Lackland-King
#MM交流
サルビアとカイドウ、ルビィをお借りしました。
上巻▼
「そこに誰か居るのか」
月朧の夜。半開きになった書斎の扉を、サルビアは訝しんだ。その戸を開け、声を掛ける。返答は無い。室内に踏み込めば、宵闇の静寂が場を支配するばかりで、人の気配はしない。施錠を忘れた愚か者が居たか。否、仄かに残る魔力の気配を見落とす訳も無く、再び彼は声を凄ませた。
「おい──」
「しつこいな、サルビア。俺だよ。……」
奥から漸く声が返ってくる。
「おや。君が本を読むとは、珍しい事もあるものだ」
「眠れない夜の暇潰しに、本ほど良いものは無いが」
サルビアが最奥に至れば、大理石の床に数冊の本を置き、窓辺に腰掛ける弟、アカの姿があった。
「君こそ、わざわざ夜更けにこんな部屋に寄るとは、どういう風の吹き回し」
「通りかかる事くらいあろう。我々の家なのだから」
サルビアは立ったまま、アカは腰掛けたまま、互いに視線だけを擲ち合った。書斎の闇を照らすのは、アカが夜半に持ち歩く洋燈の光だけ──正確には月光を浴びたアカの星妖精由来のツノが燐光を放ち、書棚を隠微に照らしているが──、彼のランタンは読書灯程度の光に絞られて、二人の兄弟の輪郭を闇夜に薄らと浮かべるのみ。
「サルビアは夜にも楽しみがある奴だと思っていたんだが、見つかっちまうとは。……」
「何の本を読んでいるんだ?」
サルビアは口角を釣り上げて問うたが、見ればそれな歴史書の類であるのを見て取り、既に半分の興味を失った。
「粗忽な弟が小難しい本をコッソリ読んでた、なんて、君にとっては面白くも何ともあるまい。本当に眠れないだけだったのさ。だから、つまらない本を読んでる」
とアカが語るのは嘘偽りの無い事実であった。
「禁書とか、俗人向けの本でも読んでた方が良かったか?」
今度はアカが口端を釣り上げ、問いを返した。
「いや別に……夜まで勉学に励むとは、実に勤勉じゃないか」
サルビアはまるでト書きでも読むように言葉を吐き、
「『欠地王』……この王国成立以前の、随分古い歴史だよな。確か──三人の兄弟が諍う戦争の歴史があった──」
博学多才にして博覧強記の兄は次いで朗々と言葉を語った。彼の教養は不勉学であるこの弟よりはるかに深い。生き字引とも言える彼は古今東西の歌も哲学も諸般の学問の概ねを誦んずる事が出来る。
「勝ったのは、聡明な弟王子の方だったか」
「そういう過程もあったけど、その人が欠地王じゃない。土地無し王と呼ばれたのは、兄弟の一番下」
そして、アカはサルビアの更に僅かな誤りは訂正しなかった。本来『欠地王』と呼ばれたかつての王の兄弟の数は、三人ではなく、『四人』である。三人の兄弟に、腹違いの弟が一人──その末弟こそが、ニグルス史上暗君として最も悪名高い王になった男。
「戦争に負け続けて、国力の半分以上を失ったから、『欠地王』」
アカが、兄弟の数をわざわざ訂正しなかったのは、兄に正しさを啓蒙する事を諦めたからではない。歴史とは、歴史家に依る『過去の解釈の束』である。そもそも史書によって、兄弟の数が違う事など珍しく無い。史実とは、事実とは限らない。
「面白いか、歴史を紐解くのは」
「つまらないから、眠れない夜に読ンでんだよ」
「そうか」
サルビアは、問うてから、クツクツと笑った。
「私は、愚者が踊る歴史は面白いと思う。その王の逸話も愚劣なものが多く、読めば嗤えるような話も多い」
無学な者を導くのを面白いと思っている。そして蒙昧な民衆を治める事が、ニグルスの王としての務め。
「分からないでもない」
弟は簡単に同意した。確かに、この兄は、それをノブレスオブリージュだと思う一方、その高みに立つ事こそに薄ら暗い優越感を抱いている。
