56.炎の中の激情
そびえ立つ頑丈な防壁に囲まれたハイリヒ。
防壁の内側では、闇夜を照らすように轟々と燃え盛る紅蓮が空に伸びる。
その異様を見て、溶鉱炉のようだと俺は思った。
間近で見れば見るほど、内部の異常が目立つ。
近づけば近づくほど、空気が熱気を伴う。
しかし、格子の門は未だ降りたまま。
「何よあれ……」
その隙間から見える景色は全て、炎。
唖然とするクレニ。そして、リルも表情は硬い。
俺たちは圧倒されつつあった。
その時――炎の轟音に混じって聞こえる、呻き、叫び、悲鳴。
「……っ」
唾を飲み込んだ。怖気付く暇などない。
一刻も早く助けに行かねばならない。
声が聞こえるというのならまだこうなったばかり、ということ。
「リル、行けるか」
「これくらいなら」
門の前に立った彼女が双剣を抜き、刀身が風を孕んだ。
<風刃>で門の格子をある程度破壊し、俺たちは侵入する。
「……なんでこんなことに」
門を超え、視界に飛び込んでくる建物の数々。
燃えていないものを探すのが難しい状態だった。
だが、区画の左右で明らかに燃え方が違うことには、すぐに気付いた。
左側は燃えているのではなく、破壊されて瓦礫が燃えているような状態。
爆発でもしたのか。ただの火事でこうなるものなのか?
「誰か居ないか! 誰か!」
人を探すにしても、この状態で別々に分かれるのは自殺行為。
俺たちはそれぞれ声を張り上げる。
暑い。外と比較にならないほど空気が熱い。
身体に熱が溜まっていく。内側から焼かれているような錯覚。
HPは減っていないものの、もしこれが広瀬陽之としての身体であれば間違いなく動けなくなっている。
「どこに居るんだ、クソっ」
通りを進んでいく。
さっきから悲鳴は聞こえるのに、人の気配を感じられない。
もっと奥に居るのか。
「マスター!」
「どうしたっ」
「あそこに……!」
クレニが指を指した方向に、倒れている人影を見つける。
火に囲まれ俺たちの行く手を阻んでいる。
「クレニ――」
「――分かってる!」
クレニが<アクア・プルバレット>を放つ。
多少火を散らすことに成功し、進路が確保できた。
やはり人間が倒れていた。女性だ。
うつ伏せで動かず、服も焼けてそこから見える火傷が酷すぎる。
「おい、大丈夫か!? 一体何が――」
――ひくっ、と自分の喉が震えた。
引き起こしてこちらに向けた瞬間、血涙を流した白く濁った瞳と目が合う。
反射的に突き飛ばさずに済んだのは、冒険者としての経験のお陰だった。
脈を測るまでもない。とっくに死んでいる。
地面にゆっくりと横たえる。
火傷も酷いが、血が流れているのは目だけではなかった。
口からも流れて乾いたような跡がある。
口の端から漏れたレベルではない。
これはまるで内側から吐き出したかのような――。
「……マスター、これ見て」
クレニが女性の胸元を示す。
そこには、刻まれた紋様。見覚えがある。
アーノルドに足蹴にされていた男もこの紋様を刻まれていた。
つまり、この彼女は奴隷。
ハイリヒの人々は違法に奴隷化され強制労働させられていると、マクダネルの告発状にはあった。
そして、奴隷のペナルティの行きつく先は心臓を潰されると、アイザックは言っていた。
女性から視線を上げる。
そこには――瓦礫の下敷きになった、人の腕。その皮膚は炭化して黒くなっている。
聞こえていたあの悲鳴は。
頭の中に浮かぶ、最悪な想像。
せめて火からまだ遠い場所に女性の亡骸を連れていく。
「……行くぞ、二人とも。この火事をどうにかしないと、きっとまだ生きてる人たちも助からない」
燃え落ちた建物の一部、爆ぜて飛んでくる何か、そして火。
進めば進むほど、ありとあらゆるものが行く手を阻んで易々と前には行かせてくれない。
しかし、足を止めることも後戻りも出来ない。
火の勢いが比較的な緩やかなルートを探して、どうにか内部に進んでいく。
すると、俺たちの前に大きな屋敷が現れた。
多少燃えては居るものの、他の建物に比べれば被害は軽微。
外観には、積まれた煉瓦の網目。
木に比べれば焼成された煉瓦の耐火性は遥かに高い。
その入口には、荷車に荷物を積み込む兵士たち。
そして、臙脂のコートを着たアーノルド。
「貴様ら……!」
俺たちの存在にすぐに気付いた一人――あの時突っかかってきた隊長がこちらに迫ってくる。
「何があったんだ」
「お前には関係のな――」
伸びてきた腕を払う。
鎧の首元に指をかけこちらに引き寄せ、そして後ろに突き飛ばす。
「聞いてるのはこっちだ。答えろ」
メイスを抜いて、隊長の眼前に下ろす。
くだらない問答をしている暇などない。一体こいつらは何をしているんだ。
隊長が倒れ呻いたことで、異変に気付いた兵士たちの注意が全て向く。
剣とボウガンが俺たちに構えられる。
「何事かと思えば……また貴方達ですか。お前たちは早く積み込みを完了するのです」
兵士たちを下げ、アーノルドがこちらにやってくる。
「お前ら、一体何をやって、それにハイリヒに何が」
「火竜が出たのですよ、本当に」
うんざりとした様子で奴が答えた。
火竜……実在したのか。
「ほんの少し前です。鉱山道の奥から突然出てきたと報告を聞いたら、すぐにこの有様」
「奥に居るのか」
「ええ、幸い素早い個体ではないようですが。しかし、吐き出される火炎で次々に火が点いていく」
これが、奥に居る火竜の攻撃の余波。
この燃え盛る周り、全てが。
「私も初めて竜というものを見ましたが、この惨状も含め噂通り、いえ、それ以上でした。貴方がたも逃げるべきですよ」
そう言って、髭を指先で弄り踵を返そうとする。
思わず奴の肩を掴んでいた。
さっきからどうして、この男は他人事のように話す。
「おい、待て」
「なんですか? 状況は一刻を争うんですよ」
「だったらなおさらだ、ここの人たちはどうした。ちゃんと避難させて――」
――大地を震わすような咆哮。
直後、火球が飛来して近くに着弾。
そこにあったはずの建物が爆発炎上する。
倒壊した建物があったのは、今の火炎弾のせいか!
