41.第二の契約魔獣・クレニ
「あー、酷い目にあったって……リル、もう許してくれよ」
「……鼻の調子が変になった、ごしゅじんの匂いが分からない……」
ぐるぐるとこちらに唸ってくる。
嗅覚麻痺って……やっぱ無茶し過ぎだろ、リル。
多少の説得を挟みつつ下水道からどうにかクレニを連れて脱出した俺たち。
依頼人である水道管理局の職員に簡単な報告を済ませ、水浴びをしている最中。
掃除する奴が居るんだから、当然洗い場くらいは用意されている。
じゃなかったら不味かった。着替えも持ってきて大正解。
「うっぷ、洗っても全然臭いが取れない……」
こりゃ駄目だ。もう燃やすしかない。
スカーフの効果は確かにあったのだと気付いたのは、外した直後だった。酷い悪臭で卒倒しそうになった。
報告を受けた職員の引き攣った顔が忘れられない。
水を借りたくてわざとやったけど、臭いわ。
「クレニもほら、洗っとけ」
「お姉ちゃん、私が洗ってあげる」
クレニはがしっと両手で抱え上げられ、豪快に水桶にダイブさせられる。
リル、それは洗うとは言わない、水責めって言うんだ。
「ぺぎょ、ぺっ……ぺごごごご!?」
デフォルメされたペンギンにしか見えないのだが、一応クレニは魔獣。
職員の目が心配だったが、そこは悪臭に気を取られてくれた。
それとなく隠していたら気付かれずに済んだのだ。
「お前らは優しく洗ってやるからなー、安心しろよなー」
子猫の方は俺が洗う。
リルがあんな調子では大変なことになる。
少し弱っているものの、お湯を作って丁寧に洗ってやるくらいはなんとかなった。ひっかいても来ない。おとなしい。
とりあえず持ち帰るだけ持ち帰って、考えよう。
「ぺ、ぺぎょん……」
水洗い、否、水荒いを終えて、クレニがぐったりしている。
くたびれた着ぐるみのようだ。背中が煤けていた。
リルはすんすん鼻を鳴らして自分の腕の辺りを確かめて――顔をしかめた。多少嗅覚が復活してきたらしい。
「……クレニをこのままにしておくわけには行かないから、そろそろやるか……」
「ぺぎょ?」
「我、ハルの名において、理に誓う」
クレニの前に腕を構えて詠唱。出現する契約印。
「技量極めし鳥人よ、縁の鎖朽ち尽きるまで――」
リルの時と全く同じ。巻き付いている鎖が切れてしまっている。
何事かとクレニが慌てるのだが、さりげなくリルが身体を押さえてくれていた。
「――万難を打ち砕き、哀歓を共に、ここに再契約する。魔獣再契約――クレニ」
魔力運用を学んだからなのか、二回目だからか。
俺から伸びた鎖は、クレニの切れてしまったものに容易く結びついた。
その瞬間――頭に流れ込んでくる記憶。
――お前も大変だったな。でも、もう大丈夫。一緒に色々な場所に行こう。
クレニ視点で屈む俺の姿が見える――これは初めて出会った時のことか。
鍛冶が得意な職人ペンギン一族の中で、体色も違って、鍛冶も出来ないと虐められていた雛ペンギン。
クエスト報酬は当時まだ明らかになっていない武器だった。
しかし、魔獣操師に大半の武器は装備できない。
何か別のものが欲しいと考えた時、クレニを連れていけないかアドリブで申し出た。
そうしたら仲間に出来た。
けれど、最初は怯えるばかりで、打ち解けるのに時間がかかったのをよく覚えている。
――おお、初めてでこんなに作れるのか! 良かったな、クレニ。これでお前だって立派な職人ペンギンさ。
場面が切り替わる。
これは、確か……そう、初めてシルバーバングルを作ってもらった時だ。
ステータスで金属細工に適性があると分かって、試したらいきなりの上質判定。
これ以降、彼女にある程度の装備品作成を任せることになる。
胸に伝わってくるのは……温かい感情。
そうか、あれがきっかけで心開いてくれるようになってくれたのか。
――クレニ、危ないから下がってろ! クソっ、これは流石に不味、しまった――
また場面が切り替わる。
魔獣に囲まれた俺たちのいつかの戦闘、だと思う。
俺の記憶から抜け落ちている。
しかし、クレニの目の前で、確かに俺は攻撃を食らって――胸が苦しい。
心臓を直接絞られているような痛みと苦しみ。そして、これは無力感――。
流れ込んでいたビジョンが打ち切られ、激しい眩暈に膝を突く。
「ごしゅじん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫……それよりクレニは……」
眩暈はすれど、魔力枯渇によるものではないことは、HUDのMP残量が教えてくれる。
消費もほとんどしていない。
そして、視界に映るパーティメンバーの中に――<Creni 契約魔獣 Lv.35>の文字列。
「良かった、成功して――」
『――い、いきなりなんなのよもう……鎖がぶわってぶわぁって!』
「おふっ……」
脳内に響く甲高いソプラノボイスにまた眩暈がする。
これはクレニの声か?
