40.再会、下水道にて
「な、なあ、やっぱり俺だけで」
「……私も絶対に行く」
ふがふが。リルの鼻声。
「でも、これは流石に……」
「ごしゅじんとお姉ちゃんをほっとけ、ない……ふぎゅっ」
ふぎゅって言ってんじゃねぇか。きっと喋った時に吸い込んでしまったのだ。
じわっと涙ぐむリルの目がバッテンになっているように見えてくる。
こういう時、魔獣態のようにテレパシーが使えればいいのにと思う。
リルにとっては、目の前の金網、そして、そこに続く道は地獄に続いているようにきっと見えている。
気分はさながら、ラスボスのいるダンジョン攻略直前。
しかし、非常に残念なことに、ここはダンジョンなどではない。
そんな血沸き肉躍る高尚なものではない――ただの下水道である。
「無理そうだったらすぐ言えよ」
頑なに同行を主張したリルを連れて、下水道の中に入る。
押し問答してても、逆に彼女を苦しめるだけだと思ったのだ。さっさと終わらせるべき。
ここ最近は、シャリアの訓練と手伝いをこなし、魔獣を狩ったり依頼をこなして日銭を稼ぐ毎日。
その合間を縫い、クレニを探すも、結局あれ以降出会うことは叶わなかった。
あまりにも居ないものだから、もしかしてと嫌な予感が過ったが、リルは否定した。
どうも街に居るというのは、変わらず彼女の嗅覚が教えてくれる。
だが、どこに潜んでいるのか、となるとたちまち匂いが消えて追うことが出来ない。
それで思い出したのが、あの水路に飛び込んだ瞬間だ。
クレニはおそらく、街に走る水路のどこかを根城にしている。水に匂いは残せない。
そう考えて、下水道を調査することにしたのである。
しかし、課題があった。
防犯のために下水道は立ち入り禁止になっていて、普通は入れない。
犯罪者になる訳にもいかず悩んだものの、その打開策はギルドにあった。
ギルドの依頼は、本来多岐にわたる。
近隣の魔獣退治から、ちょっとしたこどものお使い、対象の護衛、薬の調達、生産物の納品、ドラゴンや未発見魔獣の退治などなど。
あくまでも、魔獣退治が目立つのは、手っ取り早いかつ、魔獣という害獣が世界にのさばっているから、自然と依頼数も多くなるだけ。
一個人から商人組合だとかそういった組織まで、ギルドという社会的インフラを活用するので、依頼はもうカオスなことになる。
実際便利なので、使いたくなるのは分かる。
手数料とかギルド側のスクリーニングは多少あるが、金さえあれば必要なものがすぐに得られる仕組みな訳で。
それにここは、コンプラとかセキュリティとか何それ美味しいのという世界。細かい契約書とかをいちいち書くわけじゃないし、おおらかに速やかに受発注が出来る。
イルガルタはノウスと比べて遥かに規模が違い過ぎるので、寄せられる依頼の数はもう星の数と言っていいほどある。魔獣退治以外のものも。
シャリアにアーツ習熟の一環として、読み書きも教わっていた。
その復習のために、とギルドで依頼書とにらめっこしていたらあったのだ。
――【急募】下水道調査というドンピシャな依頼が。
下水に足を突っ込まないように足場が続いているのは、ありがたかった。
上水道と下水道の概念もあるし、案外衛生観念がしっかりしている。
オイルランプみたいなものから、魔石を使った魔光灯とかちょいちょいあって夜もそれなりに明るいし、本当に発展している街、首都なのだと思う。
とはいえ、人の入らない下水道は別の話。思った以上に暗い。
夜目は効くようになった方だが、それでもこれは暗すぎる。
明かり無しで進むのは危ないだろう。
「出番なんだけど、ちゃんと使うのがここって……まあいいや、我、ハルの名において理に定める。暗き闇を光で照らせ――蛍火」
球状に魔力を凝縮し、蛍火をイメージする。
すると、穏やかな光を放つ光球が掌の上に形成された。暗いから薄暗いくらいまでにはなった。
もっと明るくできるが、顔から近くて眩しいし、何より全容を暴きたくない。
シャリアによる教えで、ようやく魔力運用という概念を習得、罵倒を受けながら覚えることが出来た技の一つ。まんま蛍火と呼んでいる。
ただし、世間一般でいうアーツではないらしい。
光源になるアーツといえば<ライト>。あれはふよふよ空中を漂わせ動かせる。
蛍火は掌の上だけ。下位互換。
こいつは、アーツにする前段階、魔力運用・形態変化の基礎の副産物に過ぎない。
展開時間も大分早くなったな。後は持続か。意識を割かないとすぐ拡散してしまう。
シャリアはこれを無意識下で維持できる。しかも、ニ十個くらい。化物だ。二つで脳が溶けそうになるというのに。
――べちゃっと何かを踏みつけた。ブーツから伝わる不快な感触。
思わず下を見る。
「うげっ……」
ヘドロ状の何か。足場も汚い。
ひっ、ムカデみたいなものとか今見えたぞ!
