第十八章 「仕事をちょうだい」
その頃、セレナの工房は、悲鳴を上げていた。
技術公開のあと、注文の質が変わった。数は他所の工房に分散したが、そのぶん「うちでないと困る」仕事が集まるようになったのだ。
修理の資格制度が動き始め、各地から研修希望者が来た。貴族家からは特注が来るようになった。地方の工房からは技術指導の依頼が来た。
「セレナ、今月の予定な」
ハロルドが帳面を広げた。
「研修が三組。特注が五件。地方指導が二か所。あと、新型の保温箱の設計」
「わたくし、いつ寝るのですか」
「寝んでええとは言うてへんで」
「言っているのと同じです」
セレナは、机に突っ伏した。
問題は、はっきりしていた。人手はある。職人は十六人に増えた。だが、客と話せる人間が足りない。
ハロルドは仕入れと契約で手いっぱいで、店頭に立つ時間がない。セレナは作ることと教えることで手いっぱいだ。
注文を取りこぼしている、という自覚があった。
「接客のできる人を、雇いませんか」
「探しとる。おらんのや」
ハロルドは、頭をかいた。
「魔道具の知識があって、客の相手ができて、金勘定もできる。そんな人材、王都におらんて」
その日の午後、工房の扉が開いた。
◇
立っていたのは、濃い茶の髪の女だった。
深い赤のドレスではない。地味な灰色の外套を着て、髪をまとめている。だが、その顔は間違えようがなかった。
工房の中が、静まり返った。
「……デボラさん」
セレナは、前掛けで手を拭いながら立ち上がった。
「久しぶりね」
デボラは、工房の中を一度ぐるりと見回した。作業台。工具。半分組み上がった魔道具。煤と油の匂い。
「思ってたより狭いのね」
「はい。狭いです」
「もっと立派なところにいると思ってたわ。王城で表彰されるくらいだから」
「表彰されても、工房は広くなりません」
デボラが、少しだけ笑った。それから、真顔に戻った。
「セレナさん」
「はい」
「仕事をちょうだい」
工房が、また静かになった。
◇
セレナは、しばらく答えられなかった。
この人は、屋敷にいたころ、自分の夫の愛人だった。同じ屋敷に住み、廊下ですれ違うたびに棘のある言葉をかけてきた人だ。
その人が、今、目の前で仕事をくれと言っている。
「……失礼ですが」
セレナは、言葉を選んだ。
「なぜ、うちなのですか」
「他に行くところがないから」
デボラは、あっさり答えた。
「実家は潰れてる。手に職はない。貴族の愛人だった女を雇う店は、王都にはないの。あっても、まともな仕事じゃないわ」
「……」
「それに」
彼女は、少し間を置いた。
「あなたのところなら、身分を聞かないと思ったから」
セレナは、その言葉に反応した。
「どこでお聞きに」
「噂よ。鍛冶通りの工房は、前歴を聞かずに人を雇うって」
それはハロルドの方針だった。彼が最初に言ったことだ。昨日まで何だったかは商売に関係ない、明日から何ができるかが関係ある。
「デボラさん」
「なに」
「あなたは、明日から何ができますか」
デボラの眉が、わずかに上がった。
「……試すの?」
「はい」
「いいわ」
彼女は外套を脱いで、腕にかけた。
「私、人の顔を見れば、いくらまで出すかわかる。何を欲しがってるかもわかる。七年、貴族の相手をしてきたから」
デボラは、工房の棚を指した。
「あそこの保温箱、売れてないでしょう」
セレナは、驚いた。
「……なぜ、わかるのですか」
「埃をかぶってるから。それと、置き場所が悪いわ。扉から入って最初に目に入るのが工具の棚なの。あれじゃ何を売ってる店かわからない」
彼女は、一歩前に出た。
「それと、値札がない」
「必要でしょうか」
「あるとないとで全然違うわよ。値札がないと、聞かないといけないでしょう。聞くのが嫌で帰る客が、三人にひとりはいるわ」
セレナは、ハロルドを見た。彼は腕を組んで、じっとデボラを見ていた。
◇
「あんた、名前」
ハロルドが、初めて口を開いた。
「デボラ・ミルズ」
「わしはハロルドや。ここの商売のほうをやっとる」
「聞いてるわ。隣国の商人でしょう」
「知っとんのか」
「王都で名前が通ってるもの。強引で、値切らせなくて、でも約束は守るって」
ハロルドが、少し笑った。
「ええ評判やな」
彼は、椅子を引いてデボラの前に置いた。
「座り。話が長なる」
デボラは座った。ハロルドは向かいに立ったまま、こう聞いた。
「あんた、貴族の客の相手できるか」
「できるわ」
「値切ってくる伯爵夫人がおる。前回、金貨三枚のものを二枚まで下げさせられた」
「その方、何を欲しがってたの」
「え?」
「値切る人は、安さが欲しいんじゃないの」
デボラは、あっさり言った。
「値切ることで『得をした』って感じたいだけ。だから、値段は下げずに、別のものを付ければいいのよ。据付けを無料にするとか、修理を一年保証するとか」
ハロルドが、目を細めた。
「……原価は」
「据付けなら人件費だけでしょう。金貨一枚も損しないわ」
工房が、しんとした。
ハロルドは、しばらく黙っていた。それから、セレナのほうを向いた。
「セレナ」
「はい」
「雇うで」
「即答ですね」
「即答や。この人、うちに要る」
彼はデボラに向き直った。
「給金は最初の三か月は銀貨四十枚。売った分から歩合をつける。文句あるか」
「歩合の率は」
「粗利の一割」
「二割」
「一割五分」
「決まりね」
二人が握手した。所要時間、およそ二十秒だった。
セレナは、その様子を横で見ていた。
自分にはできない速さだった。この二人は、同じ言語を話している。
◇
デボラが帰ったあと、セレナはハロルドに聞いた。
「よろしかったのですか」
「なにが」
「あの方は、その……わたくしの元夫の」
「聞いた」
ハロルドは、あっさり言った。
「王都で何年も商売しとったら、そのくらいの噂は入る」
「気になりませんか」
「ならん」
彼は帳面を開いた。
「あの人が誰の愛人やったかは、商売に関係ない。何が売れるか見抜けるかどうかが関係ある。で、見抜けとった」
セレナは、少し笑った。初めて会った日に、自分も同じことを言われた。
「セレナ。あんたは気になるんか」
「……少し」
「そらそやろ」
「でも」
セレナは、扉のほうを見た。
「あの方、ドレスを着ていませんでした」
「うん」
「置いてきたのだと思います。全部」
セレナには、それがどういうことか、よくわかった。
「わたくしも、そうしましたので」




