33.世界への違和感
ぱっちりと意識が醒める。
オフからオンへぱちっと。まるでスイッチみたいに。
刻み込まれた社畜精神により、目覚ましがなくとも自然と似たような時間に起きることは得意だった。逆に寝たいときに眠れない欠点でもあるが。
ぼやける視界を擦って焦点を合わす。
ここはワンルームの俺の部屋ではなく、宿屋の一室。
広瀬陽之としての俺は、朝が来るのが嫌いだった。
朝になれば仕事だ。そして、夜中まで働くことになる。
終わりが見えていれば、まだメリハリが付けられたんだろうが、しばらくそういう訳にも行かなかった。
「……また随分がっちり掴まれてるし」
隣――すぅすぅと寝息を立てつつ、がっちりと俺の身体を抱き枕替わりにして眠る、リル。
彼女の本心を聞いて以来、しがみついて眠るようになった。
俺が勝手に抜け出すのを防いでいるのだ。
後は、甘えたいという思いから来るのだろう。
「またお腹出して……風邪ひくぞ」
普段から薄着の彼女は、寝るとき更に薄着になる。
しがみつきながらどうやってと思うのだが、豪快に捲れあがって肌蹴ている。
布地の隙間からきめ細かな白い肌、ぶかぶかの胸元が見える。
「……睫毛長いよな」
一本一本が見えるような距離で改めて彼女を見ると、本当に美人だと思う。
こんな美女が自分を主人と慕ってくれているのは、よくよく考えなくともとんでもないことだ。
考えないようにしているけれど、ふとどきりとさせられることは多い。
「ごしゅじん……おいしそう……」
いや、何の夢を見てるんだよ――邪な感情が霧散し、我に返る。
はぐはぐと左腕を甘噛みしては、涎が沁み込んだような冷たい感触がある。美味しくないぞ。
リルの頭を撫でる。
耳の付け根辺りが一番気持ちいいらしい。
寝ているはずなのに、反応した尻尾がぱたん、ぱたんとベッドを叩く。
「……撫で心地よくてつい、触っちゃうんだよな」
朝起きたら必ず、リルの姿が見える。
ハルとしての俺は、朝を迎えるのが好きだった。
「……今日はよく眠れた」
「いつもぐっすり寝てるだろ」
目をしぱしぱさせながら、リルが朝食の黒麦パンのサンドイッチにかぶりつく。
食べてみる。
マヨネーズとかケチャップなんていう代物は入っていないので、調味料はおそらく塩のみ。うっすいハムに塗された強めの塩気。
トマトらしき物体が入っていて良かった。
べちゃっとした水気の中でもまだ酸味が感じられる。
でも塩っ辛いし、味としては薄い。
マドレーヌを食べたせいで舌が肥えてしまった気がする。
「……しかし、あの領主様は何考えてるか分からん」
「お菓子の人?」
お菓子の人って。リルは独特な覚え方をする。
ちなみにアイザックはうるさい人だった。まんまだ。
まあ、二日酔い中には聞きたくないタイプの声の張り方だけどさ。
「貴族が国を治めてて議会制……あの口ぶりからしてなんか権力争いとかありそうな感じもするし」
あれから、レンブラントは俺の質問にいくつか答えてくれた。
アイザックが勿体ぶっていた爵位貴族とは、イルガルタ独特のものらしい。実力を認められて、貴族として登用された家系の総称。
この国はアメリカのように独立を経験しており、その時の立役者たちが建国貴族。
絶対的な権力は絶対的に腐敗するだっけ――なんとなくレンブラントの立ち位置とその苦労が推し量れる。
「人間は面倒、強いものが弱いものを服従させて守ればいい。気に入らない奴は殺す」
かぶりつくリルの牙がきらっと光ったような気がした。弱肉強食も過ぎるだろう。
「あとは国か……」
一番気になっていた世界情勢、イルガルタ民国以外の地理について聞けたのは大きい。
複数の亜人族が治める、西のメディブレイ連邦。
イルガルタ民国と同じ国家から興された歴史を持つ、東のアーブラル帝国。
魔族と呼ばれる存在が治める北のヴィシュロン。
そして、魔族との血で血を洗う歴史の中で人間側の守り手として地位を確立する、ルインシャルム聖教国。
中央大陸に位置する国だけでもこれだけあって、他にもこの世界――エンダルティアと呼ぶらしい――には、小国家群や未開拓領域が存在している。
数百年前に大きな争いがあって、それ以降は段々落ち着いてきたのだとか。
ファンタジー世界じゃ、よくある流れではある。
「俺の知ってるフィフスマギナと全然違うんだよな」
名前を聞けた国家のうち大半は知らない名前だった。
メディブレイは地方としてあったかな、という程度。
ヴィシュロンとルインシャルムなんて聞いたことがない。
魔族も、魔獣や亜人とは違うのだろうか。
疑問に答えが出たと思ったら、更に疑問が増えた感じだ。
一歩進んで二歩下がったような。
「……どんどん仮説が立証されていくような気がする」
立証されたとして、どうやってそうなったのか、というところが分からない限り、頭で納得はしないのだが。
「ごしゅじんは考えすぎ」
サンドイッチを食べ終えたリルが指を舐めながら、声をかける。
「私たちのやることは変わらない。旅をして、お姉ちゃんたちを探すだけ。狩りはシンプルな方がいい」
「……リル」
リルの言う通りだ。小難しく考えを巡らせても、何も答えは出ないのだ。
仕入れた情報量にパンクしてしまっていた。
今必要なのは、その情報を元にどうやって旅をするのかを考えるということ。
「現状、俺たちの冒険者ランクを上げていかないと国から出られない。だから、ノウスにいた時みたいに依頼をこなす」
「うん」
「後は、ノウスじゃ出来なかったことをやろうと思う」
「出来なかったこと?」
「手が回らなかったこと、ってのが正しいか。アーツの習得とか、文字の読み書きとかな」
<限定解除>は、俺たちにとって切り札になりえるアーツ。
しかし、魔獣態に頼った戦闘はやはり望ましくないと思った。
昨日のこともある。魔獣に対しての風当たりは強い。要らぬところで敵を作りたくない。
魔獣操師ハルと契約魔獣リルではなく――あくまでも冒険者ハルとリル、二人で出来ることを増やしていく必要がある。
アーツの習得は避けては通れない。
幸いイルガルタには学校があるらしいから、金を積めば覚え方くらいは教えてくれるだろう。
それに、腕が立つだけでは旅が出来ない。
知識がいる。装備も必要。後は、長旅のための足を手に入れるとか。
思いつく範囲でも沢山ある。
思いつかない部分でも多分相当ある。
「そして、一番大切なことがある」
リルが首を傾げた。
「長い旅になる。だから、なるべく楽しい旅にすることだ」
想像以上に、道のりが長そうなのは分かった。
のんびりし過ぎても駄目だが、根を詰め過ぎても駄目だ。
人間メリハリが必要なのだ。
「休む時は休む、働く時は働く――」
じゃあ、広瀬陽之の根の詰め方はどうなんだって?
あれは根を詰めたのではない、詰め過ぎた末、根が折れて腐ってしまったのだ。
「――今日は、観光するぞ」
今だからこそわかる。
意識的に休みを作るのが大事なのだ。