後ろについて歩くリルを見る。
嫌々と言っていたが、長袖を着せておいて良かった。
青い顔をしているのはどうにもならないけれど。
「臭いが濃くなってる……」
進めば進むほど、悪臭はきつくなる。
俺たちの口には、臭い消し用の薬草をすり潰したペーストを塗りたくったスカーフが巻かれているが、おかまいなしに臭いが刺さる。
臭いな程度で済んでいた俺も結構キツくなってきている。
魔獣態ほどではないといっても、人間態でも嗅覚が良すぎるリルは今すぐにでも退散したいはずだろう。
しかし、それでも進むのを止めない。
リルの眼には強い意志があった――クレニを見つけ出すという意思が。
ぐねぐねとしている道を進んでいく。
細いところは入れそうにないので太いところを進むだけ。
「それにしても……こんな場所魔獣は住まないだろう……」
クレニを見つけるための依頼ではあるが、依頼の主目的は魔獣を見つけて撃退することだった。
下水道はまあこんな感じで汚く、清掃もまちまちらしい。
とはいえ、一応定期的にするらしいのだが、数日前に魔獣を見たということで一旦中止。
衛兵や騎士団を向かわせるほどか、と言われると、見間違いだと一笑に付される状況。結局ギルドに仕事が回ってきたのだとか。
役所仕事の適当さを感じる。
というか、騎士団はいつ仕事するんだよ。
「ごしゅじん……何か聞こえる」
必死に堪えていたリルが呟いた。足を止める。
耳を澄ます。微かに聞こえる反響音。空振りってことはなさそうだ。
つまりは――武器を構える。
慎重に歩を進めていく。音がより鮮明に聞こえる。これは鳴き声?
突き当たりで分岐するその左角の様子を窺う。
巨大なドブネズミの魔獣と――。
「ぺ、ぺぎょう……」
――涙目で両手を広げるアデリーペンギンもどき。
「クレニお姉ちゃんッ!」
「――チェーン……っ、リル!?」
ドブネズミがクレニに齧りつこうとした瞬間、風を巻き上げリルが滑り込み、二者の間に入った。
<チェーン・バインド>を発動。
拘束ではなく、妨害。巨体を鎖が絡めとり、リルたちから引き剥がすように引っ張っていく。
だが、想像以上にこのネズミ、力が強い……! これだと千切られる!