「私が一度本を開いたら、きっと朝を迎えてしまうだろう。読書に夢中になるのは、ほどほどにしておけ」
弟アカは兄サルビアを見上げながら、
「分かってるよ」
と返答を寄越した。分かっている。博学聡明にして未来の王たり得る第一王子は、二番、三番の兄弟達に、何をとっても劣っていてはいけない。兄自身は分かっている。そして、弟達も察している。魔力の発出や単純な膂力では第二の王子に劣り、多彩に及ぶ学識でさえも第三の王子に一歩及ばない。均せば彼が一番だ。誰だってそう思う。客観的に見てもそう。でも、長兄たる男は、全てにおいて頂点で無ければ気が済まない。
「そう、それなら良いんだ。ちゃんと分かっているなら」
兄は踵を返した。弟は踏み込まない。二人はとうの昔に分かり合っている。同じ日に生まれ、同じ景色を見て、同じ王宮に育っても、両者の感性も嗜好も思想も、何もかもが違い、分かり合えず、並び立つ事はない。だから二人は、お互いの歪な欺瞞も驕慢も理解しきった上で、お互いの惆悵を暴き合う事はしない。
「……………」
ただ、時々、アカは、ネチェルファルコンの王の血脈が、炎では無く、『雷』にあったのであれば、兄の方が強大な力を持っていたであろうと確信する時がある。炎は常に立ち昇り、燃え上がるもの。天すら仰ぎ見ぬ兄に、炎と言うのは些か相性が悪い。常に天にあって上界から撃ち落とす雷の方が、彼の性分には合っていただろう。しかし、今となっては如何ともし難い。彼らはどうしようもなく、この世に生まれ落ちてしまったのだから。
──翌朝、書斎で寝落ちたアカがメイドに発見されて悲鳴が上がったのはまた別の話。
中巻▼
下弦の月が雲間に掛かる夜。部屋の戸を叩く音。
「この前約束したリンゴのパイを──」
今宵、アカの部屋を訪れたのは、その弟のカイドウであった。挙止蘊藉にして礼節を重んずるこの男をして
「君が本を読むとは、珍しい事もあるものだ」
と言わせるのだから、普段のアカの不勉学と言うのは相当であるのが見て取れる。
「サルビアにも同じような事を言われた」
アカは部屋のティファニーチェアに掛けたまま、しかし意に介すでも無くカイドウを部屋に招き入れた。
「君が書斎で朝まで寝ていたと言うのも本当だったと言う事」
カイドウの衝撃は余程のものだったらしい。
「寝付けないから本を読んでいたら、無事に眠れて良かったって訳」
「今日も寝る為にわざわざこんな歴史書を?」
「いや──」
一度読み出すと、例え結末を知った歴史であっても、続きが気になる。読書に熱中するのは程々にしておけとの長兄の忠言はどうやら水泡に帰したらしい。カイドウは部屋にある本の題名を殆ど反射的に読み上げ、朗々とその内容を語った。
「『欠地王』……この王国成立以前の、随分古い歴史書だよな。確か──この王は父たる人を裏切り──」
兄サルビアと弟カイドウが見せた第一声の反応は同じであったのに、その本の中身について、語るところは大いに違った。サルビアは欠地王の若年期の史実を、カイドウはその王の壮年期の史実を語る。印象に残る部分が違ったのであろう。彼らが語ったのは、どちらも歴史学的に正しい。
「眠る為の本を選ぶのに、わざわざこれを?」
カイドウはアカの向かいに座り、書物の頁を少し繰った。
「私が一度本を開いたら、きっと朝まで眠れない。この王の話は、三人の兄弟と、腹違いの弟の話で」
カイドウの一声は、やはりサルビアとよく似ていた。が、続く理由は、全く相対するものである。彼は中身を確認するように本を開いた。
「若い時は土地を巡って兄弟で争い、歳を取れば利権に関して親子で戦争になった。それに、親も子も、最期が悲惨です。子に裏切られた父は憤死し、長兄は弑殺されて、次兄は槍試合の享楽の中落馬して死んだ。弟は流行病で亡くなり、当の欠地王は──」
