53.その背の向こう
「あいつ……どこ行ったんだ」
アイザックと別れ、宿に戻るもクレニの姿はなかった。
リルも戻っておらず、迎えたのは空の部屋だけ。
「前もこんなことあったな」
リルも行方をくらましたことがある。姉妹らしく似ているところがあるらしい。
しかし、今回は状況が状況だ。思いつめていないといいが。
前もあったということは、どうすればいいのかも分かっている。
右手に刻まれた――クレニの契約印。
目を閉じて、意識を集中する。
この感覚は魔力を使う時と似ているのだと気付いた。
拡大される五感とは別の何か――リルとクレニ、二人と繋がった魔力のパス。
それぞれ別の場所に居るのが分かる。
アーツを習得し、より魔力を身近に感じられるようになったからのか、二人の感情まで伝わってくるような気がする。
二人とも落ち込んでいる。
リルの方は後悔と罪悪感、クレニの方は後悔と……張り詰めた何か。
「……って、二人とも遠いんだよ……」
ノウスの時はそこまで広くなかった。
でも、イルガルタは端から端まで歩くのにも苦労する。
クレニがいたのは、イルガルタの街区の中でも人気の全くない場所。
建物もなく、緑地があるだけ。
公園、というにはベンチの類もないし、デッドスペース的な場所なんだろうか。
すぐに声をかけようとして、クレニが何かにやっていることに気付く。
「ひゃくじゅう……ななっ」
かつん。
クレニが一本の木に向かって……一心不乱にナイフを振るっている?
木をよく見ると、表面がかなり抉れており中の白い部分が見えていた。
そして、カウントを繰り返してはクレニが一歩踏み込んで斬りつけている。
ナイフの練習をしているらしかった。
しかし、ナイフで木を斬ろうとするのは流石に無理がある。
それは切れ味の凄まじいキーアのナイフであってもなくても。
しばらく様子を見ていると、からんとナイフが彼女の手から零れ落ちてしまった。
「はっ、はぁっ、ふぅっ、ふーっ……」
膝に手をついて、肩で呼吸している。
百回以上素振りをすれば当然だった。
「駄目、駄目よ私……こんなんじゃ……」
自身を鼓舞して、手を構える。
「アクア・バレット!」
なるほど、今朝魔力がフル回復してなかったのはこれのせいか。
朝居なかったのも、抜け出して自主練していたから。
きっと今日一日の話じゃない。
気付かない程度にアーツの練習も含めてそれなりにやっているに違いなかった。
バレット、プルバレット、エッジ。
何度も何度も水属性のアーツを発動し、木や彼女の身体が水浸しになっていく。
比例して、どんどん減っていく俺のMP。そして――。
「はぁっ……アクアぁっ……! バレっ……」
がくん、とその場に崩れ落ちる。
大の字になったまま、呼吸を荒げたクレニは胸をせわしなく上下させていた。
「……どうして、なのよ」
日も傾き始めたし、頃合いか。
「……公共物の破損は感心しないぞ、クレニ」
力なく倒れていたはずの彼女の身体が起き上がる。
「何で……」
かと思えば、すぐに俯いてしまった。
「……何で分かったのよ」
「そうだな……縁の鎖、朽ち尽きるまでって奴かな。ほら、風邪ひくぞ」
右手の刻印をわざとらしく見せてから、彼女の身体を引き起こす。
そして、濡れていない場所にクレニの身体を落ち着けると、俺も隣に座る。
「……今だけは、契約解除できないかなって思っちゃった」
膝を抱えるクレニ。
「まあ、そう言うなよ」
勿論一人になりたい時に困る、ってのは考えものだが。それは今置いておく。
「で、いつから練習してたんだ?」
「見て……ああ、どうせ全部見てたんでしょ。ナイフをもらってある程度戦い方を教えてもらってからかな。アーツの練習は最近」
やはり結構前だったか。
「けど見ての通り全然駄目。あのザマよ」
吐き捨てるように言われてしまっては黙るしかなかった。
「……ところで、腕、大丈夫、なの」
「痛いけどこんな傷、冒険者になったら擦り傷と同じだからな」
「……どうして責めないのよ」
「誰を」
「私に決まってるでしょ……馬鹿マスター」
馬鹿って言うな馬鹿って。
「確かにクレニの向こう見ずさと不注意で俺は負傷した」
ぴくっと隣で肩が跳ねる。
「でも、死んじゃいないし。血は派手に出たけど傷自体は大したことないからな。それに何より、クレニは無事だったし」
不幸中の幸い。
無傷が一番だが、五体満足で生き残って帰れることも十分に幸運である。
決して短いとは言えなくなってしまったこの冒険者家業の中で、俺はそう学んだ。
「それよりも、何か言いたいことがあるんじゃないのか」
それから少しばかり会話が途切れた。
「……リルが怒ったのは当然だと思う。契約魔獣にとって一番やっちゃいけないことだから」
彼女の灰色の瞳に、茜差す空が映る。
「足手まといになってることも、あの子が私に少しイラついてて、その気持ちだって分かってる……でも、それでも、私はどうしても何か、したかった」
「別に何かってのは戦う事だけじゃなくて、お前の得意分野で」
「――それじゃ駄目なの」
俺の目を見て言い切ったその声音。
「足手まといになりたくない、迷惑をかけたくない、この皆バラバラになった状況ならなおさら」
それには、今までと別の何かが乗っていることに気付いた。
「……でもやっぱり駄目ね、結局私はあの頃のまま。この体になっても……」
軽い眩暈。
再契約の時に見たビジョンと彼女の気持ちがリフレインする。
「クレニ、お前は……」
彼女は立ち上がって、少しばかり前に出た。
「……本当にそれだけ、なのか?」
足手まといになりたくないだけではないはずだった。
皆が揃っていないから頑張ろうとした、それだけではないはずだった。
確信があった。
「ええ、それだけよ」
しかし、背を向けたままのクレニは否定する。
「さ、戻りましょ。日も暮れちゃうし。あと、もう無茶しないから安心してよね」
吹っ切れたのではなく、どこか諦めのような感情。
そんな感情が、振り返った彼女の表情に浮かんでいた。




