第十三章 いいものと、届くものは、違う
そこからの二か月が、セレナの人生で一番濃い二か月だった。
やることは単純だった。原価を半分以下に落とし、それでも「今の倍以上もつ」性能を残す。単純だが、簡単ではない。
セレナが削り、ハロルドが探した。
「この耐熱陶片、金貨の三割食っとる。他のもんで代用できひんか」
「素焼きの厚いものなら安く上がりますが、割れやすいです」
「割れたらどうなる」
「動かなくなります。危険ではありません」
「ほな、割れてもええ。修理に来てもらえばええだけや」
ハロルドは即断した。
「修理代を取れる。それはそれで商売になる」
「壊れるものを売るのは……」
「壊れんもんは高いねん」
彼は帳面を叩いた。
「風呂屋のおやじにとって、二年もつ金貨二枚と、一年もつ金貨一枚と、どっちがええと思う」
「……一年のほう、でしょうか」
「そや。今日明日の話やからな」
セレナは、素焼きの陶片で作り直した。原価が銀貨九枚下がった。
◇
言い合いも、何度もした。
「この安全弁、外せへんか」
「外せません」
「なんでや。原価が銀貨四枚も食っとる」
「外すと、水がないまま加熱したときに破裂します」
「水入れずに使う馬鹿がおるか」
「います」
セレナは、きっぱり言った。
「毎朝二十回、同じ作業を繰り返す人が使うんです。忙しい朝に、一度でも水を入れ忘れる人が必ず出ます」
「……」
「そのとき破裂したら、その人が怪我をします。安全弁は外しません」
ハロルドは、しばらく黙っていた。それから、頭をかいた。
「わかった。外さん」
「ありがとうございます」
「けど、別のとこで銀貨四枚探すで」
「はい。一緒に探しましょう」
◇
逆に、セレナが折れたこともある。
「この表面の仕上げ、要らんやろ」
「見た目が悪くなります」
「風呂屋の裏に置く道具やで。誰が見るん」
「……使う人が見ます」
「毎日見るもんが綺麗なほうがええ、いうんはわかる。せやけど、それに銀貨三枚出す価値があるか?」
セレナは、試作品の表面を撫でた。丁寧に磨いた面だった。作った本人としては、ここを削られるのは辛い。
「……三枚は、高いですね」
「そや」
「一枚でできる方法を考えます。研磨を粗くして、油を塗るだけなら」
「それでええ」
ハロルドは笑った。
「あんた、最近ほんまに商売人みたいなこと言うようになったな」
「褒めていますか」
「褒めとる」
◇
試作は七回作り直した。
六回目で、原価が金貨一枚を切った。だが持ちが八日まで落ちた。今の湯沸かしの五日から見れば一・六倍。悪くないが、狙いには足りない。
七回目で、十一日になった。原価は銀貨五十五枚。売値を金貨一枚に設定して、粗利が銀貨四十五枚。
「これや」
ハロルドは、帳面に数字を書き込みながら言った。
「十一日。今の倍以上。金貨一枚。分割にしたら月々銀貨十枚。風呂屋のおやじが払える」
「……売れますか」
「売れる」
彼は即答した。
「今度は自信ある。理由を言おか」
「はい」
「あんた、最初の着火具のとき、わしに何て言われた?」
セレナは、思い出した。
「……『客が知りたいのは、これを買ったら暮らしがどう変わるか』」
「そや」
ハロルドは、試作品を持ち上げた。
「これを買うたら、風呂屋は店を開けられる。閉めとった半分を開けられる。売上が倍になる。金貨一枚は、二か月で回収できる」
彼は、にやりと笑った。
「わし、それを言いに行くだけや」
◇
完成した夜、セレナとハロルドは工房で向かい合って座っていた。
作業台の上に、七台の試作品が並んでいる。焼けたもの、割れたもの、動かなかったもの。そして最後の一台。
「長かったな」
「二か月と、四日です」
「数えとったんか」
「はい」
セレナは、最後の一台を見た。表面は粗い。陶片は素焼きで、いつか割れる。見た目は美しくない。
初めて作った着火具のほうが、よほど丁寧に仕上げてあった。
「ハロルドさん」
「うん」
「わたくし、初めてお会いしたころは、いいものを作れば売れると思っていました」
「そやったな」
「今は、違うことを考えています」
セレナは、試作品に手を置いた。
「いいものと、届くものは、違うのですね」
「そや」
「それが、少し寂しいです」
言ってから、自分でも意外だった。ハロルドは黙って聞いていた。
「でも、届かないものを作っていても、誰の暮らしも変わりません」
セレナは顔を上げた。
「だから、これでいいと思います」
ハロルドは、しばらくセレナを見ていた。それから、こう言った。
「セレナさん。ひとつ言うとくわ」
「はい」
「あんたの言う『いいもの』な。あれは死んでへんで」
「え?」
「十九日もつやつ、覚えとるやろ。あれ、捨てんかったやろな」
「……取ってあります」
「それでええ」
ハロルドは、椅子の背にもたれた。
「今は誰も買えん。せやけど、この不足が終わって、みんなの財布に余裕が戻ったら、あれが売れる日が来る」
「……」
「あんたが前に言うたやろ。『要らないと言われるものを、これからも作ります』って」
セレナは、覚えていた。着火具の三段階調整を「いらん」と言われた日のことだ。
「あのとき、わし答えたよな。客が変わったら要るようになる、って」
「はい」
「今度も同じや。時期が来る。取っとけ」
セレナは、うなずいた。
◇
ハロルドを送りに、扉の外まで出た。夜の平民街は暗かった。
街灯は三本に一本しか点いていない。窓の灯りも少ない。みんな魔石を惜しんで、日が落ちたら寝ている。
ハロルドは、その暗い通りをしばらく眺めていた。
「セレナさん」
「はい」
「この街、来年の今頃は、もうちょい明るいと思うで」
セレナも、通りを見た。
三本に一本の街灯。その光の下を、ひとりの女が籠を抱えて足早に歩いていく。
「そうだといいですね」
「そうする、や」
ハロルドは歩き出した。
「明日から売りに行く。忙しなるで」
その背中が見えなくなってから、セレナは工房に戻り、二階へ上がった。