飛び散る破片。咄嗟にクレニとリルを庇う。
「さっきからこんな状態が続いています。採掘作業に従事させていた者は絶望的でしょうね」
「もう絶望的って……お前っ」
アーノルドに掴みかかったその時。
大量の荷物が積み込まれていた荷車から、箱が一つ零れた。
兵士が無理に積み上げたせいでバランスを崩して落ちたらしかった。
箱が地面に叩きつけられ、音を立てて一気に中身が零れだす。
炎に照らされる、眩い金貨や銀貨、宝石、アクセサリーやそれに銀食器のようなものまで。
アーノルドがそれらを捉えた瞬間、俺の腕を振り払い、慌ててそれを拾い上げ始める。
「貴様ッ、これは慎重に扱えと再三注意したはず――」
先ほどまでと打って変わった、血相を変えたその表情。
こいつはやはり……そうなのか。
「……お前、何、してんだよ」
「何ってこれらは非常に貴重な品です、冒険者の貴方だってそれはよく」
胸倉を掴み上げ、無理やり立たせる。
「……さっき、隷属の刻印のせいで心臓を潰された人を見た。お前……時間稼ぎのためにここの人たちに逃げるな、と命じたな」
分かりやすいくらい表情が変わる。
「あ、相手は火竜です。騎士団抜きで我々で対応できるわけがない、時間稼ぎでもしなければ私は」
やはり、奴隷にしたハイリヒの人たちを逃げられないようにしたのか。
自分の保身、そして財産を守るための、時間稼ぎとして。
もしかしたら、不正な事実を揉み消すためにも口封じとして――。
また火竜が雄叫びを上げ、火炎弾が炸裂する。
それに慌てたアーノルドが唾を飛ばして俺に釈明する。
「わ、私はここを任されている、奴隷をどう使おうがそれは権限の範疇で。そんなことより早くここから逃げなければ――」
そんなこと、だと。
頭が真っ白になって、視界がホワイトアウトする。
次視界が戻った時には、俺の拳がアーノルドの左頬に突き刺さっていた。
「貴様ぁっ、アーノルド様に」
「……リル」
現れる銀狼。
俺の怒りに反応してか、右手の刻印が灼熱していた。
俺を攻撃しようとしてた兵士たちの気勢が削がれ、一歩二歩と後退りする。
「ひっ、ひいっ、魔獣……っ」
アーノルドが尻餅を付いたまま、睨みつけるリルを前に足や手をばたつかせながら逃げようとする。
俺は奴の前に立つ。
「お、お前っ、一体っ」
メイスを振り上げ、そして、奴の左膝目掛け一気に振り抜く。
砕ける骨、潰れる肉の感触。
「……へぁ?」
アーノルドは自分にされたことを一瞬理解できなかったらしかった。
呆けた顔が、振り抜かれたメイス、そして、下敷きになった自分の足を見る。
発狂。
断末魔のような雄叫びを上げながら、膝を抱え這いつくばってもがき始める。
「あ、ああっ、足がっ、足がぁっ」
痛いか、そうか。
でもきっとこれくらいじゃ、奴隷にされた人たちの苦しみにはほど遠いと思うぞ。
「……フレア・エッジ」
炎の刃が荷車を溶断する。
その余波で積み込まれた箱に引火していく。
「き、貴様ぁっ、それは、それっ」
「そんなに大事か」
「わ、私のっひくぅっ、があああっ」
潰した膝を足で踏みつけ黙らせる。
「どうする、右脚も……まあいいか」
「や、やめっ、ぎゃああああっ、あっ」
いい加減耳障りだ。右足も潰す。
痛みに耐えられなかったらしい、アーノルドは意識を失ってしまう。
取り囲んでいる兵士たちに目を向ける。
「……お前ら、これで身軽になったぞ」
奴らの足がまた一歩後ずさった。
「こんなことをして、ベルツが、イルガルタが黙っている訳が」
「だったらここに居る全員、殺せばいいだけだ」
呼応するようにリルが咆哮する。
吹き飛ばされそうなプレッシャーに兵士たちは閉口する。
引き抜いたメイスからぽたぽたと血が滴る。
「選べ。こいつに食い殺されるか、それともここに騎士団を早く呼んで主人を助けるか」
もたもたしている時間はない。




