47.保留
「――ちょっとマスター、マスターってば!」
テーブルから身を乗り出したクレニが心配そうに俺を見ていたことに気付いた。
「あ、ああ、悪い……どうかしたか?」
「どうかしたのは、ごしゅじんのほう」
「そうよ、さっきから全然食べてないじゃない」
「え?」
リルとクレニの指摘でテーブルの皿を見る。
大皿でいくつか頼んでいたはずの料理は半分くらい減っており、その一方、俺の皿には取り分けた時のまま。
「ごしゅじん、ずっと固まって動いてなかった」
「いや、いくらなんでもそれは」
「リルの言う通りよ、私たちが話しかけても上の空って感じで」
同期バグやラグじゃないんだから――と思っても、実際彼女たちの言う通り。
「……もしかしなくても、だけど、やっぱりハイリヒのこと?」
クレニの問いに首肯する。
ハイリヒでの一件。俺たちはどうすることも出来ず、結局こうしてイルガルタへとんぼ返りしてしまっていた。
これはベルツの問題です。出しゃばらないでください、冒険者風情が――胸を押さえて苦しむ奴隷の姿とアーノルドの言葉。
それらが、よくよく自分の中に刻み込まれてしまっている。
「そりゃ私だって不愉快だったわ、あのヒゲっ、高慢ちきで大っ嫌い」
クレニが肩を怒らせ、自分の皿に残っていたピラフをスプーンで掬い頬張る。
「ごしゅじんを傷つけようとした。それだけで十分」
リルもリルで言葉は静かなものだったが、骨付き肉に手を伸ばし骨ごとばりばりと咀嚼し始める。咀嚼音がやけに強い。
「ちょっと、リル……その骨食べて大丈夫なの?」
「ん、大丈夫。鶏は肉も骨も美味しい」
リルの流し目がクレニを捉える。
「わ、私は食べても美味しくないし! そんなに太ってないわよ!」
「……私は小さいほうが味が濃くて美味しいと思ってる。骨も柔らかいし、ふふふ」
ゆらりゆらりと尻尾を揺らしてリルが微笑みを向けると、クレニはさっと自分の身体を抱く。
「お姉ちゃん、先っぽだけ――」
「――駄目よ」
「がう。ほんの少し」
「駄目に決まってるじゃない、というかどこの先っぽよどこの!?」
二人のやり取りについ笑ってしまう。
すると、彼女たちの視線がこちらに向いた。
「悪い、つい面白くて」
「ごしゅじん、やっと笑った」
「え、そうか?」
「うん、難しい顔してた」
考えていた内容が内容だったからそれはそうかもしれない。
クレニの手が俺の頬に伸びて掴んでくる。
そして親指がぐにっと押し付けられる。
「ほひ、ふれひなひほ……」
「あはは、変な顔! でもさっきの顔より百倍マシね」
「クレニお姉ちゃん、私も」
待て待て、俺は遊び道具じゃいててて。
左右から顔面マッサージを受けて頬が赤くなったところでようやく解放される。
「……二人ともありがとな」
彼女たちなりに励ましてくれたのかもしれない。
「それにそもそも、マクダネル、だっけ? あの顔色悪そうな人間からあのいけ好かないやつを泣かせる武器、貰ったんでしょ?」
コートのポケットからあの時渡された紙片を取り出す。
しわくちゃになってところどころ滲んで書きなぐったような筆致は、まだ読み書きに慣れていない俺には少々解読に骨が折れる。
それでも断片的に読み取れた内容は、あのハイリヒという場所の真実を明らかにするものだと分かった。
「レンブラントさんに渡してどうにか、なればいいけどな」
「お菓子の人?」
「お菓子?」
「それはアルミナさん、だろ。あのマドレーヌはクレニも気に入ると思う」
頭を振る。
「一旦考えるのは無しだ。明日朝一でレンブラントさんに会いに行く。今はそれしかない」
そう、今はそれしかないのだ。悩んでも解決しない。
頭にある悪い考えを追い出すように、皿の上の料理にせっつく。
この紙切れを誰かに渡すためにあの依頼を考えたのだとしたら、俺はしかるべき場所に渡さなければならない。
そこまでが、俺たちの受けた依頼なのだ。
「――クレニ、いい加減慣れろよ……」
イルガルタの街を歩くとき、どうにもまだクレニの人見知りというか警戒心は高まったままだった。
「そ、そんなこと言っても仕方ないじゃない、こ、こんなに人間が居るし……あっ」
「どうしたの、お姉ちゃん?」
リルのふさふさの尻尾まで使って、いきなりクレニが隠れようとする。
彼女の視線の先には、露店で果物を売っている親父。