サルビアは愚劣の愉快さ故に、カイドウは憐憫の痛ましさ故に、眠れなくなると語る。
「小言にしては長すぎるよ、カイドウ……」
尤も、それを説かれるアカは兄弟のご高説をそこそこに、カイドウが土産に持ってきたパイの箱を開けている。
「寝る前くらい明るい物語を選んだら? 君の好きそうな冒険活劇を選んで持って来るのも、吝かでは」
「いいよ、わざわざ……」
所詮、読書とは、アカにとっては暇潰し以外の何者でも無い筈だった。月光が煌々と照らす夜に、兄はロマンスに踊り、弟は本と語らう事が出来るが、当の真ん中にとって、夜とは孤独の象徴だ。忌々しい月の光は己がこの人間社会に於いて星妖精の血を流す事を炯炯と暴き出す。彼は夜が嫌いだ。憎んでさえいる。彼が大きな洋燈を持って夜に自らの存在を照らすのは、単に、己が光を以て異質のツノを隠したいが故である。
「それにしても随分大きいパイを持ってきたね」
「その方が君が喜ぶと思って」
随分な大食漢に見られているのだろうか、アカは溜息を吐きかけた。
「一人二人で食べ切れる量じゃ無い。サルビアも呼ぼう」
「来るかな」
「今日は水曜日だぞ。呼べば来るよ。多分」
アカは立ち上がり、M H Mを手に取った。彼は考えずにはいられない。享楽も悲嘆も、パイのように分かち合えるのに、魂だけはそうはいかない。青史を翻れば、王国を三つに分けた事により、分裂して雲散した例も、それぞれが独立し深く交流を持ち合う国になった事も歴史もある。それでも、彼は家族である以上、分けられる物は分かち合いたいと思った。それが、ずっと続けばいいのにと密かに祈らずにはいられない。
──果たしてサルビアは、アカの見立て通り、呼べば直ぐにやってきた。リンゴのシードルを片手に持って。
下巻▼
その日は新月だった。
「開けてぇ!」
とアカの部屋に飛び込んできたのは、腹違いの末弟、ルビィである。
「なんだよ、突然」
当惑しつつも、アカは彼を拒む事は無い。少し歳の離れた弟は、もう成人をとうに過ぎた年齢であるにも関わらず、子供のような笑みを貼り付けて声を立てた。
「女中の一人のエプロンがほつれていたから、引っ張って抜いてあげたら、怒られちゃった。逃げ回ったら皆んな追いかけてきて」
「……………」
この末弟はつい最近、市井の、それも日の当たらないような薄暗いところから見出された王の血族である。父が何故あの美しい王妃がありながら別の女の腹に子を宿し、そしてそれを今更見つけてきたか、知り及ぶべくも無い。アカは父親のあの虚のような瞳に、その疑問を投げかけ、答えを得るのは、蛮勇だと思っている。
「なあ、ルビィ」
「あ、お兄ちゃんも御本を読むんだ。カイドウ兄ちゃんみたい!」
王宮では大人しく、慎ましやかにしていないと追い出されるぞ、と一つは忠告を言ってやろうとも思ったが、そういえば、そう伝えれば王宮の天井を見上げ、豪華絢爛のシャンデリアを一日中見上げている事があったし、そもそも自分も兄弟の忠告を聞き流す事は多い。
「『欠地王』……それくらいは読めるよ」
ルビィは机上にあった本のタイトルを、一文字一文字、苦労して読んだかのように見えた。同じ王の血を半身に流すのに、二十年以上の歳月を、かたや王宮、かたや社会の低層で過ごしていれば、その教養も所作も、文字通り雲泥の差。生まれ落ちた瞬間に人の格が決まる訳ではない。よく分かる一例だとアカは思った。
「どうしてこんな分厚い本読んでるの? 面白い?」
ルビィの四辻の目は興味が揺れる度に忙しなく動き回る。アカは一週間、この弟を連れ回して鉱山地帯に出歩いた事があるから、多少はこの男の事を理解出来るかと思っていたが、それが未だに分からない。この質問だって、彼が本心から興味があるから聞いた訳でもあるまいし。
