間?ええ、いいけど。今は午後二時、十四時よ。一日が二十四時間だから、あなたが気を失ってからだいたい三日が過ぎたくらいね」
「三日……?え、私三日も起きなかったんですか!?」
記憶が正しければ、ここに着いたときも太陽は今と同じくらいのところにあった。どれだけ過ぎていても一日か二日だろうとは思っていただけに驚きである。
「体の疲労や毒の影響もあったんでしょうね。それに、その。精神的にもきついところがあったでしょうし、回復まで時間がかかるのも仕方ないわよ」
と、そこまで話して、フェルノさんはそうだ、と何かを思い出したようなそぶりを見せた後、頭を下げた。
「ちょ、ちょっとどうしたんですかフェルノさん!?頭を上げてください!」
「いえ、私はあなたに謝らなければいけないことがあるから」
そういうと、リズさんはゆっくりと頭を上げて話し始めた。
「あなたのその体、リズが亡くなった後、彼女の傷を治療して塞いだのは私だった。その時に、魔獣から受けた毒を解毒することを失念してたの」
解毒を忘れていた。正直それに関しては仕方がないのではないかと私は思っている。なにせ、すでに死んでしまっているのだ。それを今さら解毒したところで何の意味もない。
そこにどういうわけか、私がリズさんの体を借りて生き返ってしまった。そんなことは誰も想像できるわけもない。不可抗力である。
どうフォローしようかと思案しているうちに、それと、とフェルノさんは話を続ける。
「気を失う前に、脈を測らせてってお願いしたでしょ?あれは、もう一つ確認することがあったからなの」
「ああ、二つ確認したいって言ってたのに、もう大丈夫だからって済ませたあれですか」
そう、とフェルノさんは肯定し深くうなづく。
「あなたの左腕に深い傷痕があるのは分かるかしら」
私は左腕の袖を大きく捲る。すると、何かに抉られたような傷痕が大きく腕に広がっている。以前もこの傷を見た記憶がある。
「はい、傷ってこれのことですよね?」
「そう、その傷を塞いだのも私だった。だから、あなたがリズだっていうことに確信を得たのは、脈を測ったあの時にその傷を見た時だったの」
そこまでの話を踏まえて、私も少しずつ話が見えてきた。
「えと、つまり、二つ目の確認っていうのは、傷跡の有無で、私がリズさんだっていう確認がしたかったっていうことですか」
「ええ、そうよ。黙っててごめんなさい。色々と迷惑をかけてしまったわ」
そう言ってフェルノさんは、また深く頭を下げる。
「頭を上げてください、そういうの苦手なんですってば!それに、迷惑をかけられたなんて思ったことないですよ」
私は慌ててベッドから降りて、頭を下げたフェルノさんの体を無理やり起こす。
「ありがとう。ジュリさんは優しいのね」
罪悪感がまだ拭いきれないのか、申し訳なさそうに礼を言うフェルノさん。こちらとしては本当に気にしたことなどないのだが、こればかりは本人のプライドみたいなものなのだろう。謝辞は素直に受け止めて、それならばと私はフェルノさんに相談を持ちかける。
「だったらフェルノさん、もし良かったら二つほど相談に乗ってくれませんか?」
「ええ、いいわよ。私で良ければいくらでも」
私の言葉を聞いて、フェルノさんはもちろんと頷いた。
「ありがとうございます。それでなんですが……」
私は先ほどまで考えていた『私の呼称問題』について、フェルノさんに相談を持ちかける。
「それで、今私が名乗ってる『ジュリ』だと完全に別人っていう風に皆さんに周知できるっていうメリットもあるなって考えてはいたんですが、どうでしょう」
「なるほどね……」
異世界のことや、それに付随する私の本名のことについては話を伏せつつ、全てを話したあと、フェルノさんは顔に手を当て考える素振りを見せる。
そうして少しばかりの時間を思考に充てた後、フェルノさんはこちらを見て話しはじめた。
「これはあくまで私個人の考えなんだけれど、私としてはこれからは『ジュリ』と名乗っておいたほうがいいと思う。理由についてはあなたの言っていたこともたしかにそうなのだけど、それ以上にリスクが大きいと思ってるの。ここに来るまでにあなたのことをたくさんの人が目撃してる。その中には私たちみたいにあなたのことを知ってる人だって大勢いたはずよ。その人たちがあなたを見た時、そしてこれからあなたが自らをリズと名乗った時、どう思うかしら。きっとこうよ『死人が蘇った』。こんなこと前代未聞だし、どんな目で見られるかわかったものじゃない」
それと、ここからが重要なのだけれど。ひとつ深呼吸をしてフェルノさんは私にとっての最大のリスクを告げた。
「中にはあなたのことを利用する人だって出てくるはず。例えば物騒な話だけど、どこぞの狂人や不死を望む者が秘密を暴きにあなたに危害を加えに来る、なんてこともあるでしょうね」
死者の蘇生。その方法が知るべきでない人に知れ渡ってしまえばどうなるのか。『危害を加える』とフェルノさんは言葉を濁して言ってくれていたが、実際は解剖や人体実験なんてものも含まれるだろう。もしそうなってしまえば、今度こそ私の人生は終わってしまう。
ただ、とフェルノさんは注釈を入れた。
「名前っていうのは大事なものだと思うから、私の意見は参考程度にして最終的にはあなたが選びたい方を選ぶべきだと私は思ってる。それにね、もし仮にあなたに危害を加えるような人が出てきても大丈夫。その時はカレンや私があなたを守ってみせるから。こう見えて私強いのよ?」
腕をまくり力こぶを見せるフェルノさん。きっと冗談を交ぜて私の気を和らげようとしてくれているのだろう。
最後は自分次第。自分がこれからどうしていきたいか、ということである。
これから決して短くは無い月日の中で、周知が進むまでは、以前のようにリズさんのことを知っている人たちから奇異の目で見られることだろう。
リズとして生きることを選べば、亡きリズさんの過去が尾を引いて私に付いてくる。ジュリとして生きれば、もしこの体のことがバレてしまえば、それまでの努力は水の泡になることだってあり得る。それに、さっきフェルノさんが言っていた通りリスクが大きいし多すぎる。
たくさんのデメリットが脳内で生まれていく中で、私は答えを導き出した。
「フェルノさん、ありがとうございます」
こうなってしまったのはフェルノさんでもリズさんでも、誰のせいでもない。ただ、こうやって今、私は今は亡きリズさんの体を借りているわけで。
「これからは、リズと名乗っていこうと思います」
それならば、そのリズさんが背負っていたものも、これから背負うべきものも。全て、私がこの身と心で背負っていきたい。それで私が消えるわけではない。私は私なのだから。当分は大変なことが続くかもしれないが、それも私がリズとして初めて背負うべき業なのだから、喜んで受け入れよう。
自信に満ち溢れた表情でフェルノさんに伝えると、彼女もまた柔らかい笑みで私を迎える。
「そっか。それじゃあ、改めてよろしくね、『リズ』」
よろしくお願いします、とお互いに握手をして、フェルノさんがこちらに質問を投げかける。
「それじゃあリズ、呼び方が決まったのはいいけど、もう一つの相談っていうのはなにかしら?」
もう少し、この名前で呼ばれることへの余韻に浸りたいところではあるが、もう一つの案件も急ぎのものである。仕方ないと、私は気持ちを切り替えてフェルトさんにお願いをするべく頭を下げる。
「私をここで働かせてください!」
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