37.魔力眼のシャリア
「ここが私の研究室。狭いのは、上の連中に文句を言ってくれ。ケチ臭いんだ」
狭くしているのは、空き巣にでも入られたのかと言わんばかりの惨状のせいではなかろうか。
平積みされた本の山、カラフルな液体の入っている試験管に鍋、何に使うかよく分からない機材一式。
世間一般的な偏見に基づく研究室の姿が目の前にある。
視界に入ってくる情報量が多すぎて渋滞している。
それでも視界に入ってこないものも間違いなくあって部屋の全容は定かではない。
アーツを研究すると言っていたから、ここは研究室ではなく魔女の家、と形容すべきか。足の踏み場がない。
「ほら、座れ。来客用の椅子くらいはある」
背もたれのない椅子を差し出される。
辛うじて置けそうな場所に置いて、リルと共に腰を下ろした。
そして、俺とリルの分二つのカップ――極彩色のマーブルなケミカル飲料を想像したが、至って普通の紅茶だった。
彼女は、背もたれのあるタイプの、随分の豪勢な椅子に腰掛け足を組む。
客人を迎える気があるのかというその尊大な振る舞いと、華のある顔立ちにエルフの様な長い耳。まるで女王様にも見えてくる。
「まったく、まだ早いって言ってるのに、学院と親貴族のアホどもは魔獣を狩らせろなんて無茶言うから」
学生っぽい、と思っていたが、イルガルタで著名なノイシュヴァイン魔導院の学生だった。
授業の一環で、魔獣との戦闘を経験させるという算段だったらしい。
「はあ」
「本ッ当、馬鹿だよなあ。種火程度のアーツを使えるようになったくらいで粋がってんじゃねぇっての」
あの三人組は、習得したアーツに舞い上がって、倒せると息巻いて独断専行したとか。
彼女の言い分は分かる。
そもそも非武装で社会科見学させるな、とも思う。
「そりゃ私の与り知らぬところで死ねば問題ないけど、引率してるから見て見ぬふりするわけにもいかないし」
「それは……そう、ですね?」
曖昧に頷いていておくものの、そうじゃないと思う。口が悪すぎる。
「だろう? まったく名誉あるノイシュヴァイン魔導院もいつから見栄に囚われるようになったんだか」
「……あのう、一つ良いですか?」
「ん?」
「俺たちはどうして……ここに?」
そう。そうなのだ。ずっと言いたかった。
熊――グラップラーベアとの戦闘から数時間。
俺たちはどうしてこの目の前に居る、シャリアと名乗る人物の研究室に招かれたのか。
連れてきたのは彼女ではなく、その場にいた一番偉いと思われる教師の一声だった。
礼はいいと固辞したのに、結局魔導院まで護衛までさせられた挙句礼と言うのは、本当に口頭だけ。
見返りを求めて助けたわけではないけれど、だったらその場で解散で良かったのに。
良いように使われた形だ。
若干不服ではあるが、蒸し返すと面倒なので適当に流していたら、今度は目の前の彼女に引き留められたのである。
「ああ……悪い悪い、茶飲み話をさせるつもりで引き留めたんじゃなかったんだが」
そうしてくれると助かる。
カップを持ったまま、リルが険しい視線で貴女を見ているのだから。
彼女としては狩りを邪魔された形で、それに一歩間違えれば殺されかけた間柄。
ここ最近で一、二を争うレベルで機嫌が悪いのが伝わってくる。
刺々しい雰囲気が隣から伝わってくる。
それでもリルに触れないというのだから、面の皮が厚い。
「まず改めて自己紹介をしておこう。私はシャリア・カラム。シャリアでいい。見ての通りしがない教師だ。専門は魔力に関すること全て」
「自分はハルと言います。こっちがリル」
リルは何も答えない。シャリアは苦笑する。
「さっきからこっちを睨んで……随分嫌われたもんだ、ワザとじゃないんだ許せよ」
シャリアは紅茶を傾け、一気に飲み干す。
まるで酒を飲むような呷り方だった。
「で、アーツに関しては天賦だと自負しているこの私が、何故あんなしょうもない誤射をしたのか、というところからだが……それは私の資質に関係している」
「資質?」
ワザとじゃないなら不手際じゃないのか?
