第十一章 足りないなら、減らせばいい
その頃、セレナは工房で三日間、ほとんど眠っていなかった。
きっかけは、着火具の修理依頼だった。去年売ったものが動かなくなったと、宿屋の女将が持ち込んできたのだ。
分解してみると、魔石が空になっていた。それだけだった。新しい魔石を入れれば直る。だが今、その魔石が手に入らない。
「奥さん、これ、魔石なしじゃどうにもならんのかい」
「はい。魔石が動力ですので」
「そうかい。じゃあ火打石に戻るしかないねえ」
女将は、着火具を持って帰っていった。あのとき、これを買って「毎朝三十分楽になった」と喜んでくれた人だった。
セレナは、空になった魔石を手のひらに乗せて、しばらく眺めていた。
小指の先ほどの、灰色の石。これ一個で五百回、火花が飛ぶ。
五百回。この数字を、初めて会った日にハロルドが驚いた。この国で誰もやっていない、と彼は言った。
なぜ誰もやっていないのだろう、とセレナは思った。
◇
答えは、その夜に本を読み返していてわかった。
魔道具の技術書は、どれも「どうやって強い出力を得るか」という書き方をしていた。より明るく、より熱く、より速く。回路を太くし、魔石を大きくし、複数個を並列で繋ぐ。
消費を減らす方法について書いた頁は、三十冊の中に、ほとんどなかった。
当たり前だ、とセレナは気づいた。
これらの本は全部、貴族の屋敷で使う魔道具のために書かれている。屋敷では魔石は買えばいいものだ。だから、誰も「減らす」ことを研究しなかった。研究する理由がなかったのだ。
自分が着火具の消費を極限まで削ったのは、貧乏だったからだった。原価を一銅貨でも下げないと売れなかったからだ。
必要に迫られて、たまたま、誰もやっていない方向に進んでいた。
セレナは、紙を引き寄せた。
魔石が足りない。これは事実だ。増やすことは自分にはできない。鉱山を掘るのは自分の仕事ではない。
では、何ができるか。
――使う量を、減らせばいい。
書いてみると、あまりに単純な一行だった。
◇
「セレナさん、なんやその顔」
翌朝、工房に来たハロルドが、開口一番そう言った。
「三日寝てへんやろ」
「二日半です」
「同じや」
セレナは、机の上の紙束を彼のほうへ押した。三十枚ほどある。全部、回路図と計算だった。
「なんやこれ」
「省魔力回路の設計案です」
「省……なんて?」
「同じ働きをして、魔石の消費を減らす回路のことです。仮にそう呼んでいます」
ハロルドは紙を一枚取って、逆さまに眺めた。彼には図が読めない。
「わし、これ読めへんで」
「はい。ですので、口で説明します」
セレナは、湯沸かしを作業台に置いた。
「今の湯沸かしは、魔石一個で五日です」
「そうやな。それでも破格やと言われとる」
「これを、二十日にできると思います」
ハロルドの動きが、止まった。
「……なんぼ?」
「二十日です。四倍」
「待て。待て待て」
ハロルドは椅子を引き寄せて座った。
「今、王都中が魔石なくて困っとるんやぞ。四分の一で動く道具が出てきたら、どうなると思う」
「よく売れる、と思います」
「そんな生易しい話やない」
ハロルドは前のめりになった。
「風呂屋が生き返る。宿屋も飯屋も生き返る。街灯も戻せる。あんた、街ひとつ動かす話しとるで」
「そこまでは」
「そこまでや」
彼は紙束を手に取って、また逆さまに見た。
「で、いつできる」
「わかりません」
「わからん?」
「理屈は立っています。でも、作ってみないと、動くかどうかはわかりません」
セレナは、正直に答えた。
「材料も要ります。今の回路より繊細な素材が必要になるはずです。それが手に入るかどうかも、まだ」
「素材は任せろ」
ハロルドは即答した。
「隣国の伝手を全部使う。国内で買えんもんは外から引っ張る。あんたは作ることだけ考えたらええ」
「……お金がかかります」
「かかるやろな」
「失敗したら、丸損です」
「そやな」
ハロルドは立ち上がった。
「せやけど、成功したら国が変わる。それに賭けられるんは、今のうちだけや」
彼は扉のところで振り返った。
「セレナさん。ひとつだけ確認させてくれ」
「はい」
「あんた、なんでこれ思いついたん」
セレナは、少し考えてから答えた。
「魔石が買えなくて、着火具が使えなくなったお客さんがいたからです」
「……それだけか」
「はい」
ハロルドは、しばらくセレナの顔を見ていた。それから、小さく笑った。
「そら、貴族の技術者には思いつかんわ」
「え?」
「なんでもない。行ってくる」
◇
その日から、工房の様子が変わった。
ハロルドは隣国との取引を全部組み替えた。魔石そのものではなく、回路用の素材を買い付ける方向に切り替えたのだ。細い銀線、耐熱性の高い陶片、伝導率の異なる合金。セレナが必要だと言ったものを、片端から集めてきた。
彼は自分の金を突っ込んでいた。売れる保証のないものに、である。
「これ、ハロルドさんの持ち出しですよね」
「そやで」
「もし失敗したら」
「わしが損する」
彼はあっさり言った。
「せやから、成功させてくれ」
セレナは、うなずいた。
工房の灯りは、毎晩遅くまでついていた。魔石が惜しいので、蝋燭だった。少年と女たちは日が落ちると帰す。セレナだけが残って、線を引き、削り、組み、試した。
最初の試作は、三日目に焼き切れた。
二度目は、動いたが消費が減らなかった。
三度目は、消費は減ったが出力が足りず、水がぬるいままだった。
四度目は、燃えた。
燃えた日の夜、セレナは煤だらけの顔で床に座り込んで、笑ってしまった。
悔しくなかった。楽しかったのだ。
この失敗は、全部、自分が選んで踏んだ失敗だった。誰かに命じられてやったことではない。