「こんの……!」
鎖の編み方を変える。
MPではなく――己の中の魔力を認識し、鎖を構成する強度を、密度を高める。
「ぐっ、同時はまだ、きつい……!」
途端に頭が熱を持ち、頭痛がする。思わず右手で頭を押さえる。
蛍火と<チェーン・バインド>の同時展開はぶっつけ本番でやっていた。
蛍火は解除出来ない、解除すれば狙いが定まらなくなる。
そして、魔力できちんと発動させる<チェーン・バインド>は、対象を目視していないと上手く拘束できない。
「クレニお姉ちゃん、なんで来てくれないのっ」
「ぺ、ぺぎょっ、ぺぎょっ!」
「リル、早く……!」
「仕方ない……!」
クレニの説得にまごついたリルは、双剣の刃先と競ったままのドブネズミの腹を蹴りつける。
巨体が仰け反り、鎖にかかっていたテンションが緩み音を立てる。
「よくも、お姉ちゃんを……!」
双剣で斬りつけ追撃する。
これで――いや、多少後方に下がっただけで大したダメージになっていない。
ネズミの身体が横に捻られる。
瞬間、鎖に猛烈な負荷。一気に引き千切られた。
ほんの一瞬、鎖の構築が甘くなったせいだった。
鞭のようにしなる尻尾が、リル目掛けて薙ぎ払われる。
咄嗟に彼女は両腕でガードするが抑えきれず、衝撃で壁面に叩きつけられた。
「リル!」
バインドの移動制限は切れていた。リルを守らなければ。
今度は、俺がリルに齧りつこうとしたところを受け止める。
蛍火を維持できず、視界が暗くなる。
しかし、その暗がりの中でもはっきりと見える、間近に迫ったドブネズミの赤い瞳。
重い。歯を起点にのしかかられている。
両腕でメイスを押さえていないと潰されかねない。
「リル、大丈夫かっ」
「だい、じょうぶ……」
明らかにふらついていた。
直撃してしまったようで、HUD上のリルのHPは、かなり減ってしまっている。
どうする。
こんな魔獣態に移行するにも、ここは狭すぎて逆にリルの機動力を削ぐことになる。
ここで戦う必要はないのだ。きっとタゲは取れている。
追っかけてくるのを見越して、場所を変えるという選択肢もあるはず。
そもそもクレニは、どうして逃げようとしないんだ。
「クレニ、何でお前……!」
「ぺ、ぺぎょ……」
震えるクレニの背後に微かに見えた、何か――光る眼が四つ。
小さい二匹の猫だ。
そうか、庇おうとしていたのか。
「ぐぅっ……!」
ネズミと組み合うのも限界がある。
このままだと押しつぶされるのも時間の問題。
とにかく仕切り直さなきゃならない。
ふらついたリルが加勢できない、今この一瞬で出来ることは、これしかない。
「リル、クレニ! 目を瞑れ!」
全身の魔力を右手に流して、一気に練り上げ形を成す。
アーツとは、世界に現象を定義し固着させる術理。
魔力とは、それを成すための純粋無垢な力。
その二つを結ぶのは、術者の思考力。
世界に現象を定着させるほどの緻密なイメージ。
しかし、今はうちにある魔力を、物質として世界に焼き付けるだけでいい。
そう、焼き付くほどの強烈な光を。
「蛍火――」
そして、それを構わず、限界まで流し込んでやれば――俺とネズミの間で魔力光が炸裂した。
目を閉じていても、瞼の裏が白くなるほどの光量。そして、衝撃。
俺の身体は仰け反り、背中から倒れようとしていた。
鼠の鳴き声。
目を開くと、鼠が短い手で目を押さえようと悶え、後退りしている。
「――よくもやったな……!」
目を閉じていても、意識さえあればHUDは見える。
炸裂の直前、SPが減っているのは気付いていた。
リルの<スラストチャージ>。
がら空きの腹へ、続けざまの二連撃が叩きこまれる。
アーツとして強化され発動されたV字を描くような斬撃は、確かに奴の腹をしっかりと掻っ捌き、今度こそ有効打を与えた。
だけど、まだ終わりじゃない。
倒れ込んだ俺はすかさず上体を起こして、右手を突き出す。
「我、ハルの名において理に定める」
魔力を集中し、物質として定義する。
「逆巻く火よ、一点に集まり」
魔力から変換された種火。
すぐにでも拡散してしまいそうなものを収束し、一つの炎へと形を成す。
今の俺では、まだ集められる炎の量には限界がある。
コップに水を注ぎ零れてしまったら、一巻の終わり――それでも今持てる全てで魔力を注ぎ込んだ炎は煌々と輝いた。
「敵を穿って爆発せよ――フレア・ボルト!」
放つ。一直線に高密度の火球が飛び出す。
射線上のドブネズミ、リルが確かに付けた深々としたその裂傷に火球は吸い込まれていく。
そして、内側から大きくドブネズミの身体が膨らんだかと思うと、風船のように一気に爆発して炎上した。
飛び散る肉片や体液に思わず顔を逸らす。
使い手として情けないが、こんな爆発をするほどの威力はない。中で引火したのか。
「……リル、だいじょう……」
「……ごしゅじん」
「あー……そんなつもりじゃなかったんだ」
爆心地に近い場所に居たリルの全身には、べったりとヘドロが飛び散っていた。




