51.不協和音<2>
リルは――まだ戦っていた。
顎の攻撃は双剣でいなして頭を蹴りつける。
いつもの彼女らしくない、妙な立ち回り。
そうしないといけない何かがあのアリにあるのだとしたら――援護に行こうと駆け寄るも気付く。
もしやギ酸を吐いてくるのを誘っているのか?
アーマーアントの頭が下がった。
あれは、酸を吐く予備動作。
「――風鎧」
アーツの発動。風が巻き上がる。
黄色い液体がリルに当たる直前で逸らされ、跳ねた地面で揮発していく。
不可視の鎧はリルの前方一歩前に展開されていた。
見える訳ではない。
しかし、初めての時よりも強烈な風量で巻き上げられた土埃が鎧の輪郭をかたどっている。
ゆっくりと追い詰めるように、リルはアリに迫っていく。
何度も何度も酸が吐かれるが一向に届かない。
そして、業を煮やしたアーマーアントがギチギチと顎を鳴らして向かってくる。
「――風刃」
双剣の横一閃、そして風切り音。
すれ違うようにリルとアリの位置は入れ替わっていた。
半歩遅れてアリの巨体に切れ込みが入り、そして、上下真っ二つにその身体が崩れる。
「ん、まあまあ」
鞘に双剣をしまったリルはそんな感想を漏らす。
崩れたアリの骸、その断面はすっぱりと綺麗なものだった。
一太刀で硬い殻ごと切り裂いたのか。
「……いつの間にそんなアーツを覚えたのよ」
「たった今?」
たった今って。
「風鎧の方はシャリアに言われて分かった。風刃の方はたぶん出来そう、だと思ったから」
風刃――風を纏わせた刀身で切れ味を高める、という効果か。
確かに風で枝を斬るようなことはやっていたから、その応用なのだろう。
「ごしゅじん、これでシャリアにも負けない」
ふんす、とリルが胸を張る。
シャリアに敵うかどうかは難しい……のだが、防御技だけではなく攻撃技も覚えてしかも実戦レベルなのは凄まじい。
よしよし、とあの時の分も含めて頭を撫でる。
「……私、だって」
俯いたクレニが呟いた。
「クレニ?」
「私だって……!」
「お、おいどこに行く気だ!」
「私だってやれば出来るってことをちゃんと見せてあげるんだから!」
いきなり走り出した彼女の後を追いかける。
人間の彼女は意外と足が速い。
背中の向こうに見えたのは、一匹のくりくりとした目の愛くるしいリスのような魔獣。
ホーンラビットのようなタイプの獣の魔獣だ。
「こんな奴に……!」
ナイフを振りかぶり、魔獣へ突っ込む。
クレニを見て、怯えたようにぶるぶると少し大き目の身体を震わせている。
しかし、あの魔獣、どこかで身を覚えがある。
「でぇえやぁあああ!」
目前に迫ったところでクレニは大きく一歩踏み込み、袈裟斬りの形で魔獣を狙う。
まさにその時――奴の近くの地面が不自然に隆起し始めているのを捉えた。
俺の直感が警告を発する。心臓が一際脈打つ。
並走したリルからは死角。きっと気付いていないに違いない。
アーツは……間に合いそうにない。
「伏せろッ!」
「え――」
クレニの身体を突き飛ばした直後、鋭利な何かが俺の腕を切り裂く。
血飛沫の中で、返し針のような形状の何かが戻っていくのが見える。
思い出した。マーダーパピーだ。
可愛い見た目で油断させ、地中に潜った本体の棘状の尻尾が致命傷を狙ってくる。
「――フレア・バレット……!」
しかし、奇襲能力が高いだけで素の戦闘力は高くない。
失神しかけた意識を気合で保ち、炎弾を放つ。
狙いは定まらないが、怯ませることには成功する。
咆哮。
狼の姿に戻ったリルが、次の瞬間にはマーダーパピーを食い千切っていた。
流石に効いた。
駄目になった小盾が独りでに外れる。
結構な量の血が腕伝いに地面へ流れていく。
盾がなかったら腕を落とされていたかもしれない。
「あ、ああっ、おとう、さん、わ、わたしっ」
クレニの顔から血の気が引いていた。
仕方ない、この血の量は。
布地を濡らしてなお染み出すように血が溢れてくるのだから。
「大丈夫だってクレニ……派手に怪我してるように見えてるだけだって……ぐっ……」
激痛を堪えながら、小盾からベルトをむしり取り、腕を圧迫止血する。
HPの減少は止まった。止血がきちんと出来た証拠。
「ごしゅじんっ」
人間に戻ったリルが血相を変えて駆け寄ってくる。
そして、俺の傷と血を見て、彼女の顔から表情が消える。
「ああ、リルも……大丈夫だからさ」
射殺しそうな険しい視線でクレニを睨みつけ、そのまま掴みかかる。
「……どうして」
低い声で脅すようにリルは尋ねた。
「リル、わたっ、私……っ」
「どうしてって、聞いてるの!」
しかし、動転したクレニには何も答えられない。
苛立ちを爆発させたリルがクレニを突き放す。
「リルっ!」
「ごしゅじんは黙ってて!」
歯を剥き出しにした、獰猛な肉食獣としての顔だった。
完全に頭に血が上り興奮している。
「弱いなら……弱いんだから、前に出ないでッ!」
「――ッ」
クレニの愕然とした表情。
そして、零れる涙。
姉の顔を見て、リルは自分が何を言ったのか気付き、我に返る。
「……ごめん、なさい」
「ち、ちが……っ、私そうじゃ」
リルは唇を噛みしめて、言葉を閉ざすしかなかった。