「暇潰しに読んでるだけ」
よく読めるねと屈託の無い笑みを浮かべて見せる末弟に、アカにはその裏の本心をいつも計りかねている。最初は、王族の仲間に入る阿諛追従かと思った。しかし、それにしては、些かの佞言も語らず、売る媚も無い。陽光が万民に降り注ぎ、水が方円自在の理を持つのが当然であるかのように、何の疑問も無く彼は存在している。自身が異物である自覚は無いのであろうかと、アカは疑問に持つのも辞めた。彼は星々の運行法則を詳らかに語れる程、兄弟のように博識では無い。
「お兄ちゃんもいつかこういう本になるの?」
「え……」
考えた事も無かった。自身が「書かれる対象たり得る事」を。そも、気まぐれに取った本が『愚王』の『歴史書』とは、本当に己は考え無しにそれを求めただろうか。夜闇を嫌い、どれ程大きく明るい洋燈を持っても、足元に伸びる影は濃く、そして長くなるばかり。
「僕、そうしたら、三人の兄弟のお話の中、全員に出て来られるかな?」
ルビィは読んでもいないのに、徒に頁をただ繰った。
「あまり乱暴に扱わないでくれ。本が壊れる。……」
末弟は逡巡してから「ごめんね」と謝罪した。まるで指摘されるまで、壊れる事を理解していないかのような素振り。子供が玩具を乱雑に扱うようでいて、或いは、誰かの愛情を試しているような行為……
「でも、サルビア兄さんは、書かれると言うよりは書く側だろうな。この前、僕にいっぱい詩を読んで聞かせてくれたからね」
チェアに足を投げ出し、彼の口は止まらない。
「外国の詩だったよ。僕が読めないと言ったら、代わりにチョット誦じてくれたんだァ」
彼は長兄であるが故に周囲の期待と責任を一身に背負い、好きでもない語学にも歴史にも民俗にも触れて学んで来た。だから、彼は怠惰の輩を赦せない。特に、何も努力もせずに王籍の末端に座った奴とか。
「サルビア兄さんはそう言うところが優しいよね」
本当にそう思ったのか? 問い返す言葉をアカは飲み込んだ。だが、サルビアのように愚劣の行いを嗤う事も、カイドウのように優愛から憐憫を垂れるような事も、彼には出来ない。
「それだけ口が回るなら、ルビィも詩を読めるようになるだろう」
「ええーッ。そうかな。じゃあ一番にアカお兄ちゃんに聞かせてあげるからね」
「サルビアに聞かせてやりな」
自嘲するような薄ら笑いがアカの唇から漏れた。所詮己の感性も凡骨である。他者を慮る慈愛の真似事を精一杯やってみせ、安っぽい感傷を終生大事に浸ることになるのだろう。彼は笑わずにはいられない。
「ほら、もう匿うにしては十分だ。せいぜい怒らせた女中に見つからねぇよう部屋に戻りな」
「ええッ。お兄ちゃん、一緒に寝てくれないの」
「馬鹿言え。……」
口を開けば兄への疑問か、彼自身の話は猖獗を極める身の上話である。悪不忍聞の彼の半生を、彼自身はともすれば愉快そうに語るが、聞いている彼は特に面白さを感じなかった。この弟の事を怠惰であるとは思わないし、さりとて、捨て置く程の冷酷さにも待ち合わせが無い。ただ、己一人では見出し得ない『何か』の、恐怖にも勇気にも似る、この精神性の正体を確かめたい危険な好奇心……彼の洋燈は、彼の闇を照らさない。月の無い夜に、旱星が赫々と大地を照らしている。
了▼
ヨーロッパの歴史上の王様は敬虔王とか獅子心王とかクールな二つ名がついてるヤツがいるけどデスファルコンも後世そう呼ばれたりするんだろうか(彼は後世、毀誉褒貶の激しそうな人物でもあるが…)。やっぱり、赤髭王とかかしら。作中に出てきた「失地王」とはイングランドの悪名高い王様ジョンがモチーフでした。桃の食べ過ぎで死んだのだったか、どうだったか…




