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私立上座高校は、都内でも有名な進学校である。当時の蔵人の学力では厳しかったが、将来の選択肢を多く持つべきという両親と教師の方針もあり、自分なりに精進した結果、合格できたのである。
おかげで通学には、これまで使ったことのない路線を利用するほどの距離が必要となったが、それも二ヶ月もすれば慣れた。順応性は高い方だという自覚もある。
だから昨日と同様、一年C組の教室に入れば、これまで通りの学校生活が続くと思われたが、そうはならなかった。主に自分の感性によって。
朝の教室に澄空麗音がいる。それだけで妙な緊張感が走ってしまった。
教室内でも、ある程度のコミュニティが出来上がっている時期。蔵人にも気軽に話し合える友人という存在は出来上がっていた。しかし、澄空にそのような交流がある様子はない。少なくとも、蔵人の知り得る範囲では。
ホームルームの始まる前の教室には、まばらにクラスメイトがいる。澄空は窓際の一番後ろの席に座っていて目立たないが、一人でいる彼女のもとに行って話しかけるには臆した。これまで接点がなかった女子に、いきなりアプローチを掛けることによる周囲の視線。昨日のことを話した時に対する彼女の未知数な反応。不安は行動を縛る強い鎖であった。
結局、何もできないまま授業が始まり、昼休みまで悶々とする時間だけが流れた。
四時限目が終わると同時に、澄空は教室を出ていく。普段、彼女がどこへ行くのかも全然知らないのだと蔵人は実感し、そもそも彼女は蔵人のことを知っているのかと疑問になった。単にクラスメイトというだけで、それ以上の認識もされていないかもしれない。ある意味、それはお互い様とも思えたが、昨日会った時点では、クラスメイトとさえ思われていない可能性がある。
(うじうじ考えても、しかたないか……)
この機会を逃すと、また問題が先延ばしになりそうなので、蔵人も覚悟を決める。廊下を一人でゆっくりと歩く澄空に追いついて声をかけ、壁際へ誘導すると、
「昨日は、ごめんなさい」
胸を見たことを謝罪する。脇を通り過ぎる生徒もいるので、何に対しての謝罪かは具体的に言及することは避けた。相手に伝わるかどうかは、わからなかったが、澄空は少しの間、怪訝な表情をし、自分の胸に目を落とす。しばしの沈黙の後、目を逸らして恥じらっている、ように見えた。
「南雲蔵人くん、で合っている?」
澄空からの初めての反応、そして名前を覚えられていたことに、ある種の感動を受けた。
「う、うん、そうだよ。合っている」
ぎこちない返答をする蔵人。しばらく妙な間が生まれ、今回はこのまま教室に戻ろうと考えたところで、
「購買部でパンを買う予定なの。南雲くんも同じなら、一緒に昼食を取る?」
と聞かれたので、それに便乗する形で蔵人もパンの購入を決意した。
中庭に大きな木があるので、その木陰でお互い購入したパンと飲み物を開封する。教室に戻ることも考えたが、二人一緒に戻ることに、まだ抵抗があったので、蔵人がこの場所を提案した。澄空も特に反対意志は示さなかった。
快晴だが、昨日のような雨が突然降ってくるとも限らない。蔵人はカバンの底に、大きめの折り畳み傘を常備するようにした。
「今は梅雨の時期よ」
天気の話題から、澄空が説明する。
「昨日、梅雨入りしたっていうニュースを見ていないの? 太平洋高気圧とオホーツク海高気圧がぶつかり合って、梅雨前線が発生したってやつよ。これから二ヶ月弱は雨が続くわ」
そんなに続くのかと、蔵人は憂鬱になったが、それと同時に澄空への関心が高まる。
「澄空さんは、天気に詳しいの?」
「……人並みよ。少し注意して見ている程度ね」
「じゃあ、昨日はたまたま傘を忘れただけとか?」
天候に注意を払っているのなら、それなりの準備をしていると思って聞いてみたのだが、返答は意外なものだった。
「雨が好きなのよ」
無表情で語られた澄空の嗜好に蔵人は、やや面食らったが、昨日の彼女の様子を思い返すと得心もいった。強い雨の中、全身濡れるのも構わず、悠然と歩けていたのは、そういう気質が関係していたのかもしれない。
「あ、なるほど。それで――」
濡れてもいいように水着を着ていた、と言おうとして寸前で止めた。せっかく誤解も解けて良好になろうとしている関係を、危うく崩壊させるところだった。
「何?」
「い、いや、何でもないよ!」
今も水着を着けているのだろうかと胸に目を遣ろうとして、すぐに外す。気づかれていないと祈りたい。
嫌な汗を流す蔵人を尻目に澄空は、淡々と食事を済ませて立ち上がる。
もうすぐ昼休みも終わるので、蔵人も慌てて全部食べ、一緒に教室へ向かった。
この日を境に、二人は徐々に会話を交わしていくのだが、この時は知らなかった。澄空麗音が「雨が好き」と言った本当の意味を。
そしてこの日は、ずっと快晴だった。