「この眼だよ――魔力眼という」
顔をこちらに近づけ、見せつけるように大きく開かれた紅い瞳。
光の反射ではなく、内側から仄かに輝いている。
更に目を凝らすと、瞳の中で不規則に光る何かが揺らいでいる。
これが輝きの正体か。
吸い込まれそう、なんて表現はこういう時使うのだろうと思った。
突然、それが閉じられる――仄かに頬を染めたシャリアが目を逸らしたのだ。
「……そんな熱っぽい視線で見るなよ」
「あ、ああすみません。綺麗で、つい……」
「……口説くな、馬鹿。この眼の魅力に気付くとは良い趣味だが」
「ごしゅじん?」
「あだだだ……いや、今のはどちらかっていうと俺のせいじゃ……」
ギチギチギチ。リルが抓ってくる。
いや、これは俺も悪いけど見せてきたシャリアも悪いはずだ。
おほん、と咳払いして続きを乞う。
「私の眼は、魔力の流れを文字通り視ることができる。自分の中の魔力の流れ、この眼に捉えたものの魔力の流れがな」
「じゃあ、自分だけじゃなくて、人の……」
「ああ、そうだ。アーツの発動の流れもくっきりだ。素晴らしい才能だろ?」
何も言わないからな。
ステータスの数的要素でしかなかったものを実質的な存在として知覚できるようになったが、魔力というものは未だ俺の中では曖昧な存在。
曖昧だと思うのは、実体を伴えないからだ。
人間、五感――特に視覚で処理できるものの理解が早い。
魔力眼は視覚で捉えられるものに変換してくれる。非常に有用であることは間違いない。
「あの時、私の目には情けなく座り込んでる生徒諸君と魔獣、それとお前が視えた訳だ」
「だから、草で視界が遮られても」
「よほど遠くなければ大体視える。遠くまで視過ぎると死ぬほど疲れるからしないが」
魔力を視るというより、魔力だけを視ている。
物体の中の魔力を視るということは透視のようなもの。
「そして、私は視えた通り対象に向けてアーツを使った。そう。魔獣にめがけて、な」
そこまで言われて、ようやく意図していることに気付く。
あの時、杭はグラップラーベアだけを狙っているものではなくて――再びシャリアの眼が強く輝き、リルを捉える。
「驚いたよ。魔力眼では魔獣のように視える彼女が、目視じゃ可愛らしい狼人族」
すかさず誤魔化そうと口を開くその寸前。
視線がこちらに戻って、びっ、と指を立てられる。
「おっと、誤魔化しても無駄だぞ。お前たちが鎖のようなもので繋がっているのも視えてる」
鎖――魔獣契約の時に出てくる、あの鎖のことを指しているに違いない。
カマかけでそれは思いつかない。
つまり完全にバレている。
一目散に逃げるか、戦うか、誤魔化し続けるか――色々と考えが巡ったが、良い答えがない。
「そんなしょぼくれた顔をするなよ。別にとって食おうって訳じゃないんだ。安心しろ、誰にも言ってない。それに今の段階じゃ魔力眼持ち以外、誰も信じようがない。そして、魔力眼持ちは極めて稀だ」
「じゃあ、お前を殺せばいい?」
リルが双剣に手をかける。
「おいおい、もう少し理性的になれよ」
「ごしゅじんの敵になるのなら迷う暇はない、後お前、斬りたいから殺す」
目が据わっている。
レンブラントとの会談では威嚇だったが、こちらは本気だ。
そして……溜まりたまった鬱憤が口から漏れている。
「ああもう、仕方ないな……」
シャリアが横を向いて、自らの髪をかき上げる。
黒髪に隠れてしまって全く見えなかったが、地肌ではない黒くて硬いものが現れる。
「ほら、折れちゃいるが角あるだろ」
「えっと……それが」
「察しが悪いな! 私は魔族、ヴィシュロンから訳あって逃げてきたんだ。亜人ってことにしてるが、魔族排斥派にバレたらすぐに殺される」
魔族、ヴィシュロン――レンブラントの口から出てきた単語。
確か人間と争っていた歴史があったとか、民族感情的に快くないものがあると言っていた。
「魔獣のお前も、魔族の私も、境遇は一緒さ。どうだ、これでお互いに弱みを握った訳だ」
一応、魔族に対するネガティブな感情について裏付けは取れている。
それに彼女の言葉を信じるのなら、魔力眼というとんでもないものが出てこない限り、リルの正体が露見することはないはず、だ。
「私はただ研究したいだけなんだ、初めて見る術式、人の姿を取れる魔獣……恥ずかしながら久しぶりに興奮してるんだ」
俺の手をシャリアが握る。
「なあ、頼むよハル……良いだろう?」
今度は逸らすことなく真っすぐに視線を向けて、こちらに顔を近づける。
「礼は、ちゃあんとするから」
囁かれた言葉は耳に沁み込むようだった。
ぺろりと唇を舐めたその仕草は艶めかしく、そして彼女の言葉が何度も頭の中でリフレインして意識が――。
「――触るなッ!」
リルが剣を抜いて斬りかかりそうになったところで、我に返る。
慌ててリルを抑える。
今、声でトリップしていたような。
「こいつ、殺す、ごしゅじんっ、邪魔しないで」
「ちょっ、ちょっと待て落ち着け」
「チッ、勘付かれた」
そういうのはせめて言わないでほしい。
今のは、催眠か洗脳するアーツを使われたのか?
「……殺さないなら、もう帰る。ごしゅじん、時間が勿体ない。私、待てない」
掴まれた腕をそのまま引っ張るようにして、強制的に立たされる。
待ってくれ、全く問題は解決してないんだぞ。
「ほう、逃げるか?」
背中を向けたリルの耳がひくりと動いた。
「ああそうかい。人の姿に変えられる魔獣なんて相当高位だと思って期待したんだが、まさかちょっとした調べものすらさせてくれない度量のない魔獣だったとはね」
尻尾がうずうずと揺れる。
なんで挑発するんだ。
「いや、私が悪いな。ヴィシュロンの狼は随分と気高く勇敢な種だったから、つい似たようなものだろうと――」
本当に一瞬の出来事だった。
瞬きをした次の瞬間には、リルがシャリアの首目掛けて双剣を振り抜いていた。
首スレスレに刃先が迫っている。
「――私を雑種と一緒にするな」
「じゃあ、気高き狼様よ。私と力比べをして勝ったら、言うことを聞くという形はどうだ」
「私が勝てば、お前を食い殺す。骨まで残さない」
ニイッと、シャリアが嗤う。安い挑発を買ってしまった。
「……上等。それで良いよな、ハル?」
「ごしゅじん、やるから」
どうするんだよ。今の状況、俺たちにメリットは何もないんだぞ。
でも、リルは俺の話を絶対に聞いてくれないだろう。
やるしか、ないだろうな。溜め息しか出てこない。