てちてち向かってきたクレニは、いきなり嘴で俺の膝を突き始めた。
『助けてくれたけど、さっきから全然説明してくれないし、今までどこほっつき歩いてたのよ!』
「痛っ、痛いって」
『リルもリルよ、そもそも人間になるってどういうこと!? 訳わかんないし、じゃぶじゃぶされて止めてって言ってるのに聞いてくれないし――!』
くわっ、とクレニが両手を上げて、リルを威嚇する。
でも、威嚇になっていない。
水族館だったら、ただのシャッターチャンスだ。
「あうあうあうあうあう、お姉ちゃん、ちょっと、ちょっと……」
呻きを上げながら、リルは何度も瞬きをして頭を押さえている。
どうやら俺が中継点になって繋がれたパスからクレニの思念が伝わっているらしかった。
まるで二日酔いの気分だった。
頭にここまで響くとくらくらするのか。
「クレニ、な、落ち着けって、ちゃんと説明できるようになったから」
『はぁ、落ち着け!? こっちはずっと死ぬ思いで隠れて食われるところだったのよ!? ああもう、どうせ私の言うこと聞こえてないんでしょうけど!』
ぺー! とペンギンの鳴き声とクレニの思念がステレオで聞こえて、頭がやられそうだった。
聞こえてるって。会話出来てることに気付けよ。
『何よ人間って、私だって、お父さんみたいに人に――何これ、何よこれっ!?』
クレニの身体が、光の粒子に溶けていく。
もう見慣れてしまった人間態への移行の合図だ。
「もうさっきから訳わかんないんですけどぉ……」
へたり込むクレニの人間態の姿もまた、リルと同じく整った容姿をしていた。
紺色の髪に両サイドの白メッシュ、羽根飾り。瞳の色は灰色。
ペンギンの面影がちゃんと反映されている。
リルと比べると小柄で幼さがあって、リルが美女ならクレニは美少女。
「うう、やっと頭が……」
リルが頭を振る。人間態になったことで思念は聞こえなくなった。
クレニの肩を掴む。
「おい、クレニ。俺の声、聞こえてるか?」
「さっきから聞こえてるわ、よ……あれ、なんでこんなに顔近くて」
「ああ、それな、今お前も人間になってるから、リルと同じく」
「え、そんな馬鹿なこと言って……って、あれっどうして話が……」
クレニの表情がみるみるうちに驚愕に染まり、そして、視線が下へ行く。
ヒレのような手や鳥の足ではない、人間の手足を見て無言で何度か動かす。
「あっ、はぁっ、はぁああっ……!」
彼女の肩が戦慄く。
「分かるぞ、最初リルもびっくりしたんだ。無理はないよな、でもちゃんと元の姿にも……クレニ?」
急に視線が俺へと戻った。ぷるぷると真っ赤な顔が震えている。
想定していた反応と何かが違う、これは一体――。
「――私の羽毛どこいったのよぉおおおお!」
「がふっ」
すぱぁん!
涙目になったクレニによる、振りかぶられた平手打ち。
人間の身体になってまだ五分も経っていないというのに、とても力と勢いの乗った一発。
「ご、ごしゅじん!?」
完全に油断してしまっていた俺は不覚を取って、意識を途絶えさせる。
いや、こんなラッキースケベみたいな展開って本当に――がくり。