どこかで身を覚えのあるような、ないような。
「……こ、この身体ならちびたちのために盗んだの、バレない、よね……?」
ああ、そういうこと。
そういえば、初めてイルガルタで会った時も追いかけられてたな。
「大丈夫だろ、ほら、さっさと歩く。逆にそんなことしてると怪しまれるぞ」
「ひ、ひいっ」
クレニが居ない時に、余分に何か買うとかそういうことはしておこう。
アイザックに連れられて来たきりだったが、複雑な道でもないのであっという間に屋敷の前まで辿り着いた。
「へぇ、造りもしっかりしたいい建物ねぇ……首痛くなりそう」
小柄故か建物を見上げ、そんな評価を下す。
衛兵たちが俺たちの存在に気付き、会釈してくる。
ハイリヒの時は邪険に扱われたものだが、レンブラント邸の彼らはそうではなかった。
「ご用向きは?」
「急ぎレンブラント様に話がありまして」
「――ご主人様は、ただいま公務で外出しております」
門の向こうからアルミナが現れる。
「ご無沙汰しております、ハル様、リル様、それと……クレニ、様ですよね?」
ばっと俺の方を見るクレニ。
何で知ってるの、という顔だ。いや、俺も知りたいよ。
「ふふ、メイドたるもの、主人の交友関係の先の先まで把握していることが嗜みというものです」
俺たちに沸き起こる若干の混乱を前に微笑みを浮かべるアルミナだが、答えにはまるでなっていない。
「立ち話もなんですから、どうぞ中へ」
来たのは二回目。
広瀬陽之ではなく、ハルとしての生活が長くなったことで自分の中に変化があったことに気付く。
立派な建物に入ると少し居心地が悪いと感じるようになった。
コンクリートジャングルで生きていたというのに。
応接間に通されたと思ったら、あっという間にティーセット一式が用意された。
目の前には、ほかほかと湯気立つ紅茶に積み上げられたマドレーヌの山。
露骨にリルの尻尾が反応し、何度も俺を見る。食べていいか、と。
「ごしゅじゅるっ」
呼ぶか啜るかどっちかにしろよ。
「焼きたてですよ。覚めないうちに召し上がってください」
おあずけを解除した途端、リルががっつき始めた。
ポテチとかそういう食い方をするものじゃないぞ。
「……すみません、本当に……」
「滅相もありませんわ。ご主人様からハル様たちへ格別の計らいをするよう申し伝えられておりますので。それに」
「?」
「リル様、今日もお気に召しました?」
「……今日も甘くて美味しい」
もぐもぐごくん、と飲み込み、口元に食べかすを付けながらリルは答える。
アルミナにすっかり餌付けされてしまったようで、その表情はやや緩んでいる。
「つい、作りすぎてしまうので。リル様のように沢山食べていただけると、僭越ながら嬉しく存じます」
「倍持ってきても、いい」
「あらあら、それは腕によりをかけねばなりませんね」
なんだろうなあ。
「……ねぇ、マスター」
「何だ」
「リル……あれでいいの?」
「よくは、ないんだよなあ……」
クレニの小声は至極まっとうな指摘であった。
苦しゅうないって言ってる側がいつの間にかハメられている、そんなパターンなんじゃないかと思えてくる。
檻の中の動物と飼育員、というか。
「クレニ様? よろしければ、いかがですか?」
「え、えっ、とぉ……その、どうも」
微笑みを崩さないアルミナのプレッシャーに負け、クレニもマドレーヌを一口。
そして、渋い表情で咀嚼したかと思ったら、とろけた顔で二口、三口と手が止まらなくなった。お前もリルと同じところまで落ちたぞ。
「それで、ご用件というのは」
そうだった。手懐けられてしまったがこんな呑気にしている場合ではない。
「実は――」
俺はアルミナへ全てを話し、手紙を渡す。
「あくまでも一個人としての発言と前置きさせていただきますが……この内容が本当であれば、由々しき事態です」
手紙の内容を確認したアルミナ。
その表情こそ変わらなかったが、声音はやや硬さを帯びていた。
「じゃあ――」
「――現時点ではハル様のお望みを叶えるのが難しいかと」
一体どうして。
「私の口から申し上げるのはご容赦ください。ですが、ご主人様の代理として確かにお預かりし、必ずお渡しいたします」
追って必ずご主人様からご連絡差し上げますので、と言い切られてしまう。
俺はそれ以上尋ねることは出来なかった。




