2.「僕の居場所は残されていない」
初めての依頼は、3年前、まさに『bye』を立ち上げたころだ。
せっかく中途採用で介護タクシーの仕事にありつけたというのに、いの一番に挫折したのを皮切りに、その後も夏、秋、冬と、季節が変わるたびに新しい職場からの退職代行を依頼してきた。それこそ四季折々ごとに衣替えでもするかのように。
たしか現在は中古車販売店の窓口の業務に就いていたはず――。
私は姿勢を正し、マウスでメッセージをクリックした。
七種:「こんな夜明け前にすみません」
七種:「やっぱり今回の職場もブラックすぎて耐えられません。口で辞めたい意向を伝えようとしたのですが、同僚らによる同調圧力が強すぎて、言い出せません」
矢継ぎ早、連投が続く。
七種:「疲れました。昨日から一睡もしていない。どうかよろしくお願いします」
私はキーボードに指を置き、まずは定型文をタイピングしはじめた。どんな常連であろうと、高橋代表にそうしろと教わったのだ。
花房:「こんばんは。――退職代行『bye』はあなたに代わり、会社と退職の話を致します。弁護士が監修、労働組合と連携だから安心。即日退職可能です。たとえ認められなくても、2週間のうちに円満に退職させます。Googleの平均レビューも、顧客満足度★4.8と高水準。24時間相談可能。最短30分で決着させます」
花房:「正社員なら料金23,000円、パート・アルバイトなら19,000円。2回目以降の利用者にはリピート割まであります。23,000円がなんと18,500円になるお得なサービス。万が一退職できなかったら全額返金保証。退職後の必須書類のアフターフォローまで充実」
花房:「――3カ月前、ハローワークの紹介で行かれた窓口業務のお仕事は、やはり合わなかったですか?」
と、私は打ち込み、探りを入れてみる。
数秒後、七種から即レスが返ってきた。
こんな深夜3時すぎに連絡が来るということは、よほど深刻な状況にちがいない。
七種:「せっかく、『bye』のみなさんに励まされて入った中古車販売の仕事でしたが、とにかく社長と、役員である息子、その取り巻きが酷すぎて。僕だけでなく、一部の社員も虐げられ、現場は疲弊しています。誰もがバックれずにいます。申し訳ないんですが、僕は真っ先に脱落しそう。今回も代行をお願いしたくて」
花房:「なるほど。どうも日本はブラック企業が多すぎますね。そんな職業を紹介してしまった職安も悪い」
花房:「わかりました。現在午前3時16分。相手先の勤務時間になりましたら、さっそく電話致しましょう。それまでご自宅で待機してください。少なくとも先方がどう出ようと、今日は出勤せずともよろしい」
花房:「今はゆっくり休んでいてください」
しばらく間が空いた。熟考の末だったのだろう。
そのあと、七種から返信があった。
私はその文章を眼にするなり、思わず息を飲んだ。
七種:「情けないことに、『bye』のみなさんにはいつも迷惑ばかりかけています。カッコ悪すぎです。僕はもう疲れ果てた」
七種:「僕の居場所は残されていない」
まずい兆候だ。精神的に追い込まれているようだ。
私はすばやくキーボードを叩いた。
核心には触れず、まずは遠巻きに様子を見よう。
花房:「居場所って、アパート暮らしでしたよね? そこを引き払わなきゃならないってこと?」
そんなわけではあるまい。
以前の七種ならもどかしいほど亀レスだったのに、今夜にかぎって様子が変だ。まるでプロテニスの激しいラリーのようにレスが返ってくる。一瞬たりとも気が抜けない。
七種:「そうじゃないです。僕はもう20代も半ばになる年なのに、どんな仕事も定着できない。人間関係さえなじめないのがネックです。陰キャな性格に問題があるのでしょうけども……」
花房:「君は焦っている。たまたまブラックな職場に当たってしまった。不運が重なっただけだと思うよ」
七種:「自分はこの世界さえも、肌に合わないんじゃないかと、最近考えるようになりました。せっかく会社を紹介されてもバックれてばかり」
七種:「うんざりだ。いっそのこと、人間社会からも、この世からもバックれたい」
ますます危険すぎる。自死を考えているではないか。
七種はいささか神経が細すぎるのだろう。だからこそ繊細さを要求される業務に就けたら、利点に変わるだろうが、空きがなければ不本意な仕事で我慢するしかないのだ。こればかりは運の良し悪しだろう。そんなときのために、あらかじめ強みとなるスキルを身に着けておくべきなのだ。
39歳の説教臭い言い分になるのかもしれない。こんな私が言うのも説得力に欠けるが――。
人間は傷つくのを恐れず、積極的に他者と係わっていくしかない。あえて思考回路、価値観、趣味特技の異なる人と接することでアイデンティティを確立し、徐々に自己肯定感を上げていくのだ。
人間誰しもそんなに器用に成長しない。
時間はかかるが、遅かれ早かれストレス耐性は身についていく。神経を鈍化させるというべきか。
あるいは忘れっぽさも現代を生きるのに適している。この時代を泳ぎ切るには繊細すぎては生きづらさを感じるにちがいない。
いずれにせよ、バックれてばかりいては人として成長しないのだ。




